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看護師のなぜなぜ研究

ここが変だよ日本のナースさん

7章.看護師のモラルと性悪説

 

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 現代の看護師達の振る舞いは、意識の無い状態の身体を赤の他人に人質に取られ、メスで切り刻まれるという圧倒的に無力な状態に置かれる患者とその家族を相手にしているからこそ「(暗黙の脅迫により)黙認」されているだけであって、それを勘違いして、一般社会や世間との接点もなく、普段から自分達は特別だ、やってあげてんだから、自分たちは何をしてもよいのだ、悪くない、というような振る舞いをする看護師が実に多い。病院では、目をつぶって黙認されているとしても、それは決して褒められる事ではなく、一般の基準で言えば滅茶苦茶で暴虐無人の振る舞いであることに変わりは無い。だからこそ看護師の悪評がこれだけ広まっているのだ

 

日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,戦争中の過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.

その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

 

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf

 

 

 2002年になってやっと文部科学省から大学教育における倫理教育についての指針が出て、一部大学として教育現場での取り組みが始まったのが、やっと2004年ごろ。ほんの10数年前まで倫理教育をするという指針も無かったという恐ろしい業界。ほとんど扱っていない学校も多数ある。

 

 そもそも日本には患者の人権を守る法律が無い。倫理教育もなければ、法整備もされていない....

 

日弁連(日本弁護士連合会)による警鐘

 我々の何よりも大切な命を守るために,医療は必要不可欠であり,誰もが等しく,安全で質の高い医療を受けることができなければならない。同時に,その医療は人間の尊厳を守り,我々が幸せな人生を送ることに資するものでなければならない。
 ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
 日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。

 

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf

 

2016/2/14 更新

 遅まきながら、本年の4月より障害者差別解消法が施行されることになり、大人の患者への幼児言葉は「不当な差別」として違法行為となります。

更新おわり

 

 基本的なプライバシーすらないがしろにされ、カルテの内容を回し読みして漏えいなどという基本的な職業倫理違反(守秘義務違反)など日常茶飯事で、度々ニュースにもなっている。

 

 看護師は、もっと他者からの視点を取り入れ、謙虚に外からの声に耳を傾け、自省してみるべきだ。自らの「常識」を常に疑い、他者からの視点を常に意識すべきだ。普通の人でも当たり前の事だ。なぜか看護師だけ、「看護師だから」「医療機関で働いているから」を言い訳にする。

 

 なぜ外の声と自省が必要かというと、散々書いてきたように、医療・看護では特に倫理に無感覚になっていく職業だからだ。例えば、極端な例を出すと、ナチスドイツの「T4プログラム」では医師や看護師が率先して障碍者や怪我人までも「生きる価値の無いモノ」としておよそ20万人もの人たちを病院のガス室で殺害したのだ。これはホロコーストの予行練習となった。当時、看護師も何の疑問も持たずに、患者を偽りの笑顔でガス室に押し込んだという。それが看護師の中で「常識」だったから

 

看護師達は主体的にそれを実施したという。中には喜んでやったケースすらあった。

「ナチT4作戦における看護師:その役割分析と共犯のメン タリティー」

http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/3191/1/200000035322_000105000_155.pdf

 

医者も同様。

 

最も野蛮な「保健措置」の多くが医者の発案によるものであったこと、その医者たちは無理やりナチスに協力させられたのではないこと、医者たちはヒトラーに利用されたのではなく、むしろ率先して事に当たっていたという事実を指摘している。

ナチス・ドイツの「優生政策」の実態 〜安楽死計画「T4作戦」など〜

 

 日本においても、九州大学の生体解剖事件が有名だ。看護師も女性初の戦犯となった。

 

 これは現代でも患者虐待を見て見ぬふりする看護師達にある意味繋がっている。

 

都立松沢病院職員による患者への暴力について

このたび、都立松沢病院において、病院職員による入院患者への暴力行為があったことが判明しました。
 当該患者及び家族の皆様に深くお詫び申し上げます。
また、病院患者や都民の信頼を損なう事態を招いたことを重く受け止め、このようなことを二度と起こさないよう、再発防止に努めてまいります。
1 事案の概要
(1)事故者  看護師(50代 男性)
(2)暴力行為の状況
  (暴力を受けた患者数)
 入院患者4名。そのほか8名について事実確認継続中
  (暴力の態様)
 看護師、患者等への聞き取り調査の結果、平成25年6月頃から「両頬をたたかれる」「布団を頭から掛けられ押さえられる」等の暴行と、「死ね」「なんだこのやろう」等の暴言があったとの証言を得た。なお、暴力を受けた患者に外傷等は確認されていない。
(3)対応経過
平成26年2月17日(月曜日)、2月14日(金曜日)まで実習を行っていた看護専門学校の学生の実習満足度アンケートに「(病院)スタッフが患者を拳で殴る様子を見た」との記載があったため、看護部が、実習を行った病棟の看護師全員に面接調査を開始。
18日(火曜日)、当該病棟入院患者に聞き取りを開始し、暴力行為の疑いがある職員が判明。
19日(水曜日)、院内事故対策委員会を設置し、院内全病棟での調査の実施を決定、以後、調査継続。 
26日(水曜日)、当該事故者及び暴力行為の態様をほぼ特定したことから、監督官庁である福祉保健局医療政策部に報告。
事故者は、「ケア等を行う上で患者本人の協力が得にくい状況が蓄積すると、強い言葉を発したり手が出たことがあった」と述べている。
27日(木曜日)、地元警察署にこれまでの経過を報告するとともに、暴力を受けた患者及び家族への謝罪を開始。
28日(金曜日)、臨時事務局長会及び看護部長会を開催し、他の都立病院での類似の行為の有無について調査及び患者の権利擁護の徹底を指示。

都立松沢病院職員による患者への暴力について | 平成25年度 | 報道発表 | 東京都病院経営本部

 

 その病院で働く看護師たちではなく、実習にきた看護学生が「おかしい」と声を上げて、初めて発覚したのである。これは恐怖に他ならない。その病院で実際に働いている看護師たち全員が何の疑問も持たず看護師達の間でそれが当たり前の「常識」になっていたからではないか、と。

最近、心が痛くて、心が折れそうなことがあって投稿させていただきました。というか、精神科のナースさんはこんな風なの?と不信感がわいてきて投稿させていただきました。認知症の患者さんに「死ね」とか「俺、このじいさん、嫌いなんだよね」と患者さんの前で言うナースがいるんです。私は、絶句しました。しかも、今、話題になってる虐待みたいに、認知症の患者さんの目を手で押さえて目隠ししたり、両手を持って「体操だ」と無理やり動かしてみたり。それを嫌がって興奮しているのを楽しんだりしてるんです。認知症があって車イス生活。自分でご飯を食べられない患者さんにそんなことをしてしまうんです。そんな事を言ってしまうんです。私の中ではあり得ません。そのナースは全く罪悪感はない様子。しかも、手が動くためエアマットのコンセントを抜いてしまった認知症の患者さんに、自分では食事がとれないのに「イタズラできるなら、自分で飯食え!」って。私が介助していると「イタズラできるのに、自分で飯食えねぇのか」って。私、泣きそうでした。手が震えて自分で食べられない患者さんに、「1食くらい抜いても大丈夫だよ」って。私が介助してると「介助しなくていいよ」ってその人がの前で言うんです。クリアな患者さんなのに、手が震えて食べられなくて介助してもらうのを遠慮して「もう、いいですよ」って。ズボンの上げ下げが出来ない患者さんに、「自分でトイレ行けば〜」っていうナースもいます。私、心が痛いです。心が折れそうです。私の他に介助をしているナースもいますが、ほとんどが、見て見ぬふり。私が介助していると「しなくていいから」と言ってくるナースもいます。私がやってること、間違ってるのかすごく悩んでます。自立を促すための見守りと、必要としている患者さんへの介助、境目が難しいことがありますが、ほったらかし。毎日、仕事をしてるのが辛いです。

https://www.kango-roo.com/ca/topics/5163/

 

私は、今年卒業したばかりの新米ナースです。
やっと、業務にも慣れ、夜勤デビューしました。
患者さんは高齢者が多く、認知症や寝たきりの患者さんが多いです。おむつ交換や体位変換だけでも大変です。
ある40才越した独身の看護師がいて、家庭が無いために夜勤が多いです。日勤帯でも患者さんに対して冷たい対応だなとは思ってました。しかし夜勤でスタッフの目が無いため彼女のやりたい放題です。駆血帯で顔面デコピンしたり、ナースコールで殴ってたりしたのをみてしまいました。それから私もイビリが始まっています。患者さんの虐待は婦長さんも感ずいているみたいですが、現行犯じゃないから注意できないって言ってました。こんなことするのは、新人の私が言うのもなんですが人としてどうなの???って感じです。

http://nurse-senka.jp/bbs/?action_bbs_details=true&id=98

 

私は現在、精神科病院で勤務をしています。以前は他病院の回復期リハ病棟で勤務していました、1年目ナースです。
同じ病棟で勤務している30代の女性の准看護師(3年目)の方がいらっしゃるのですが、患者さんに対する接し方があまりにも酷すぎます…。
「何やってんだよ、早くしろよ」「邪魔、どけろ」「うっわ、きったねーな」等、暴言を堂々と大きな声で患者さんへ日常的に浴びせています。とある日は、患者さんの食べこぼしなどがこびりついたタオルを近くにいた患者さんの目の前へ近付けて嫌がらせもしていました。
また、患者さんに対してニックネームを付けて呼ぶ、おじいちゃん(おばあちゃん)呼ばわりをする。タオルを使って患者さんへ首を絞めるといったような、あまりにも考えられない言動が多すぎて拍子抜けしてしまいました。周りのスタッフは聞いてないふりをしているのか、あるいは前に注意はしたけれども改善が見られず放っておいているのか…。改善しないどころか日に日に彼女の言動がエスカレートしているように思います。本人に直接言える勇気がなく、まずは主任さんや師長さんに相談しようと思っていますが、なかなか踏み出せないでいます。
看護師としてよりも、まず人間としてどうなんでしょうと思ってしまいます。この方と勤務していると本当に自分が病んでしまいそうです…。まずこのような言動が精神科では当たり前なんでしょうか?そうだとしたらとても恐ろしくて今後働いていけるのか不安です…。

http://nurse-senka.jp/bbs/?action_bbs_details=true&id=68560

 

 看護の常識を疑え、と私は述べてきた。

 

msh2.hatenablog.com

 

 そして外部からの視点と意見を謙虚に聞き入れるべきだろうと。

 

 現代でも、極端な例ではなくとも、看護職全般にある傾向として、意味もなく人を見下したような態度だからこそ馬鹿にされるのだが、本人はいかに看護師が優秀で大変な仕事かをアピールし(相対的に)人を見下すのでさらに嫌われ馬鹿にされるというスパイラルに気が付いていない。無礼で非常識で下品だから眉をひそめられるにも関わらず、開き直って仕返しとばかりに人を罵る看護師。 

 病院ではまるで女王さまとでも勘違いしてるのか傲慢に他職種を見下す。患者をペットまたは子供扱い。はたまた色仕掛けで男達なんてどうにでもなると男を完全に見下している一方で単に都合の良い性のはけ口扱いされているのに気が付いていない。無料のキャバ嬢ホステス、風俗嬢扱いされていながらむしろ自慢げ

 本来、「そういう類の職業の女と一緒にされたくない」と一番思ってるのが、実際に働いている看護師たちではなかったのか。

 こういう実態を「おかしい」と認識出来ない看護師は世間の常識とズレていて何をするか分からないと思われても仕方がない。むしろ、同類だと思われるのが自然だ。マトモな子はすぐ辞めて行くか、卑屈に先輩に媚びるか、息を潜めて我関せずを通す。残る大多数が長いものには巻かれろと、染まって行ってしまう。

 たとえ大変な仕事をしているからといって、マトモな男はそういう人間達と関わり合いたいとは思わないだろう。一緒に協力しようとか、受け入れようと深入りしても関わる方がダメージを受ける。

 若い看護師の目指すべきロールモデルが、ド金髪ビッチ主任に、ダブル不倫の師長に、ふんぞり返ったバツ付き看護部長、看護教員...、のような感じばかりで揃いも揃って世間知らず常識知らずの異常な先輩看護師達だったら、なんとも悲惨な業界である。

 いかに「人が嫌がる仕事でも一生懸命」に頑張っているように見えても、実態は「私利私欲欲求ワガママ強欲の赴くままの勘違い女」だったら本当にがっかりである。

 そのような一方的に裏切られる事が分かっている相手に対して尊敬も応援も、サポートも協力も、ましてや結婚して家族になろうとは思えないだろう。そんなのがまともに子供を育てられるとも思わない。

 立派な仕事をしているのに、もったいない。

 現代の看護師達の振る舞いと人間性は、それこそナイチンゲールの功績を真っ向から否定し、ナイチンゲールの顔に糞を塗りたくるようなものである。

msh2.hatenablog.com

 このような看護師の現状を「ナイチンゲール・コンプレックス」と名付けたわけだ。

 あえて一言で言うならば、 「ナイチンゲールのイメージを自らに投影し利用し、甘えつつ、それに反する行為をしている心理状態」。心理学で言う、「理想化自己対象」として、ナイチンゲールや白衣の天使やチヤホヤされるナースのイメージを対象としている。

 あこがれたり尊敬したりしていると、自分も誇らしくなったり立派になったように感じられるような対象。または、「尊敬・崇拝していると、力強さや元気さがみなぎってくるように感じられる対象」「その対象に所属していると自覚すると勇気付けられるような対象」のことを、理想化自己対象と呼ぶ

 

 

 

 日本の医療業界は、市場経済の原理が働かず基本的な自由競争が起きないので悪が淘汰されない。もちろん国民皆保険という理念は良い点ももちろんあるが、その裏返しだ。

 しかも、「悪貨が良貨を駆逐する」という現象だけは起きる。
 

医療の性善説という硬直性

 

「医師性善説」に立つかぎり、日本の医療は変わらない

「すべての医者はヒポクラテス、すべての患者はソクラテス
日本の医師法は、医者は悪事を働かないという、
現実離れした理想論に立っている。

 

http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/medcost2.htm

 

性善説が通用しない? 医療の現実

www.yomidr.yomiuri.co.jp

 

今の時代、 消費者保護法、個人情報保護法、景表法、公正取引協議会公正競争規約、

様々な法律や、自主規制、によってコンプライアンスが求められている。

看護含む医療の世界だけ、「素人は口出すな」の「聖域」となってきた。個人個人の倫理観にゆだねられていた。

 

しかし

 

 以前、倫理観の欠けた医者が取り澄ました顔をしてヒポクラテスの誓い(Hippocratic Oath)を持ち出して医師という職業の倫理性の高さを主張した際、私は内心爆笑が止まらなかったものだ。私にはそれがヒポクラット(偽善者)の誓い(Hypocrite Oath)と聞こえたのだ。

 中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番である。

1章.看護師のイメージ 〜 天使か娼婦か - 看護師のなぜなぜ研究

 

 

 

 

 先に触れた「パターナリズム」しかり。

 一旦話しは逸れるが、医療においてはそれとは別に、医者ー患者関係性の悪癖として以前からパターナリズムが認知されてきた。

Paternalism as a theoretical concept
Dworkin in a 1972 paper identified paternalism as “the interference with a person’s liberty of action justified by reasons referring exclusively to the welfare, good, happiness, needs, interests or values of the person being coerced.”

「医療におけるパターナリズムの概念」

ドウォーキンは1972年の論文で、パターナリズムを『人の自由を、その人の福祉・幸福・必要・興味・価値観の為という理由で正当化し無理に阻害すること』とした。」ーブリタニカ百科事典

パターナリズムとは

 パターナリズムは、パトレつまり牧師・父性、つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつである。医者が自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしまう自己陶酔の状態。「お前ら黙って俺についてこい」「(きゃカッコイイ)と思われている自分カッコイイ」みたいな。父権的干渉主義という。

 「私はね、あなたのこと全部知ってます。**(患者)にはこの手術するのが一番なんですよ」と現状の説明と選択肢の提供を省いて患者自身の決定権を尊重せずに、独断で意志を押し付けるような事を言う。最終的に患者にとってベストな事が行われるかもしれないが、そもそも本当に患者にとって何がベストかどうかなど本当に医師にわかるのだろうか。患者にとっては手術室で行われる事は分からないが命にかかわること故にアンタッチャブルな「聖域の医療」となる訳だが、医者は全知全能の神でもなければ欲の無い聖人君主でもない。だから医師に分かる訳がないのは当たり前で、本来そんなのはあるべき姿ではない。

 ある人は、医師の誤診断で発見が遅れたため開腹手術が必要となり、別の病院で行った手術のミスで脊髄を損傷し下半身不随となり、10年近く寝たきりになりストーマを付けながら脊髄の痛みと褥瘡で苦しみ続け、別の病院で「頼むから死なせて欲しい」と医師に懇願し、最後は自ら食事を拒み続けて亡くなった。医師は神でも聖人でも牧師(パトレ)でもない。

 しかし、病院ではただ単に「リスクがあります。何かあっても病院の責任ではありません。同意しなければ治療はしません」と「同意書」にサインさせる(*1)

 本来、病気や治療方法に関する必要な情報、つまり「診断の結果判明した病名」を知らせた上で、「いくつかの治療方法」を提示し、「それぞれの治療方法」、「(客観的なデータに基づく)治癒の確率(予防線を張るためでなく)」、「予測される副作用(責任回避のためでなく)」、そして「日常生活に及ぼす影響」などを患者が客観的に判断できるように「事実と選択肢」を提供し説明したうえで、患者の意志を訊く、というのがあるべき姿だろう。例え患者が「先生にお任せ(*2)」と言ったとしても医師には相手の理解度に応じて説明する倫理的義務がある。遺言書を作るとき、「法律のことは分からないから先生に全て任せます」と言われても弁護士はシメシメ、と勝手に決めることは許されないのと一緒だ。むしろそういうことをさせないのが専門家である弁護士の仕事である。不動産の売買でも重要事項説明というのが法律で義務付けられている。患者も何も使う薬の種類まで患者が口をだして一々判断したい、とか、患者が考えた治療方法を医者に強要したいなどと言っている訳ではない。腹腔鏡手術の練習をして名を上げたいからといって腹腔鏡手術しか選択肢を与えられないで人体実験の練習台にされるのはまっぴらという人もいるのだ。*群馬大病院の腹腔鏡手術事件など明るみになるのはホンの一部。

 どうせ患者は判断できないだろう、と説明と選択肢の提供ではなく単なる責任回避とフリーハンドを得る為にインフォームド・コンセントとは言えない単なる名ばかりの同意書取りの日本のほとんどの医師はこのパターナリズムの悪癖に染まっていると言っていいだろう。

 事実、私は東京の某病院で道化じみたオーバーアクションの医者が患者に対して上記のセリフを言っているのを聞いた。つくづく人をバカにした話である。もちろん患者とその家族達も終わった後「アレ何?www」「あーでもすれば安心すると思ってるのよw」「タダのバカじゃん」「単なる世間知らずなのよw」と言いながら帰って行ったのだが、知らぬは当の医者や看護師達のみである。

 

msh2.hatenablog.com

 

 

 間違った「インフォームド・コンセント」しかり。

 インフォームド・コンセントの誤用で「ガンですね、手術です、手術ミスで死んでも文句は言わないようにサインしてください。同意しなければ手術しませんよ、勝手に死んでください。どのみちあなた死にますから」という人体実験。

 

 つい最近でも群馬大学医学部附属病院の事件などもそうだ。

失敗しても開き直る。死亡した患者がいるのに同じ手術ミスを繰り返す。下手なのに態度だけはデカい—そんな医者はあなたの周りにもいる。

急増中!エラそうだけど、下手な医者「私、失敗しますので」 患者が次々と死亡する群馬大病院「ドクターX」はいなかった | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

 

 

“関係ないヨ”と思ってない? 医療倫理のはなし(3)

インフォームドコンセントって?
医療倫理の基本の「キ」

 今回はインフォームドコンセント(IC)について考えてみます。

 もともと、医療倫理は欧米から輸入されたものです。その中で広く受け入れられているのが「自律尊重原則」です。要は「医療行為を行うとき、第一に尊重されるのは患者の意思ですよ」というごく当たり前の考え方です。ICはその根幹をなしています。

 インフォームドコンセントとは、なんでしょう。「判断能力を備えた患者が、誰からも強制されていない状況下で、 十分な医療情報の開示を受け、それを理解した上で、医師が医学的に患者にとって最善と判断し提示した診療プランに、患者自身が同意し、医師の診療行為を許 可する」、という過程のことです。

 インフォームド(informed情報を受け取る)は受動態、コンセント(consent同意する)は能動態 で、あくまでも「患者が説明を受け、同意する」ということです。「説明と同意」という訳があてられていますが、これだと医療者が説明し同意を得るという ニュアンスが強く、患者を主体において「納得医療」という訳語をあてようという主張もあります。

「医療」じゃなければ許されない

 私たちの病院では、内視鏡から造影検査、ベッドサイドでの各種の手技まで、その実施にあたっては、全て患者さん から「同意書」を取ることになっています。その種類は膨大です。大きな声では言えませんが、それが形式主義的のようでいやなのですが(!)、日本という文 化の中で本当のICは根付くのでしょうか。

  「日常の診療行為に、いちいちICが必要になる」、これは日本人の発想からすると、少しばかり違和感があるかもしれません。でも、医師をはじめとした医療 従事者の行っている診療行為の多くを振り返ってみると…診察室で患者を裸にする、触る、性器や肛門に指を入れる、針を刺す、あるいは体にメスを入れる…と いった内容です。いずれの行為も、医療を離れて一般市民の常識で考えれば、許されないことですよね。このことをまず理解しておかなければいけません。

 ですから、当然のことながら、これらの医療行為の実施にあたっては、どんな形をとるにせよ患者の同意が必要なのです。

 一方で、「IC」イコール「同意書取り」という考え方も、もう一度見直してみる必要があると思います。

 臨床、臨床研究、医学教育などで世界有数の病院とされるアメリカのメイヨークリニック※心臓外科では、手術前に 特別に用意された同意書に患者がサインする、という習慣はないのだそうです。代わりに、患者が内科医、外科医を交えてじっくり話し合い、その内容をカルテ に記載し、それがICの代わりになっています。クリニック全体としても、定型的な用紙は無いようです。

 原則的な考え方は「患者に治療内容を充分に説明し、納得してもらうのがICの本来の目的。お互いの会話をカルテ に書き留めるのが一番だ。患者のおかれている状況や質問の内容によって、同意はさまざまな形をとりうる、定型的な一枚の紙切れにおさまるものではない」と いうもの(岩波新書『心臓外科医』坂東興著)。当たり前のことですが、日常の同意書取りに追われる身には痛い言葉でした。(安田 肇・全日本民医連 医療 倫理委員)

http://www.min-iren.gr.jp/?p=5588

 

 また、薬剤師の存在意義、医薬分業の意味とは、医者を信用しない、という事。貴族が、処方と調剤する人間を分けて、医者による暗殺・毒殺を未然に防いだのが起源だったはず(記憶では)。

 

 また、麻酔つまりアヘン系の麻薬や合成麻薬を多く取り扱う病院では、薬を横流ししてホスト相手に売買する看護師や、自ら麻薬中毒になる医者、看護師が多い。それゆえ、近年は薬の厳重管理がなされるようになった。また、製薬業界との癒着賄賂が横行し効果の無い薬が処方される事が横行したので、製薬会社からの接待などは禁止された。

 

 2010/09/19(日) 17:11:20 id:xfIDhDOf0.net

医者の仕事への責任感やモラルって物凄く低いし、人間的に最低なのが多いと思う。
自分が体験しただけでも、数え切れないくらい医者や病院で不愉快な思いをして、かえって体の具合をおかしくしたり、莫大な金額を詐取されたりもした。
あまりにも酷い医者や病院が多かったから、基本的に医者は信用できなくなった。

思うに、日本の医療が歪んでいる要因は、こんなことが挙げられるんじゃないだろうか?
・医者になるまでの間、ひたすら専門分野の勉強ばかりで、世の中の一般常識を身に付けないまま医者になってしまう。
・医者の肩書きが絶対的で、「先生」と呼ばれて常に周りから持ち上げられる存在で居続けることが、傲慢な態度を生んでしまう。
 一患者が何かいったところで、医者の言うことが絶対視されて全く相手にされない。
・医療行政がまともに機能していない。
 医療行為については行政の監督が全く及ばないため、誤診をしても、それこそ患者を死なせたり廃人にしても、外部からのチェックが働かないから何の責任も問われない。
 患者や患者の家族には、「最善をつくしましたが今の医療では治りませんでした」とかいくらでもごまかせる。
 病院でトラブルがあって役所の医療相談窓口に相談しても、「権限がない」「所管でない」とか責任逃れをして、結局患者の泣き寝入り。
 はっきり言って、医療の世界は外部からのチェックが全くない、完全な聖域になってしまっている。
・情報が極端に少ない。 
 口コミサイトとかネットの情報ですら、病院を絶賛するコメントしかなく、批判投稿自体を受け付けないため、評判を気にする必要すらない。
 一般企業だったら、ネットの情報や口コミで苦情投稿があったりして結構実態が分かったりするけど、病院や医者に関する情報は驚くほど少ない。
 サイトの運営者に圧力をかけてるとか、情報統制があるんじゃないかと思うほど。

外部から常にチェックが入って監視の目が及ぶような環境にしないと、日本の医療はますますおかしくなっていくばかりだと思う。

 

 

 

 同じように、看護師=性善説に立って物を考えるべきではない。

 

 

 それどころか、看護師という職にある限り、モラル倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚すべきなのだ。

 

 

ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」です。
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。確かに
病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領
( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。

看護の歴史と倫理に関する書籍の紹介 

 

 

 

 病院の医療者たちが、そういう教育も一切なければ、まったく無感覚にそれが普通となっている、という現実。

 

こういった人の重要な問題点は患者や家族とのコミュニケーションの不味さのみならず、その不満をナースステーション内に持ち込んで周りにそれとなく拡散するということでしょうね。
その言い方一つで、患者さん自身やその家族が証人無しでその看護師の一方的な発言で悪いのは私では無く、相手!という「雰囲気」になること。それが積もっていくと、看護サイドは善でクレームを付ける方は悪という独善的な組織が形成される可能性がありますこれは医療現場においては「恐ろしいこと」です。

 

http://chesterfield-va.blogspot.jp/2015/06/blog-post_24.html

 

利権と地位向上に血眼な看護業界団体

<看護職の特殊な心理>

 看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。

 実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。

 この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。

 

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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。

 大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。在任期間を考えても、医政局長は2年で次々とかわりますが、田村課長は8年もその職にありました。

 事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。


http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/07/post_2030.html

 

 

 看護師=性悪説

 

 看護師として、一般社会でどう思われているか謙虚に聞き入れ、自制し、人より高潔で高い倫理性モラルを維持するよう常に自ら努力すべきだろう。

 

 これまで書いてきたことに加え、制度的な問題として、

  1. 看護協会は、看護師の地位向上と権利拡大ばかりを主張するのではなく、海外のように看護師の具体的倫理規定を率先して設け、自ら資質の向上を図るべき
  2. プリセプター制度の撤廃。専門の教育係に教育指導を受けるべき。
  3. 新卒女性の優遇撤廃
  4. 勤続年数の上下関係禁止。勤続年数、学歴でも資格でもなく、別の評価基準で自然淘汰される仕組み、競争原理の導入
  5. 看護研究やりたい人に発表の場を。単なる夏休みの自由研究の強制は無し。学者か研究者の仕事。やるなら院内看護業務改善、研修・勉強会。
  6. 看護専門学校の教員に対する教育-外部講習等、学生からの定期的な評価制度の実施を行い、評価の悪い教員には再教育を導入
  7. 職員全員会話は「ですます調」を規則で強制。
  8. (極端だが)看護師免許更新試験制度の導入

 

 もっと「外の血」「外の知」を入れるべきなのだ。

 

 

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 そしたら旧態依然の硬直化してヤンキー風俗化している看護業界もっと風通しの良い業界になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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