看護師のなぜなぜ研究

ここが変だよ日本のナースさん

2章.看護師の特徴とクリティカルシンキング

 

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 そもそも看護師とは何か

 日本における「看護師」とは、保健師助産師看護師法に定める、「厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくは褥婦に対する療養上の世話又は(医師の指示に基づく)医師の診療の補助を行うことを業とする者」をいう。

 

 ナイチンゲールは「看護覚え書き」の前文にて、

Every woman, or at least almost every woman, in England has, at one time or another of her life, charge of the personal health of somebody, whether child or invalid,–in other words, every woman is a nurse.

全ての女性は、少なくともここ英国ではほぼすべての女性は一度や二度は子供や病人の健康に責任を持つ。つまり言い換えれば全ての女性は看護師なのである。

 

フローレンス・ナイチンゲール 〜「看護覚え書き」序文

 

と書いた。

 事実、病気の家族を長年看病している人は、病院の看護師よりもずっと経験も多い熟練した本物の看護師だったりするものだ。

 日本で言う看護師とは「職業看護師」のことである。アメリカ英語ではもっと厳密。日本のいわゆる「正看護師」を英語でいうと、正式には"registered nurse"という。直訳すると「登録看護師」というわけである。

 職業として登録している看護師でなくても、優秀な看護師は世の中に沢山あふれている。障害を持った家族や親を長年看病している人達、ヒステリックになったり虐待したりせずに何人もの子供たちを育て上げた世の母親たちはみな立派な看護師である。

 

そしてナイチンゲール結論として、

「看護師がなすべき事、真の看護とは、良き観察者となり、患者が自然の力で治癒する為にもっとも良い環境を整え患者の生命力の消耗を最小にするように整えることである」

病気や傷を癒すのは自然のみなのだ」

 

フローレンス・ナイチンゲール 〜「看護覚え書き」 14章 「結論」

と書いた。

 さらに、この「看護覚え書き」には追加された、補章 「看護師とは何か」(Supplementary Chapter: What is a Nurse?) という優れたまったく古びない内容の章がある。

  

看護師の「あいうえお」とは、患者が何を感じているかを、患者に辛い思いをさせて言わせることなく、患者の顔つき表情から読み取ることができることなのである。もしこの能力をまったくもっていないのであれば、あなたは看護から身を退くべきだ。
患者は牛でも無ければ壁に並べてキレイにして壊れないようにしとくだけの家具などでは無いのである。だから看護師は単なる機械やホウキ以上のものでなくてはならない。しかしながら現に看護師がしていることや出来ていないことから判断すると、患者はまるで家具のようなものだと言いたくもなるかもしれない。

 

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

これは確信をもって言えることだが、その患者にとって何が看護となるか看護師が知らないとなると、患者としてはそれを看護師に教えるよりかその看護師の怠慢を我慢しているほうがはるかにましなのだ。教えようとすると患者の心は乱れ、患者が弱っているときにはとても教えられる状態にはないからだ。とくに自分自身のことについてのことはなかなか自分から教えることはできないからである。

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 看護関係者のみならず、皆が一読されることをお勧めする。

 現実に今日本で働いている看護師達が真っ青になること間違いなし、だろう。

 

 

看護覚え書―看護であること看護でないこと

看護覚え書―看護であること看護でないこと

 

 この「看護覚え書き」を読んで、看護師とは何かを要約すると、

 
  1. 看護師とは、他者の健康に責任を持つ立場の人間である。
  2. 良き看護師とは、良き観察者であれ。
  3. 観察した事を生かして経験とするには、感受性と、自分の頭で考える事が必須。
  4. 経験が長い=良い看護師では無い
  5. 「まじめ、正直、貞節さ」はどの職業でも当たり前。看護師はそれ以上でなければいけない。
  6. 看護師は人から信頼されうる人間でなければならず、陰口や噂話しなどはもってのほか。
  7. 病を癒すのは自然のみ。看護師はその環境を最善に整えるのが仕事。
  8. ただし、その仕事は、清潔にして並べておくような「家具」や「動物」ではなく尊厳を持った病の人間を対象とするものである事を忘れてはならない。
  9. 役職や肩書きにあぐらをかいて必要な事をせず怠る人は看護の素質がない。
  10. 患者がないがしろにされるという「口実」で、「人様の使用人を顎で使う」ことなどすべきではない。
  11. 看護師の無神経さは病人への害に他ならない。
  12. 看護師は、自分が出来てないこと、自らの滑稽さ、などに自分で気づく必要がある。病人は看護師に指摘するぐらいだったら何としても耐えようと思う立場にいる。
  13. でしゃばるのでなく、不快感を与えない(黒子に徹するべき)
 
 私はこの本を読んで「目からウロコ」だった。やはり当然そうあるべきだよな、と。

 この本をおそらく学校の宿題で読ませられたはずであろう日本の看護師たちが、実際には真逆の状態に陥って「裸の王様」状態になっているのは、一体なぜなのか。(寝てたのかw それとも、このブログの検索キーワードから察するに、感想文の宿題をパクろうと思ったのかwww)

 

 前の章で書いたような現代の看護師の実態、日本の総合病院病棟勤務の看護師たちの何がそうさせるのか

 

 それが分かれば、改善の道筋が見えるのではないか。

 

腐ったミカン・割れ窓理論同調圧力

 有名な話で「割れ窓理論」や「腐ったミカンの方程式」がある。前者は「窓ガラスを割れたままにしておくと、その建物は十分に管理されていないと思われ、ごみが捨てられ、やがて地域の環境が悪化し、凶悪な犯罪が多発するようになる」という話しで、後者は「ダンボールに入ったミカンの内一つでも腐ったミカンが混じっていると、そこから腐敗が広まって他のミカンもその周囲から腐り始める。素行や性格の悪い生徒が一人いると、そこから感化され周囲の生徒達がどんどん問題行動を起こし始める・・・」という事を表した言葉。

 特に女性は、男と違い「共感」を絶対的に重視する。デカ眼鏡が流行ると女の子がみんな一様に右へ習えで真似し出すのと一緒で周りに流されやすい。だからルーズソックスとか..馬鹿の一つ覚えの様に真似しだす...。女性の中では見栄の張合いや仲間はずれにされたくない同化したいという同調圧力(ピアプレッシャー)が半端ないのである。そして、好いた男に感化されやすいのも女性の特徴だ。また、一緒に働いていると態度物腰言動が似てくるというのは実際のところ確かにあることなのである。

 

特に多いと思われるのはナースが働いているような女性社会です。なぜ女性社会が多いというと、女性は自分に共感できる人、共感できないできない人を分け、後者を敵とみなし、排除するために派閥を作りたがるからです。そして自分が標的にならないように同調するため、イジメを大人数で行います。どうしてなのか理解できませんが、きっと少人数でも女性が集まればグループや派閥を作りたがるの性質なのかもしれません。そのため、イジメや嫌がらせがおき、職場で窮屈な思いをされている方もいらっしゃいます。

http://www.presentware.com/bullying/

 

看護師さん、看護婦さんって親切な人が多いって患者さんは言うけれど

看護師同士だと結構ばしばしきついこと言うんですよね~。

それも結構KYはことが多い。

私は社会人経験をしてから看護師なったけれど、
ふつうは高校卒業してから看護専門学校に入って、すぐに看護師になった人たちばかり。

私がふつうとか常識に思っていたことがみんな知らなくってびっくりだったりするの。


でも看護師って年功序列制だから、なんかおかしなことも
いままではこうだったから~って変えずにそのままずっと慣例、習慣として残っているのがちょっと痛い。

風通しのいい職場になるにはまだまだ先かなーー。。。

 

看護師は意地悪というかKYな人が多い - 白衣の天使 看護と介護の真実知りたいですか? ナースの裏側暴露します

 

 特に看護師のようなヤンキー体質のままの体育会系上下関係が顕著な関係で、影響力のある立場の人間に見習い、従う事からこれは当然の流れとなるだろう。

 看護師は何かとこの「みんなやっているから」「だってみんなやってるよ」と言う。

 これには二つの意味がある。「みんなやっているから良いんだ」という言い訳「みんなやっているんだからあなたもやりなさい」という同調圧力。 

 そのうえ、日本では個人のアイデンティティを認める意識がまだ弱い。「個性を認めろ何をするのも自由」というのとは全く違う。自分と他者の人格を認め、人と自分は違うのが当たり前という前提に立って相手を尊重して理解し合うためコミュニケーションをとるということなのだ。基本単一言語で単一文化の島国日本人では、なかなかイメージしづらい事かも知れない。日本は集団という中では空気とか暗黙の了解とか固定化した確認し合うコミュニケーションを取ろうとする傾向があるのだ。それが個の同質化均質化を要求してしまう。それは異質なものや新しい概念の排除として働く。

 本来、生態系の維持には多様性が重要なのだ。ところが多様な意見を受け入れない、均質化された同年代、同性の集まりという種では、種の暴走の末の共食いが始まるのは必然である。

 

井の中の蛙、何も考えない

 看護師は特に若い新人の頃は先輩から全て教わり、言われたことをそのままやり、医師の指示の下に動くのが仕事であって、自分の頭でいちいち疑問を持ちながら仕事をしていたら「扱いにくい新人」と目をつけられてしまうだろう。だから余計な事は考えずに右へならえになってしまう。

 

今も昔も看護の世界は「上に言われたことを忠実に正確にこなしなさい」である。そこにはwhyの質問はない。whyがないということは、自分が知らないという事実を自覚する習慣を持てない、ということだ。いわれた通りにやっていれば世界は完結するのだから。しかし、自分の世界が世界のすべてであってはならない。そういう状態を「井の中の蛙」というのではなかろうか。たくさん勉強をするナースであっても、自分の世界観から自由になれなければ、それは単に「でかい井戸の蛙」に過ぎない。

ナースの世界の硬直性、封建制に多くの医者は気づいている。しかし、それを進言し、改善を促す医者は少ない。まあ、医者の世界も問題ありありなので、「人のことがいえた面か」という側面もある。しかし、本当のところは、ナースの世界が治外法権なので「他人が口を出す」のはご法度な空気が醸造されているだけなのである。ここでも、でかい井戸があり、その壁は「進撃の巨人」の舞台よろしく高いのである。(中略)

近年、ユマニチュードのように外からの黒船で既存の常識を揺るがすような動きも起きている。もっとナースも「外の世界」を知るべきだ。外国のようにやれ、と言っているのではない。それはそれで別の行動主義になってしまう。もっと自分の頭で考えるのだ。「なぜ、自分はそのような看護をするのか」、上司がいうからではなく、自分が考え納得するような形で考えるのだ。案外、井戸のなかの常識は考えてみると非常識なことは多いものだ。豊かな感性も、使っていないとすぐに錆び付いてしまうぞ。このままだとあなたの頭も空っぽになっちゃうぞ。ここがロドスだ、変わるなら、今だ。

georgebest1969.typepad.jp

 

 ナイチンゲールの時代から指摘されていたことである。

 

 しばしば、10年、15年と病人の世話をしてきた看護師のことを「経験のある看護師」と言う。しかし経験をもたらすのは観察によるものだけである。観察をしないものが50年、60年病人の世話をしても決して賢い人間にはならないだろう。

 それどころか、経験という言葉は時に逆のことを表す場合がある。「前任者の過ち」をそのまま繰り返している女性が経験を積んだ看護師と呼ばれたりする。(中略)

 そのような人達にとっては、どんな経験も教訓にはならず、自分や人が行うことの結果を見ることも理解することもできないだろう。Aがそれをしたからといって、Bもそれをして良いという正当な理由にはならないのだ。Aがした結果、良いと判明するならばそれは正当な理由となろう。

(中略)

 このように、知性のないただ従順なだけの看護師は、ある患者の毎日10時の世話をこの日は中止して安静を保つようにと指示された。するとその看護師は、その日一日夜まで真っ暗闇に患者を放置したのである。そしていつもの終夜燈を付けなかったのはその指示があったからだと主張した。このような調子で、大雨や濃霧でも窓を開けっ放しにしたままであったり、患者が気を失いかけているときに閉め切りになっていたりするのは、誰もが経験していることだ。

 

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

しかし多くの看護師は、これを苦手としています。中堅の看護師が困難事例にぶっかった場合、どのような行動をとるか、というインタビューの結果を見たところ、次のような回答がありました。

・先輩や同僚と話し合い、出た意見を自分なりにまとめて解決策を考えるが、うまくいかなければ仕方がないと諦める。
・とりあえず、最低限の問題解決ができる範囲で解決策を立て実行する。その後は、さらなる改善や問題点を考え直したりはしない。そもそも忙しく、無理である。
このような思考や行動から、発生した解決困難な問題に対する看護師の思考パターンが見えてくる。

  1. 未経験のことや、知識のないことはわからない。解決できない。
    →解決策は、自分の経験や知識の中にある。
  2. うまくいかなかったら諦める。
    →解決策は、0か100である。
  3. 誰かに聞いたり何かを読んだりして、それを真似てやってみる。真似してうまくいかないと、途中で投げ出すことが多い。
    →解決策は、何かを真似ることである。

ここから、「答えを自分の知識や経験あるいは他人に聞くことで導いており、自らが思考し答えを導き出すという習慣が弱いという看護師の特性を見ることができます。

 

http://www.pier-online.jp/work-of-nurses

 

 まずは同じ事をしていれば無難で非難もされない。だから真似から始めるのは罪ではない。ただし、なぜそうなのか頭で理解し本当にそうなのかを考え常に改善していくというのが本当なのだが…看護師達はそれができているとは思えない。

 他の業界では新人が新しい技術やイノベーションを起こし会社のみならず社会を動かす変革を起こすことさえあるが、封建的な絶対君主制の下では改善どころかか進歩も発展も革新も何も起きない。むしろ足の引っ張り合いという潰しあいが起きる。

 

クリティカルシンキング

 アメリカの教育では、基礎教育を終えると、何よりもまず先に「批判的思考」つまり「クリティカルシンキング」を叩き込まれる。高校生から、暗記が終わり、思考することを要求・訓練されるのだ。

なぜ?本当に?君はどう考える?と。

 日本の教育においては従来から、鵜呑み、暗記と右へならえ、である。特に看護師は教育からその職業内容からしてずっとその環境なのだ。物事の全体像を見ない。背景事情、ウラを考えない。表面だけで、本質とか、なぜなのか考えない。

 よって、

俺は医療法人への勤務医だが
看護師の世界しか知らないナースって、 
世間知らずで、非常識な人間が多いよな。 
これは専門卒大卒に限らず両方に当てはまる。
とにかく即物的な女が多くて、表面的な情報にすぐに流されてしまう。 
街の中で大量消費したり、ブランド物を買い漁っている看護師も多い。 
男漁りも酷い。

 

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1339522433/

 

 という結果になる。

 看護"研究"が単なるアンケート取りになってしまったりするのも、そういった教育や訓練をされていないからだ。

 つい最近になって、カッコつけてカタカナで「エビデンス」(証拠は根拠はデータは)...などとやってるが、それは単なる機械、マニュアル人間である。データを元に行動するだけなら、プログラマがすべて自動化、機械化できる。

 

function If (a-nurse is stupid)

then

  ignore a-nurse();

end.

 

 単純である。

 クリティカルシンキングにもなっていない。根拠となる前提や前例を疑え、と。自分でなぜなのか考えて試して結果を観察して効果を検証して、本質を学べ、または既存の既定概念を覆せ、と。

 クリティカルシンキングを意識して使うには、常に自分の思考に突っ込みを入れる客観的な第三の視点というもう一人の自分を持てば良いのだ。

 しかし看護師はなぜか本当にこの「みんなやっているから」というセリフが多い。それがすべてを正当化できる根拠のように。

 

看護師の職場の特殊性とは

 

「職が人を作る」のか、はたまた「同類が同じ職に集まる」のか...ー

 

 看護師の職場環境といえば、

  1. 怪我人や老人、病人という世話を必要とする弱者を相手とする
  2. 女性が多く看護学校時代から女子校特有の環境で病院でも学生気分の人間関係のまま
  3. 単なる勤続年数、またはヤンキー軍隊式の、絶対的上下関係、排他的、封建的、独裁的な序列文化
  4. 実力主義成果主義」ではなく、蹴落としたもの勝ちと「事なかれ主義」という人のあら捜しと足の引っ張り合い
  5. 能力評価基準(成果物、営業成績結果等)が無いので内部で排除圧力が働く
  6. 不良高校や元々素行が悪かった人も多く混じっている
  7. 日常的に不特定多数の異性の裸や陰部を見る、肌や性器を触る
  8. 就活という選別を経ず、医療ミス以外何をしてもクビにならない(と思っている)
  9. 転職が容易で、組織への責任・帰属感がないので看板評判という抑制が効かない
  10. 学校の看護教員はただの元看護師
  11. 人の不幸や死と接するので、人の感情に鈍感、倫理に無感覚になりがち。
  12. 対人援助職希望者に多い共依存傾向
  13. (番外)B型女が圧倒的に多い

 といった特徴があるかと思う。

 

 この職場の環境と「看護師は○○な人が多い」という傾向は大きな関連がある。人間は弱いので、周囲の環境によって気付かぬうちに、集団の中でも悪い方へ楽な方へと感化されていってしまう傾向があるからだ

 一言でいうと、「染まる」。周りに流されると言ってもいい。「水は低きに流れ、人は易きに流れる」とも言う。

 なぜなのか考えないで単にみんなと同じことをする傾向がもっとも強い人達が看護師達であり、その「みんな」という周りの男達を含めた人間性の質と振る舞いが致命的に問題なのが看護師なのだ現代の看護師達の世界では、それがタメ口、酒、タバコ、ギャンブル、汚い茶髪金髪、お水に風俗、不倫に浮気だったりする。「はぁ?みんなやってるし~」「マジメ~だっさ。嬢ぶってんじゃねーよ」「看護師だからってなんで、他の人も同じだし~」と簡単に開き直って考えることを放棄してしまう。下品以下のな女だらけの環境に居ると、下品なだけまだマシになってしまうという看護師のレベルに中に居ると気が付かないのだ。

 

看護師は皆、人から「信頼されるうる」看護師でなくてはならない。それを忘れてはいけない。
(中略)
看護師は他人の噂をふれ歩くような人間であってはならない。作り話をしてはならない。担当患者について知る権利のあるもの以外には口外してはならない。
言うまでもなく当然のことであるが、看護師は真面目で正直でなければならない。正確に素早く詳細を観察できなくてはならない。また繊細なデリカシーのある感受性豊かな女性でなければならない。

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 視野が狭すぎるから看護以外の業界について学ぶこともせず、傲慢で視野も狭く、歴史政治経済文学など外の世界を見ることをしない。世間の中での立ち位置を知らない。

 

資格取得後20年超の看護師で、約10年前から、企業の産業看護師をやっています。
企業は当然女性だけの職場ではなく、男女混在しておりますが皆さん本当に紳士・淑女であり、お互いに尊重し合える風土があります。病院の看護の世界だけしか知らなかった時の自分がいかに井の中の蛙が思い知らされました。
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企業勤めから看護師になって最低限のマナーも教養もない人しかいないと思いました。
それでも同僚として仲良くやりたいと頑張ってましたが、理不尽な嫌がらせやいじめばかりです。それに仲良さそうにしてても裏では悪口ばかりで、自己中な幼稚な人しかいません。患者さんにも偉そうで、医師の方が低姿勢です。
私は2年勤め来年には企業に戻ります。2度と臨床はしません。
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私は新人の時に師長から「看護師は水商売だ」と言われました。信じられますか?これは昭和の話ではなく、平成の話ですよ。
私は看護師全体の地位を上げるとか、労働環境を良くしていくとか、看護師同士が女性性をお互いに大切にしていくべきだと、…そういう教育を受けてきました。だから看護師がそれぞれ自分だけの狭い利害で、お互いに首を絞め合っている現実は、カルチャーショックでした。

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あーあ、やっぱり女性&看護師は面倒くさい。ねちねち、どろどろ、競争心。女性特有の「相手がどうすれば嫌がる」を狙って仕掛けてきますよね。面倒くさい。

  

 病院によって物凄いムラ社会ができあがってる。

そのムラ社会は一つの人格がとなり、個人の思考や価値観はムラに合わせる事が強要される。
そんなムラ社会の中で自分の立場を守ることにしか、個人の思考は働かない。
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俺もガキの頃は看護師って素晴らしい人格だと思ってたけど、現状は全く逆だわ。
群れてわけのわからん意見を主張してる時の目つきなんて、到底人間とは思えん。
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実際ヤンキー上がりが多いんだから仕方ないだろwwww
DQNの先輩のお母さんだって看護師だったわwww
 

 

看護師に不思議と共通してるのがイキがる性質です。悲しい事に、イキがるけれども知識の裏付けがないため、まともな相手と論争になると最後に必ず恥をかきます。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1284533392

 

  僕が初期研修医として所属するA市民病院は、田舎の2次救急病院だ。

 医師のクオリティも低いが看護師のクオリティも低く、

 ナースステーションでは、看護師が患者の悪口をサカナに仕事をしているのをよく見るし、

 患者に上から目線で汚い言葉を吐く看護師もいて(女性ですよ...)、

 看護師というのは何と下品な職業のやつらなんだろう、と思ったものだ。

...

 日々の単純作業を何年かしていれば業務にも慣れ、それなりにできるようになる。

 たかがそんなことで驕りが生じ、

 後輩看護師や、動きのノロい(と看護師が感じる)患者に、高飛車に怒鳴るベテラン看護師。

 アホか。

 10年目くらいの看護師に、そういうのが何人かいる。

...

僕が入職したてのころ、ベテランおばはん看護師から

 「センセーの奥さんは何してる人?」

 と聞かれたから、

 「主婦ですよ」

 と答えたら、

 「え? 主婦? 主婦って仕事しない人? 仕事しないで何してんの?」

 と、ブルドックのような顔で汚い言葉を返してきた。

 「いや、別に、家事とか趣味とかしてますよ」

 と答えたら、

 「へーーーーーーー。それだけ? ようやるわ」

 と言ってきた。

 このオバハン看護師、ぶっ飛ばしてやろうか!!

 と思ったが、入職したてのころだったので、僕は笑みを浮かべてそのオバハン看護師の前から去った。

 この後、看護師の中には、何か勘違いしながら生きている人が少なくないと知っていくことになる。

 

怒鳴る看護師、怒鳴らない看護師

  

 20歳そこそこの彼女たちには全員オトコがいるが、中にはこの1年間で4人もオトコを取っかえ引っかえしている輩もいるし、言い方は悪いが、風俗嬢だかなんだかよくわからないようなのもいる。実のところ、クリニックでナースをしながら空いた時間で風俗嬢をしてお金を稼いでいるというナースも現実にいる。感染防御だけ気をつければ抵抗ないのだとか。

 喫煙率も高い。先日もある病院に研修で出向いたら、喫煙所にたむろしているスモーカーは、男よりも女が多かった。看護師や介護士の女たちである。

 末尾の統計データにあるように、ナースの喫煙率は国民平均喫煙率よりも高い。一方、医師の喫煙率は国民平均喫煙率よりも低い。

 なんだか、不良少女の集まりかと思しき集団であったが、、、若いナースが集まると、しばしば、こうなっちゃうんだよな。

 白衣の天使──なんていう、言葉があったっけ?

 それなりに医療に対する志を持った人がナースにならないと。。。なんだかおかしなことになる。

 就職したての、たくさん勉強しないといけない最初の1年間にオトコを4人も取っかえ引っかえしているナースを見ていると、そういう人にとっての“社会人”とか“仕事”の意味合いというのは、男にとっての意味合いとは、ずいぶん異なっているように感じられる。

 

若いナースとの飲み会

 

 確かに昔よりは一般家庭の子が看護師になりたがってるのは増えたとは思うけど
でもそれは看護師の地位向上のための動きのステマっぽいものだと思ってるw
メディアなんかを通して、看護師は「素晴らしい仕事で人から感謝されて
なくてはならない存在で、、」っていうのをアピールして、終いには他の職業を貶めるような看護師まで出て来る始末
完全にやりすぎ
言いたい事は分かるんだけど、そういう「美化」された部分しか大々的に流さないから、実際に夢を持って看護師になった子は現場の看護師の性格の悪さキツさイジメなんかを目の当たりにして辞める子多いしね
んで「忙しい」が口癖で世界で一番辛いのは私と言いたい風w
その仕事選んだのはあんたたちだし、っていうか私たち医者の方があんたらより忙しいわwww
そういう人がなりたがる職業でもあるんだろうけど
一般人が思ってるより看護師はホントに馬鹿のくせに偉そうで、守秘義務も守れない常識ない人多いよ
それに、医者と張り合う看護師なんてちゃんちゃら可笑しい
役割が違うし、修了するための単位も難易度も遥かに差がある
でもそれを認めたくなくて、次は「家柄が」「育ちが」「医者だって馬鹿だし」「私立医のくせに」とか
もうお笑いよ
そう言う割には医者との不倫は当たり前みたいな看護師も居るし、デキ婚狙いもたくさん居るw
男医師には媚売りまくって、女医や他の女性職員には冷たく当たり散らしたり馬鹿丸出しw

http://archive.2ch-ranking.net/archive_i.php?board=sousai&time=1331594347

 

女は感情的&優越感に浸りたい生き物、忙しいなりにもそれなりの給与手にしたら他人を見下すのは当たり前。まして底辺育ちなら尚更。
謙虚さがない辺り、浅学さが滲み出てるのが痛いほど分かるよね。

http://archive.2ch-ranking.net/sousai/1381145582.html

 

女性は時に感情的になりすぎる

男性は目の前の事象に対して感情は持ち込まない
これらの古くから忌み嫌われてきた「女の職場の嫌な部分」を男性看護師が和らげてくれる材料になると思うのです。

私の男性看護師と共に働いた手術室での経験

これは私が手術室看護師として、ある大きな病院に勤めていた時の話です。

手術室という部署は、全体的に男性看護師が少なかった以前の医療現場の中でも、比較的男性のいる割合が多かった部署です。

しかし、女性の方が圧倒的に多いことに変わりはありませんでした。

女性が18名くらい、男性は6名くらいの部署でした。

女性は色々な事柄に対して“自分の感情を含めたがり”ます。

これは、自分が気に入らない後輩や同僚に嫌がらせをしたり、いじめたりすることにつながっているのではないかと思います。

そこに「性格」が加わると、程度や公私の境界線がぼやけてきます。

一方男性看護師は、そこにあくまで「仕事」をしに来ているので、よっぽど度を越す迷惑をかけたり事故を起こさない限りは、他人に「好き嫌い」を示すことはありませんでした。


http://nurse-jobswitch.com/category39/entry248.html

 

母性は、わが子を守る本能によって、公平であり得ない。
 女性は、なかんずく母性は、わが子を守る本能によって、公平であり
得ない。その原理が拡大して、夫や恋人や家族にも適用される。
 よって同族会社では、女性役員の不平等な判断の弊害が頻出する。
 
 男性は、なかんずく父性は、わが子(男子)を敵対視する本能から、
古来エディプス・コンプレックスの悲劇が多発している。ただし、公平
と平等の認識に昇華すれば、ときに指導者としての尊敬を得られる。

 

たまに看護師の拡散思考ぶりに笑えることあります。

絶対その2つの事象は関連してないよねwって事でも平気でベラベラ言える人が出世しますw

 

何が言いたいかって、複雑な物事をシンプルに考えるのが好き!って言う人には

看護師は絶対向かないよ!って話です。

いや「俺が看護業界変えてやるんだ!」って意気込みでやってみたいならどうぞw

そもそもこの業界の土壌がそうですから。

自分が収束思考型だなぁと思うならプログラマーとかになった方が絶対人生楽しいと思います。

 

前にナースが拡散思考過ぎて笑えたのは

「この患者さんの痰が多いのはinが入り過ぎたせいだ!」

って上司が言い始めて、それに対して俺が

「いやいやin/out+になる前からずっとこの人痰多かったですよね?」

って突っ込んだらムスっとされたことですw

 

コイツ生意気に反論しやがって、みたいに思われたんだと思われますw

 

ほぼ妄想みたいな意見でもドンドン上に上げた方が偉いとか凄いとか評価される業界。

それが看護業界。

 

さぞ医師の方々は大変なんだろうなあと思います。

だって看護記録って統合失調症かってくらい拡散思考を羅列してる人ザラにいますw

そんな無駄だらけの情報から大切な情報だけ抜き出して

診断つけたり治療方針決めたりしないといけないんでしょうね?

(かといって医師は一人一人患者さんジックリ診る時間は無いんだろうけど。)

 

看護学校でやたらと「クリティカルシンキング」って言葉が取り沙汰されるのは

女の脳みそが拡散思考型だからですよ。。

ほら女って論理的じゃないでしょ?

 

説明すればするほど「もう考えるのやめた!」みたいに投げ出して

直感で決めたがる癖あるでしょ?

男から見たらほんとアリエナイ話なんですけどねw


次に

大学病院の性格悪いお局看護師がよく言うセリフ紹介します。


「この患者さんがどこに注意して看たらいいかわかってる?」

「あとは?」「それだけ?足りない」

「そんな知識量じゃあなたにこの患者さん受け持たせてあげることはできない。」


つまり、お局よりもむしろ正しいアセスメントをたとえ述べられたとしても

そのお局様の頭の中のアセスメントと一致するお気に入りのフレーズ言わなきゃアウトです。

 

人間の体なんてブラックボックスだし考え出したら無限大に問題点出てくるのに

「私たち先輩の頭の中で考えてる事当ててみなさい!

当たらなければアンタの勉強不足だから患者さん受け持たせてあげません!」

って言い切れるお局すごい笑えますねw


人間の体から出る二つの情報を関連させようと思ったら

人間の体なんて繋がってるんだからいくらでもつなげて説明できますね。

これは裏を返せば、新人をいじめようと思ったら、

いくらでも際限なくいじめられるということです。

お局さんより学生さんの方が純粋な視点で見る分

よっぽどアセスメントが的を得ていたりすることもあるのですけどね


看護師は楽な仕事です。

年収500万とか新卒から平気で貰ってるくせに、何かあったら責任は全部医師にあります。

こんな責任も軽くて楽な仕事、他に無いんじゃないでしょうか?

マジ基地外のパーソナリティー障害のお局が間違った事主張してても

「ソレ間違ってます」なんて真っ向勝負しかけず、波風立てず、飄々と生きましょう。


次に

大学病院の看護師の新人教育でよく見られるシーンを紹介します。

 

お局看護師「私そんなやり方教えてないけど!貴方患者殺す気?怒」

新人Ns「え?この前先輩から教わった手順をそのままやってるんですが。汗」

お局「あーこの患者さんの場合はね◯◯だから特別に違うやり方でやるの!

はいアクシデントレポート書いて。」

新人「は?はい。

(それ先に教えろよカス、事前に教えようとしないアンタも同罪だろ。患者殺す気か?)」


女性ならではの、後だしジャンケン的なこの腐った性格ですね。


私は転職を7回してますけど

看護業界どの職場にも小姑みたいな「後出しジャンケン」大好きっていう性格の女が必ずいますね。

決まって見るからに意地悪そうな人相しています。


新人が自分の手技の不備を責められたとき

「この手技は貴方がた先輩から自立を貰ったんですよ?

自立認めるのなら先に例外や特別パターンも含めて予め教えておかないと

事故になりかねないですよね?」

なんて正論で言い返す新人居たら職場の空気壊れ、

その新人は遠回しの圧力イジメで自己都合退職に追い込まれます。

 

そういう頭おかしい人って

世の中のきっと一握りだけだろう

なんて以前は思ってましたが。


いざ就職してみると、7つの職場で大半の女が

後出しジャンケン」大好きな小姑みたいな性格してることがわかりました。

女は理屈が通用しないですね。

あらかじめ新人に教えておく責任が先輩側の方にこそあることを

女上司はなぜか理解出来ないみたいです。

 

今、看護業界に一番浸透しないといけない考え方は

①部下のミスはすなわち上司のミスであるということ。

②部下にミスをさせてしまった上司は

部下に対して「ミスさせてしまってごめんなさい。私のフォローが足りなかったせいです。」

と謝れる心を持つことです。


http://ameblo.jp/kangosiyameta-pdd/entry-12095246376.html

 

 いやホント。 

 

 

 有名なコピペ。

女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』

 

女性は感覚的にものごとを受け容れますが、男性は理屈で割りたがる傾向があります。これは子どもであっても変わりません。女の子は感情的に叱りつけても理解してくれますが、男の子には感情論は通用しないことが多いです。男の子を叱るときにはどんな工夫をすればいいのかについてチェックしてみましょう。

 

女の子は感覚的に叱っても大丈夫だけれど……

ことさらに指摘するまでもないことですが、あらゆるものには原因とそれに伴う結果がつきものです。例えば、子どもの成績が前よりも下がったというような場合であっても、何の原因もなくそうなるということはありません。例えば勉強をサボっていた、授業に集中していなかった、他のことに気を取られていて勉強がおろそかになっているなど、何らかの原因があるはずなのです。

 

料理の話になりますが、調味料の使い方に「さしすせそ」と呼ばれる基本的なやり方があります。料理で調味料を使うときには、砂糖、塩、酢、醤油、味噌の順番に使うようにする、というものです。これは経験的に正しいというだけのことではなく、きちんとした理由があります。例えば塩の分子は砂糖の分子よりも小さく、先に塩を使ってしまうと具材の中に砂糖の味が入り込みにくくなるため、砂糖は塩よりも前に使う、といった具合です。

 

このようにものごとには原因や理由がかならずあるものですが、女性の多くは理屈はどうでもよく、体験的に、あるいは感覚的にものごとを捉えたがる傾向があるようです。

 

先ほどの「さしすせそ」についても、砂糖を使う前に塩を使ってしまうとあまり味がしみないから、といったようにきちんとした理由ではなく体験でその順番を把握している人であったり、「理由なんか知らないけどとにかくその順番なんでしょ」といったようにそもそも理由に興味が無いという態度を取る人が多かったりします。

 

これに対して、男性の多くはものごとに理屈を求めたがります。「さしすせそ」についても、前述のような根拠を示されるまでは納得しない、というような人が多いのです。

 

こうした傾向は大人だけでなく子どもの時にも見られます。男の子は、どんなことであってもまず「どうして?」と考えてしまうのです。キッチンでお母さんが料理をしている時、「鍋の蓋はぜったい取らないで」と言われて素直にそんなものかと納得できるのは女の子で、男の子は理由を聞かないと納得できません。

 

例えばオーブンでシュークリームを作っている時。生地がふくらみかけている途中でオーブンの蓋を開けてしまったりすると、生地がふくらまずしぼんで失敗作になってしまいます。お母さんがキッチンで難しい顔をしている時、女の子はすぐに余計なことをして邪魔しない方がいいなと感じ取ることができるものです。しかし、男の子の場合はそうはいかず、好奇心に突き動かされてオーブンの蓋を開けてしまったりすることがあります。

 

子どもがそんな行動に出たとき、つい感情的になって頭ごなしに「何やってるの、邪魔しないで!」と叱りつけてしまうこともあるでしょう。叱られたのが女の子の場合、たとえ感情的なしかり方であっても、自分が何かまずいことをしでかしたんだ、と悟ってくれます。

 

しかし、これが男の子の場合はそう簡単にはいかず、なんで怒ってるの? とか、僕は何か悪いことをしたの? と考えるのが関の山なのです。そして、何かしたときに感情的に叱られるという体験を積めば積むほど、男の子は親に対して距離を置くようになってしまいます。

 

このことは勉強するときでも同じです。親が勉強しなさいと叱った時に、女の子がつべこべ言わずに机に向かうのに対し、男の子はそうはいかず「今日は遊びに行きたいのに何で勉強しなきゃならないの」と考えるものです。そこでヒートアップして「毎日ちゃんと勉強しなさいっていつも言ってるでしょ!」などと怒鳴っても結果は同じです。

 

女の子は、「また怒られるから先回りして宿題やっちゃおう」ぐらいに考えて行動に移しますが、男の子に感情論は通用しません。そのたびに「よくわかんないけど怒ってる」ぐらいにしか捉えてもらえないと理解しておかないと、ストレスばかりためることになります。

 

男の子に接するときには少々理屈っぽく

だからといって、やってはダメなことを教えたり、きちんとした勉強の習慣をつけるように指導するのは親の仕事です。「この子は怒っても聞かない」「どんなに言ったって分からない」などとあきらめてしまったら親としての役割を果たしていないと言われても仕方がないでしょう。どうにかして理解させる必要があります。

 

最初に、「どんなに言ったって分からない」というのは親側の怠慢であるということを認識することです。「どんなに言ったって分からない」のではなく、「子どもが分かるような言い方で言っていない」にすぎないのだと考えを改めねばなりません。

 

お母さんは女性ですから、女の子については自分の感覚である程度理解できます。同じ女の子だからこんな言い方である程度通じる、というところが見えるわけです。しかし男の子は小さいといっても異性ですから、どんなふうに言えば通じるのか本質的によく分からないのも無理はありません。

 

男の子を叱るときに大事なのは、理屈を通して分からせることです。男性というのは大人も子どもも、理屈を通してでないと理解しようとしない存在です。何かが分からないときに、どうしてそうなるのかということが理解できないとダメなのです。

 

これは親に叱られた際でも同じです。どうして自分が叱られたのかが理屈で理解できないと、それがいけないことであるというふうに理解が進まないのです。女の子は「怒られたイコールそれはいけないこと」という理解ができますが、男の子はそれでは理解できないと考えるといいでしょう。

 

シュークリームを作っている時に好奇心でオーブンを開けてしまった時の例で言えば、「何やってるの、邪魔しないで!」で通じるのは女の子です。男の子の場合、「シュークリームはね、オーブンでいっぺんに熱を加えないときれいにふくらまないの。途中でやめると、そんなふうにぺちゃんこにつぶれてしまうのよ。だから、焼いているときには絶対にオーブンの蓋を開けちゃダメなの、わかった?」というふうに筋道立てて教える必要があります。

 

さらには、オーブンで調理するとシュークリームが膨らむ理由まで説明できればもう完璧です。男の子であっても、そういう形で理解すれば今後は邪魔することはなくなります。

 

このようなやり方は一見面倒かもしれませんが、幼いころから理屈立ててものを考えることで男の子はあらゆることを理論的に考察する傾向を身につけていきます。そしてそれは結果として男の子の頭を良くし、勉強の方にもいい影響を与えることになります。感情的になって怒鳴ってばかりいるとこうした傾向が育たず、男の子は学習能力を伸ばす機会を失うという考え方をするようにしてみて下さい。

 

男の子は理屈で生きる生き物ですから、接するときにはこちら側も多少理屈っぽくする必要があります。理屈で理解させるには説得力のある表現が大事になってきます。完全に理解できないまでも、ものごとには原因と結果があるのだということだけでも理解させればOKです。そうやって培った理論的な考察力により、男の子は理系的な強みを発揮できるようになっていくのです。


http://kosotatu.jp/parenting/%E7%94%B7%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%92%E5%8F%B1%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E7%AD%8B%E9%81%93%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%81%A6/

 

  あくまでも傾向。でも本質的に、男性性と女性性は異なって当然。

 

 優劣があるないという話ではなく、「違い」があり、「それを意識すべき」という話し。

 例えば、「傾聴」だの「共感的態度」やら「オウム返し」的、超絶バカすぎる卓上テクニック。もうバカバカしすぎてあえて書くのもくだらないが、人間を馬鹿にしてるのかとしか言いようがない。男にとってみれば、「くだらねぇ『共感』だの『傾聴』だの下らない事をしている暇があれば問題解決に動けアホが」の一言で終わる。

 「患者に寄添って」などと、風俗嬢か水商売の場末ホステスかよ、と。

 よくある男と女のすれ違い、女脳と男脳、感情の生き物と理屈の男、というヤツだ。

 

患者が最も望んでいることは、そんなことについて口を利くように強いられたくない、ということなのである。
 教養のある階級の病人は、誰しも自分の担当看護師に対して必要な時を除いて出来るだけ部屋の外に出て行って欲しいという望み以外は何ももっていない。これは現在どんな(酷い)看護がなされているかを物語るに十分な証拠である。(中略)
「もし私が重症になっても、私がなすべき最後のことは、看護師を部屋に呼び入れることではないだろう。少なくとも私が正気の間はね」というのだ。
 現在のところ、看護とはそのようなもとなってしまっているのである。教養ある人々の間では、看護師が部屋に入ってくる恐怖に比べれば、一人で死んでいく恐怖はその半分もないのである。

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 で、患者に対しても同僚に対しても頭ごなしに感情的になる看護師が多いのは、男女のこの傾向を理解していないから。看護師としても失格で母親としても失格。こんなのだからけだから、こんなのだらけになってしまう<-トートロジー

 

 

看護におけるクリティカルシンキング

 

 社会人を経験していない看護学生が、そのまま感化されるのが病院の環境であり、その狭い病院の人間達(とそれに寄ってくる人間達)が非常に問題なのだ。真面目な人ほど悪いほうに順応しようとしてしまい、その環境の人達しか知らないと異常さに気が付けない

 

件名:皆さん、どう感じていますか?


私は、一般企業で社会人を務めたのち看護師になりました。

年齢が30代だったので、新人から民間の病院に勤めています。
看護師って、一般社会では通用しないようなパワハラが公然に行われている環境のように思えます。

また私は以前も、サービス業界で働いていたのですが、看護師って
プロ意識が低いような気もします。
仕事でお給料をもらっているのだから、裏では辟易していても
お客様の前に出る時は、意識を変えて笑顔で接客します

でも看護師って、平気で患者にも高圧的にふるまう人もいるし
スタッフ間でも、嫌味やそしらぬ顔で協力の「き」の字も感じさせない人が多いと感じます。

他職種の人って、サービスってプロ意識で考えてるんです。
よく看護師はサービス業じゃない!と言う方いますが、
サービス業じゃ無くても患者への対応は、治療の一環だと考えられてる方って少ない気が・・。  サービスじゃなくても、看護師の対応って治療のプロセスだと思うんです。自分の対応が治療の一環だとも理解できないプロって、プロですか? 

パワハラなんて、今どき考えられない状況が暗黙の了解みたいにはびこってるし。
あと看護師の方って、特権意識が強い方が多いとも思います。
何か看護師は、特別な職業で、それを行ってる自分は優れているみたいな。

自己愛型・境界型に近い人格の方が多いと思えます。
自己掲示欲の強い・支配的・幼稚な自己愛性質・勝ち負け思考が強い。
弱っている人に寄り添うこと、本当に考えているのか??と思う人が多いです。

スタッフも人間ってこと、考えて無い人も多いように思います。
何かと競い合う性格の人も多い!
こちらの掲示板にも書かれてますが「知らないの?」とか
いういじめ。 ヒドイ人は人間を「使えない」とか言っちゃってます。
今自分が知っている事が、世の中の1部分だなんて考える賢さもなく
すべてのことを知っているかのように思い込み、他者を馬鹿にする人達。
一生知らない事はある・・。という当たり前なことも考えつかないで
自分に新人の頃があった事も忘れて、ただ自分の自己満足を満たすために
他者を馬鹿にする、謙虚さも賢さも無い人が多いと感じます。

人間の深い部分に携わる看護師が、スタッフをいじめる。。
私は留学の経験があるのですが、日本人は感情の処理が下手だと思います。
看護師は職場で、スタッフをいじめたり、嫌味を言ったり
仕事場で、個人の感情の処理をしてしまう人が多いと思います。
それこそ看護師なんだから、セミナーにでも行ってきなよ!と思う人が多い。
仕事と個人の境界線が、曖昧な人も多数いると思います。
感情の処理と、傾聴もままならない人も多い
へたしたら看護師より営業職の方の方が、傾聴が上手い人っています。
看護師って他の職種の人達も、看護師と同じくらい
同じような気配り・心配りしながら仕事しているって、認識してないと思います。
他職から看護師になったので、いろいろ気がつきます
ずっと看護の世界にいると、視野が狭くなりそうで怖い。
趣味でなるべく他職の方たちと、交流をもつようにしています。

夢を持ち看護師になりましたが、看護師っていうだけで
人間性を磨こうとしている人、少ない気がします。
仕事の知識・技術って必要だし絶対大切だけど
この仕事、心を磨くことも本当に必要なスキルだと思うのですが。
幸い、数人は思うような看護師に出会えましたが
本当に少ないです。
そんな先輩は、本気で尊敬しています。
こんな環境で、心を見失わずにいるなんて
自分に厳しくなくちゃできませんから。

私もそんな看護師になりたいけど、なんだかなー??です。

看護師になって思った事。
古い・・。 教育に対する意識が古く、体育会系のノリ
甘い・弱い・などと、人のいろいろな側面を見ようともせず、
人の人格を傷つけるようなことを、平気で教育だと思い込んで言ってしまう人が多いと思います。

極端な思考の方・2者択一みたいな思考の方も多い気が・・。
看護師も人間だから、弱る時もあるし、元気の出ない時もあります。
そんな疲れた同僚にさえ、思いやりを示すこともできない人達。

看護師って学生の時から、個別性とか勉強させられるのに
思いっきり自分の価値観でしか、他者を見ることができずに
患者の痛みにさえ「あれくらいでうるさい、少しは我慢しなさいよ!」などと言ってしまう人。

勉強、って、いったい何を勉強してるんだろう??と思ってしまう。
机の上の勉強はできるのかもしれないけど、人としてどうなのよ??と思う人多数。
他の書き込みにもあるように、看護師なのに
メンタルに理解のある看護師って少ないと思います。

はっきり言ってメンタルの悩みがある人に
「気が弱いとか、甘い」とか言ってる時点で、看護師として
もっと勉強したら? と思っちゃいます!
このような発言をする人って、ただ思いやりが無いだけなんです。

でも自分に思いやりが欠けてる・・なんて想像もしてません。
自分は強い!と思い込んでいます。
確かに元来、メンタルに強い方いると思います。
でも、人としてメンタルが弱くなってしまう時がある。と思いつける思いやりが無いんです。 だから、平気で弱ってる人に、傷に塩をぬりこむようなことが言える。
それに強い!と自負してる人は、その強さで他者を守れば良いものを
その強さで、人をつぶしている人が看護師には多い気がします。
ただ、人を傷つけて、私は強いの!って、それじゃあ独裁者です

他の書き込みで、精神科外来の受診者は看護師がダントツに多いと読みました。
ビックリしましたが、ありえるな〜。。と納得してしまいました。

書き込みを読むと特に新人さんの、適応障害やうつが多いですね。
私はおばさんですが、今の若い方は感受性が強いと感じられます。
感受性が強いと、いろいろなことに神経が反応してお辛いと思います。
個人の特徴も把握しようとせずに、ただ嫌味を言うだけの
人として思いやりに欠けている人の言うことは、真に受けなくていいと思います

看護師の面白い特徴として
「私の頃は厳しかった!こんなんじゃ休まなかった!
いじめられたけどたえた!」など、武勇伝が好きな人も多いです。
まぁ、その方がヒドイ状況に耐えられて生きてこられたことは尊重しますが
されて嫌だったこと、なぜそのまま人にしてしまうんでしょう??
たいてい、そのような人が言うのは
「だから、これぐらい何よ!」と言う、思いやりの無い言葉。
辛い思いしたから、その思いを優しさに変えようともせず
辛い思いしたから、他人にも辛さを与えるタイプが
看護師には多いと思います。

私もおばさんですけど、嫌な思いしたから
若い子には、嫌な思いしないで看護師になって良かった!と思える環境に
してあげましょうよ? と思ってしまいます。
看護師の仕事は、素晴らしいと思っています。
だから、なおさら、仕事は好きだけど
環境や人間関係で看護師を辞めてしまう人がいるのは悲しいです。

上に書いたような、感受性の強い方は他者の気持ちに共感できることが得意ではないでしょうか?  良い上司やスタッフに恵まれれば
患者に共感しながら、仕事をこなせる看護師に成長できると思います。
共感力の高い看護師は、優秀だと思います。
患者が求めてる援助は、共感力が無ければ与えられないと思います。

思いやりの無い大人は、1人の人間の可能性をもつぶしているなんて
自覚も無いのでしょう。
こんな気持ちになってしまう、看護師の職場。

--

ただ私が伝えたかったことは、他職種の人々も
看護師とそんなに変わらぬ条件や、意識で働いていること
でも、看護師は病に弱った人々に携わる仕事で
人の心・人間を最も理解しながら働く必要のある業種の1つではないのでしょうか?

そのような業界で、人間性を疑ってしまう人が多いと感じるのは
やはり、私の偏見でしょうか?

確かに以前の業界で勤めていた会社は、人間関係に恵まれていたのでしょう。
ただし、言えることは以前の業界でも、休日出勤はありましたし
終電ギリギリの残業も多々ありました。
研修・勉強会も、一般企業にお勤めの経験がありましたらご存じでしょうが
それら研修などが、休日に行われることもありました。

私は、看護師の1部の方たちは
このような他職種の人々も、同じように悪いとも考えられる条件や環境の中で
働いている。その認識が、あまりに少なく、ゆえに看護師だけが
辛く・苦しい環境で働いている訳じゃあないとも言いたかったのです。
知人にも、自らの失敗で数えきれないほどの人々に影響を与える仕事をしている人もいます。
仕事は多かれ、少なかれ、必ず人に影響を与えるものです。
世の中の仕事は、必ず人に影響を与えるものです

その上で、私の勤めていた企業になりますが
人間関係の改善のために、面談もありましたし(問題が起きていなくても)
そのような歪みが、お客様へのサービスの低下につながると認識していましたので
みな個人的な相性などは、社会人として置いておき
仕事に、お客様に対しての対応にプロとして接していたんです。

看護師の方は、良の中全体からの看護師としての役割・あり方に
うとい方が多いと感じたんです。
匿名様、私は今年で8年目の看護師ですが、やはり新人でしょうか?
何年働いたら、新人ではなくなるのでしょう?
新人でも、いろいろと考えて働いてますし
気がつくことが長年居る者よりも、新しい視点から話をしてくれることが多いので
私は、新人の話す内容に注意を向けて聞いたりしています。
新人ということで、視野が狭いのは嘘だと思います。
それこそ人柄です。

私自信看護師ですが、上をふまえて
看護師の環境・条件を挙げては、看護師として、または人として
人をいじめる理由・人の心を傷つけていても、それが教育のような考え方のまま
看護師をされている方が多いと思ったのです。
私は、看護師の労働条件を挙げて
人に優しくできない、と言うようなことを言うのは
ただの言い訳で、自分の人格・自分の性格をただ省みていないだけだと思うのです。

思うのは、みなさんがホテルにでも行き
そこのスタッフの雰囲気が悪かったり、対応が悪かった場合
ホテルのスタッフが「だって、忙しいんだもん」 「疲れてますから」などと
職場の条件や環境などあげつらい、話してきたとき
その対応に納得できますか?
仕事って、そうゆうものじゃ無いと思います。

私の尊敬する先輩ナースは、決して労働条件を自らの行いの言い訳にはしません。
だから、尊敬しています。
私が新人の頃からのおつきあいですが、
新人だから・・。とたしなめられた事もありません。
いつも、私の話す内容に心を傾けて話を聴いてくれました。

匿名様、本当に個人の人格にかかっていると思います。
一般企業でも、やはり個人の性格・人格の部分で
教育がままならず、苦しい思いをしたことがあります。
しかし、この場合先輩として考えるのは
その後輩には、どのようなアプローチが良いのかと言うことです。
後輩の性格を考慮し、自らのアプローチを変えなければ
教育できませんから。
後輩の性格を言い訳にしたら、教育になりません。

これらのように、言い訳をする方が多いと感じるのです。
でもその理由が「看護師」だからです。
だから、疑問なんです。
匿名様、質問にも書いたように
尊敬できる看護師もいます。
こちらに書かせていただいた疑問も、職業というよりも
1人の人間の問題が、大きいのでしょう。

でも、私も看護師です。
看護師を選び、看護師で働いている時間は
嘘でもいいから、優しさを演じてほしいと思うのです。
人間だからスタッフに、良い意味でも悪い意味でも甘えてしまう時もあります。
そんな時は、看護師の仮面をとって
人として「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えるのが人間ではないでしょうか。
それに社会人なら、スタッフ間のコミュニケーションも仕事のうちです。
スタッフ間で円滑に業務をいかせることを考えるのも
業務内容の1つです。

私は「看護師」と言う肩書きに甘えてる人が多いと思ったのです。
「看護師」だから、で済ませられる部分と
済めせられない部分があるはずだと思うのです。

私も看護師ですから、この仕事の大変さは十分承知です。

伝えたかったのは、職場のことではなく
看護師の資格を持つ人の「看護師」という仕事の認識です。
先に特権意識と書きましたが、なぜそう感じたと思いますか?

それも書いたように「看護師」と言うのは、世の中の1つの職業です。
他の仕事より優れているわけでも、特別なものでもありません。
仕事はすべて、世の中に役だって存在しているものです。
職業は世の中で、機能別に働いていて、必ず人の役にたっています。

でも、看護師になって思うのは
看護師という機能が、1つの世の中の職業であり
その機能が「看護師」という名称だと考えておられる方が少ないように思えたのです。

国家資格だからでしょうか?
「看護師」という名称の機能よりも、「看護師」という名称で
1個人の人間そのもの「看護師イコール私」と振る舞う方が多いと思うのです。
それも純粋に機能としての看護師というよりも
「イメージの看護師」です。

本当に「看護師」イコール1個人ならば、スタッフや新人をいじめたりしないでしょう。
弱っている同僚にさえ、多いやりを示せないのは
もう看護師という名称の問題ではありません。
やはり、それは1人の人格の問題です。

でも、それこそ医療現場なのに、医療現場の同僚に対して
思いやりの心も示せないような人柄の人が多いと思ったんっです。
私が感じて投稿させていただいたのは、環境の問題では無く
「看護師」という職業を選んでいる方の「意識」です。

看護師の仕事が好きでも、看護師を辞める人達は何で辞めていくのでしょう。
そこは、同じ看護師をしている自分たちにも、責任があるのではないでしょうか?

私は思います。 なぜ同じ思い・または同じ思いが無くても
同じ仕事をしている時点で、同じ辛さや苦しみを味わった者同士
思いやりあえないのか。

看護師のプライドって、何なんでしょうか?
他の看護師より、優れていることなのでしょうか?
そう感じる看護師の方が多いと思ったんです。

匿名様、
「あなたの知った状況・経験でしか価値観を確立していません」と言われました。
このような事を、私は伝えたかったんです。

匿名様も、この私の質問でお返事をしてくださいました。
匿名様も、私のことを新人だと思い込み
この文章のみで、私の価値観に偏りがあると判断されました。

そうです。 人は限られた情報の中で
自分の価値観・考え方で判断を下し、事を運びます。
だから、他者の価値観や感覚などを大切にできないのか?と思うのです。

私も匿名様も、何かが正しくて、何かが間違えているんです。
このような考え方が、医療者「看護師」には、特に必要なのでは?と思うのです。
でも看護師は、他者の価値観と共にという姿勢より
自分の価値観を、人に押し付ける人が多いと感じるんです。

看護師は、常に緊張を強いられる仕事です。
だからこそ、思いやりが大切なんじゃないでしょうか?
自分の価値観だけで、相手の人格をも傷つけるかもしれない言動を
とる方が多いと思うんです。
その理由が、他者よりも優れている看護師でいたいと言うためになら
それこそ人格に問題があると思わざるおえません。
ただ多く目につくのは
「私は正しくてあなたが間違っている」といったような
態度をとられる方が、看護師には多いと感じたのです。

匿名様、そうなんです。
人間はいつでも、知っている状況・知っている知識・培った経験からしか
判断できません。 私は、すべてのことを知っている訳じゃありません。
匿名様は、医療現場のことすべてご存じなんですか?
失礼かと思いますが、看護師の方には
「自分は、すべてを知っている」「自分は、すべてできている」と
思いながら他人と接している方が多いと思います。
違いますよね?
人間は一生かけても、世の中に知らないことがあるはずです。
一生かけても、できないことがあるはずです。
それに、生きているうちに知っていた知識や価値観が間違っていたと思うこともあるんです。
だから、1度築いた価値観や判断基準が
1生の価値観になるとも、判断基準になるとも言えません。

それに人間は、何十年経験しても、学べない人は学べないし
数日でも、学べる人は学べるんです。

判断も価値観も変化していきます。
良くも悪くも変化していきます。
でも、変化を良くしていくためには個人の「意識」しかありません
良くしようと意識せず、良くは変化しません。
でも、意識しないでも人って堕落していくものだと思っています。

匿名様が良いお返事を下さいました。 ありがとうございます。
本当に、職業と個人の認識・人格は仕方のないことだと思いました。

人格は、仕事をこなしていれば変化していくものじゃありませんでした。

no,2 の方も、お返事ありがとうございます。
私も、同じように夜勤でバイト医師が
急変された患者を目の前にして
「この人みてきてないから、わかんないよ!」と投げ出した医師のこと思い出しました!

本当に、仕事の機能をはたそうとしない人には、参りますね!
医療業界は、特殊だと思います。

 

--

メッセージをいただき、読んでくださった皆様、ありがとうございました。

私も、仕事と人柄は比例しないと承知ですが
「看護師」という職業を思うと、人間性は非常に重要なことで
この仕事は、人に影響を大きく与えるものだと思うと
目に余るタイプの方を見てしまうと、悲しみと怒りを感じてしまうのです。
それは看護師としてではなく、1人の人間としての思いなんです。

幸いに、こちらの掲示板の書き込みにメッセージを書かれている方で
メッセージに相手を思いやり、寄り添うメッセージ
気持ち・心のこもったメッセ―ジをいくつか拝見しました。

やはり、心の込められたメッセージを読んだときは
「この方は、優しい人なんだな〜。」「この方は、思いやりがあるな〜。」などと
その方のお人柄が良いのだ!と思いました。

no.6の匿名様。
匿名様のように「私は絶対、その先輩のように指導しない!」とご自身に誓われ
感心いたします。

尊敬できる先輩にも出会えていますし
私もここで「素敵だな。」と思えた、メッセージを書かれた方々を見習い
人間性を磨きながら働いていきたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございました。
皆様、看護師の仕事は、やはり厳しいですが
お体を大切になさってくださいね!

 

 まったく同じように感じていたので驚いた。

 

 

日本の医療現場でも,医学の進歩や情報化社会の登場,また,医療事故の表面化による医療への不信感などから,長い間の医療者中心の医療から患者中心の医療への転換を求める動きが活発化し,患者が自分で生き方を選択する自己決定が求められてきている.こうした状況の中,ケアリングの概念が導入され,看護におけるケアリング,また看護基礎教育におけるケアリングカリキュラムが叫ばれてきている.

日本の医療現場において,ケアリングの概念はどのように理解され,そして,いきづいているであろうか.そもそも,日本の医療現場に患者個人の尊重という慣習が根づいているのであろうか.日本人は,個人の人権や個性より場や人間関係を重視し,その場における役割で行動するといわれる.このような状況においては,患者の個性の尊重が困難なのはもちろん,患者の当然の権利を守ることも難しくなってくる.既存の知識のみで患者の状態を判断し,患者に必要な援助,患者が望んでいる援助でさえも医療者が恣意的に判断してはいないであろうか.

日本の医療現場には,旧来,医師を頂点としたヒエラルキーが存在する.医師は自らの医療行為に看護師をはじめとするコ・メディカル(5)や患者が口を出すことを嫌い,看護師や患者もまた,医師に黙って従ってきた.医療のリーダーシップ,責任は医師のみに委ねられ,看護師は医師に委ねることによって,専門職である医療者としての責任を放棄し,患者は医療を受ける患者としての主体性を担うことを避けてきた.医師,看護師,患者が同等の立場で患者の個性を尊重した医療を行うことが困難な状況が長い間続いてきたのである.昨今,表面化してきている医療事故への医療者の対応を見ても,医療者は自らの過失あるいは怠慢によって患者に不利益が生じても,当然のことのように隠蔽し,患者の個性の尊重はもとより患者の当然の権利を守ることも不可能な状況を露呈している患者の健康回復のために存在する医療者が,患者の個性を尊重するどころか権利を守ることさえもできなくなる背景には何が存在するのか.そこには,日本の医療や看護の歴史も関係しているが,私の知見によれば,それ以上に日本人の人間関係のあり方が大きく影響している.

...

援助時に大切な,患者は今どのように感じどのような援助を受けたいと思っているのかということを患者本人に確かめることを怠っている.そこには日本人に特有の自他の同化が現れている.「患者は今このような状態である,従って,このような援助をしてもらいたいはずだ」という自己の思いが,そのまま「患者がこのような援助をしてもらいたいと要望している」という患者の思いに変化してしまうのである.自他の同化に加え,日本人の「察する文化」がいっそう事態を悪化させている.看護師は,患者A本人から体を拭いてほしいと言われなくても,患者Aの要望を察しなければならない.察することができることが良い看護師なのである.もちろん,言葉だけに頼らず相手の様子や状況から察するという能力は看護師にとっては必要である.しかし,大切なことは自分が察したことを必ず患者が望んでいるとは限らないということである.看護師と患者は別の人格であるから,同じ状況に置かれても感じ方も考えも同じになるとは限らない.患者Aを尊重して援助をしたいのであれば,患者A本人への確認をしなければならない.しかし,自他が同化している看護師の場合,患者A本人への確認という一番大切な行為がすっぽりと抜け落ちてしまうのである.

...

しかし,前述したように,看護師が自他を同化させ,看護師の思いだけで看護が押し進められる場合,そこにケアリングはありえない.患者Aのように,自分の意志を表現できる人でさえこのようなことが起こってしまうのであるから,自分の意志を表出しない,あるいは表出できない患者の場合,尚一層ケアリングは難しくなる.患者の意志ではなく看護師の判断によって看護が提供されてしまう.そこにケアリングは存在しない

...

「場」の重視は医師のみならず患者にも向けられる.医師に対しては,看護師が「従順に振る舞う」という形で現れるが,患者に対しては,看護師が「従順さを要求する」という形で現れる.例えば,前述の患者Aが担当医のことについて看護師Bに相談してもいっこうに状況が変わらないことに腹を立て,看護師Bに強く抗議したとする.この場合,患者Aの行動は,患者としての当然の権利を主張しただけである.しかし,日本の場合,医療者に対して強く要望したり抗議したりする患者はまだ少ない.従って,看護師が,患者Aの行動を当然の主張ととらえるよりも,医療の「場」の安定を壊した気難しい患者として受けとめる場合もある.「場」の重視の前では,「場」の安定のために患者に我慢を強いる,「従順さを要求する」ことになり,患者の健康回復を支援するという看護の目的は二の次になってしまう.「場」を重視する行動はケアリングの確立を困難にする.「場」を重視する場合,第一に優先されるのは「場」の保全であり,医療の本来の目的,つまり,患者の健康回復,患者の利益の確保が最優先されない危険性がある.看護師は専門職者であり,患者の健康回復のために自立した行動をとることによってその役割を果たす.医療者は専門家集団であるから,各専門家がそれぞれの見地から援助を行う.時としてそれぞれの意見が相反することは必然的に起こる.その場合,よく議論し,患者の健康回復のために最善の援助を選択し,各専門家が協力して医療を行う.これが医療者の専門職者としての自立である.しかし,この時に「場」を重視してしまえば,患者のために議論するより「場」の保全のために妥協することにもなりかねない.これは専門職者としての責務を放棄したということであり,そこに専門職者としての自立はない.「場」を重視し「場」の保全を第一とする集団の中では,ケアリングの実現は非常に難しい.

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従って,ケアの受益者である患者の個性の尊重なしにケアリングはあり得ない.日本において患者の個性の尊重が難しい原因は,患者の自己主張の希薄性とともに,看護師が患者の個性を尊重できないことがあげられる.そこには看護師の人間観が大きく関与する.看護師は,医療者の中でも患者の側にいる時間が長く,日常生活面の援助という直接的な援助を行う.看護師は,心身機能が低下した,あるいは低下していく患者を目の当たりにする.自分で食事を摂れない,自分で排泄することができないといった患者を目の前に,患者を一人のかけがえのない成長する存在として受けとめることが困難になることはないだろうか. 看護師が患者に向き合い,対話し,患者の意志を確認するという行為そのものが,患者の自己主張を促す行為であり患者の存在を認める行為である.患者は,罹患することによって,年を重ねることによって,それまでは容易にできていたことが,次第に,あるいは急激にできなくなる.この体験は,自己の存在基盤を揺るがすことであり,患者本人が自己の存在の尊さを認められなくなってしまう危険性がある.

従って,このような状態に陥った時に,他者から尊い存在として認められ自らの意志を尊重した援助を受けることは,自己の存在意義を認められるということであり,自らが自らを尊い存在として受けとめることに繋がる.従って,患者がどのような状態であっても,尊い存在,かけがえのない存在として援助すること,患者の意志を尊重した援助をすることが非常に大切になってくる.患者が次第に機能を失っていく場合は,患者の元気な頃の様子を知っており,まだ患者を尊い存在としてみることができるのかもしれない.次のような場合は,もっと難しくなる.

...

しかし,日本には確固たる人間観というものが存在しない.個人を尊重するという風土もない.少なくとも長い歴史をもつ伝統としては存在しない.従って,心身機能が低下した患者を尊び,成長する存在として受けとめることが難しくなりはしないか.

...

そこに看護師の自他の同化が加わる.「患者はこのような状態なのだから,きっとこうしてほしいはずだ」という看護師の一方的な思い込みで援助が行われれば,そこに患者の意志が反映される余地はまず,ない.患者は自分の意志を尋ねられることなく,自分に対してなされる援助を受動的に受け入れることになる.もちろん看護師は,それまでに学習した知識や自らの体験をもとに患者のために最善と思われる援助を提供しようとする.しかし,この世に一人として同じ人間は存在しないし,同じ人間であっても常に同じ状態ではない.従って,看護師が,患者を一人の人間として尊重し,患者は何を考えているのか,看護師に何を望んでいるのかということを確認し援助するという姿勢がなければ,患者のケアリングはありえないのである.

...

看護師が患者に向き合い,対話し,患者の意志を確認するという行為そのものが,患者の自己主張を促す行為であり患者の存在を認める行為である.患者は,罹患することによって,年を重ねることによって,それまでは容易にできていたことが,次第に,あるいは急激にできなくなる.この体験は,自己の存在基盤を揺るがすことであり,患者本人が自己の存在の尊さを認められなくなってしまう危険性がある.従って,このような状態に陥った時に,他者から尊い存在として認められ自らの意志を尊重した援助を受けることは,自己の存在意義を認められるということであり,自らが自らを尊い存在として受けとめることに繋がる.従って,患者がどのような状態であっても,尊い存在,かけがえのない存在として援助すること,患者の意志を尊重した援助をすることが非常に大切になってくる.

ケアリングはケアの受益者である人の成長を助ける,あるいは,その人のもつニードに対して援助し,その人の人間としての条件や生活様式を高めることにある.そのためには,その人,つまり患者に対して看護師が向き合い,患者を一人のかけがえのない存在として尊重し,患者の意志を尊ぶ看護を提供することである.医療の主役は患者である.看護師がこのことを自覚し,患者中心の看護を提供しないことには,真のケアリングは実現し得ない.

患者を尊重すること,患者の意志を尊重することがケアリングの第一歩である.では,医療者は患者の意志をどのようにして理解するのか.それはまず医療者が自己と他者は別の人格であることを自覚することである.その上で患者がどのように思っているのか確認を行う.西欧の場合は,個人の人格が尊重されているから,患者も要望を主張するし,医療者も患者の意志を尊重する.しかし,日本の場合は,Ⅰで述べたように自他の同化,主客未分になりやすいので,医療者は自分が考えた患者の要望をあたかも患者本人から出された要望のごとく考えてしまい,患者への確認なしに援助してしまう危険性がある.医療者は医療に関する知識や技術を学習しているのであるから,患者の要望を察することは長けているかもしれない.しかし,患者と医療者は全く異なる役割における人間である.また,人は常に変化しているのであるから,同じ患者が同じ状況下に置かれても全く同じことを考えるとは限らない.察することには限界があるのである.

...

主客未分を自覚しえない医療者は自分の感覚を患者に押しつけ,患者がどのように受けとめているか患者本人に確認することが難しい.また,主客未分の患者は,自分の要望をわかってもらえるだろうという思い込みから,医療者に自分の要望を伝えない.この双方の自立し得ない状況はケアリングを難しくする.医療者が自分の考えを患者に伝達せずに援助を行い,患者の反応が予想に反していた場合,何故そうなのか自らを省みることができる場合は良いが,主客未分の状態にある人は,そこに立ち止まって自らを省みることさえも難しい状況になる.危険なのは,患者の反応が予想に反している場合に,その原因を患者に押しつけてしまうことである.自分は一生懸命に援助した.従って,患者から望ましい反応が得られるはずである.しかし,患者の反応は自分の予想に反していた.従って,悪いのは患者である.という自分勝手な正当化の構図が完成してしまう.このような状況では,もうそこにケアリングはありえない.

従って,医療者は自分が主客未分の状況に陥りやすいということを自覚して行動していく必要がある.自分と患者は立場が全く異なる人間であるから,まず患者に要望を尋ね,その要望を実現すべく行動する.医療者が患者と接して感じたこと,患者の状況をみて患者の健康回復を促進させるために必要だと考えたことを,患者に伝え,患者と認識を共有した上で医療を提供していく必要がある.

 

日本の医療現場における《患者-看護師》関係の特性
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf04/4-368-379Shiratori.pdf

 

教育環境

 そもそも今日、看護学生に教える教員に「アカデミック」や「教育者」という側面は無い。その世界しか経験していない単なる数年の看護師経験者が、実践的テクニックを学生に教えつつ、試験対策の予備校としての受験対策をしているというだけなのである。

 

ちなみに、現役高校生から社会人までバラエティに富んだほかの「一般の専門学校」ではこのようなことは起こりません。例えば、通訳の専門学校。
高校新卒から大学新卒、社会人経験など多数のありとあらゆる人が学んでいます。そこの教員たちはどんな人たちにも対応できるような教養の深さや経験を持ち合わせています。

しかし、看護専門学校という狭い世界を卒業し、現場で数年積んだ後、専門学校という空間でのみ長年やってきた教員には「自分たちのやっていることはごく普通のこと」などと思っていることでしょう。

看護専門学校というと5年ほど前までは倍率もかなりの低倍率でほぼ全入であり、ほとんどの学生が現役生、それも底辺の高校出身の方が多い状況だったと思います。底辺というのは早慶(慶早)に合格できるのは学年で1-2人程度、あるいは全くゼロの学校です。

底辺の高校は学研のような低い水準で偏差値50-55程度の高校といえども、市進や栄光となると40台になります。新宿セミナーで千葉大の偏差値が70以上というアリエナイ数値になっているのと同じと思えばよいでしょう。まぁ、そのような高校卒の子達を長年相手にしていたのだから、「幼稚園、小中学生扱い」が当たり前のようになってしまい、それがなかなか抜けずに誰ふり構わず、社会人にもそのように振舞ってしまうんじゃないかと思います。

学力の低い子たちというのは、自分の頭で考えることが苦手なんです。自分で高い目標を設定し、毎日10時間以上、12時間、14時間と必死に勉強してきたという経験もありません。
高校時代、適当に遊んで…推薦で入って…かなりの楽をしてきた子たちです。

勉強の仕方も分かってない。複雑なものを単純化させたり、大量のものを要領よく覚えることすらできません。相手のいわんとすることを瞬時に掴む能力も、先の先まで読む能力も低いです。
「何で相手は今こんなことを言ったのかな、何のために?」と相手の言動から先読みすることができないんです。
ダラダラとノートに書いたり、蛍光ペンで線を引いたり…要領の悪いやり方には随分と長けています。授業中も言われたことだけをやり、その場でふと疑問に思ったりしたことを自分で調べるなんてこともしません。「もうこれはわかるからいいや」と思った内容であれば、先に進んで読むなど、そういった積極性なんてのも皆無です。

確かに、そういう子たちは大人がレールを作って、強制的になんでもかんでもやってあげないと教育上難しいのかもしれません。

ここ数年、全国の看護専門学校で社会人入学者が急増しました。
専門学校の教員は社会人を社会人として扱うことができず、一律に「幼稚園扱い」で済まそうとしているのかもしれません。

「今までのやり方」が完全に染み付いているのでしょうね。

時代の変化に対応できるよう、看護専門学校の教員に対する教育-外部講習等が必須です。
もちろん、講習を受けたらオシマイというわけにはいかず、学生からの定期的な評価制度の実施を行い、評価の悪い教員には再教育を導入することも求められます

 

http://ameblo.jp/kango-kouryaku/entry-11841621579.html

 

 そして、学生同士はどうかというと... 

 

そういう理由で進路を「看護学校」にする女子校生は多いワケですよ
そこには・・・「看護師」の仕事が「尊い仕事」だから・・・
「生活して行くのに有利」だから・・・
「医者の玉の輿になる」なんてモノまで

様々な理由があるとは思いますけど・・・
重要なのは・・・真面目な女子と・・・ギャル系女子の比率が半々
その上に・・・「この両極端なキャラの女子が一緒に教育される」
この事実ですよ
片方は・・・「真面目な家庭で育ち・・・本人も大人しく看護師に憧れる」
いわゆる「お嫁さんにしたいタイプ」ですよ
もう片方は・・・「裕福とは言えない環境で育ち・・・お金を必要としてる」
高校でも「遊びまくったけど」・・・自立するには資格職が美味しい
そういう「見るからにヤレそうなギャル」タイプ
この両タイプが・・・「同じ環境で育成される」
この両極端な2タイプを合わせる事で「起きる化学変化」
その心理面での化学変化こそが・・・「看護師ヤリマン化」の根本なんです
そうは「言うけど」・・・真面目な女子もいるワケでしょ??
そこが理解出来無いって意見も分かります

最初から「ヤリマン」タイプの女子が「成長して」ヤリマン看護師になる
それは・・・別に普通の事ですし・・・
予想出来る結果ですけど「真面目系女子」の部分が・・・
それが「無くなるのは??」
実は不思議な事じゃないワケですよ・・・過去に「エントルピー論」や「熱量」の話で
論じられた話と通ずるモノですけど
「良い子」と「悪い子」を混ぜると・・・平均的に「悪い方に引っ張られる」

そういう結果が出るワケですよ
2.3人の悪い子を更生させる為に「良い子グループ」に混ぜると・・・
「みんな悪くなっちゃった」
そういう事なワケですよ
人間って・・・「楽な方に流れるのは自然なんです」
もっと言えば・・・自然だって「楽」とか「簡単」な方に流れるワケですから
だって・・・「雨」は空に向って降りませんから
つまり「看護学校」の特異性ってのは・・・
「真面目女子」と「不真面目女子」が強制的に「一緒に生活させられる」
その期間が「看護学校」時代って話です
その過程で「お互い」の感覚にカルチャーショックを受けながら
看護婦さんへと成長する
そこなんですよ・・・


看護学校の特殊な環境と「ヤリマン化」への影響


看護学校が「女子」にとって「特殊」な環境であると言う事は上で
解説しましけけど・・・その影響のメカニズムに関して詳細に掘り下げると
彼女達をナンパする際に・・・「即エッチ」する際に役立つ心理誘導が見えるワケです

看護学校では「2タイプ」の女子が一緒に生活するワケです
この2タイプってのは・・・それまでの高校生活では
絡むことの少なかった「属性」同士なワケですよ
高校では・・・「一緒に生活してました」
それも事実ですけど・・・両極端の「真面目」・「不真面目」グループが
必要以上に接触することが無いのが・・・高校生活ですよ
ソコには・・・「お互い」に住み分けが出来てるワケです
しかし・・・看護学校に入ると・・・「ギャルタイプの女子」から
合コンだの・・・お泊り会だの・・・誘惑が来るワケです
「ギャル系女子」の合コン相手は「ヤリチン」ですから・・・
「たまには・・・クラスの真面目な子も呼べよ」
そういう要求を素直に受け入れて・・・「真面目系」女子だって
アッサリと合コンに参加してしまうワケです
そこでは・・・
「へぇ・・・真面目そうだね??」
「遊んで無いの??」
「ひょっとして処女??」
「エッチ知らないの??」

そういう・・・今まで「味わった事の無い雰囲気」に圧倒されるワケです
更に・・・
カラオケの最中に・・・腰に手を回されちゃいますけど・・・
騒いで「隣の女子達」に触られてるのを気付かれても「気マズイ」
そうなると・・・彼女の感覚は「皆に気付かれ無いように」
それを「ヤリチン」が見逃すワケが無いワケですよ

 

たまに看護学校の男子スレ立つな
だいたいハーレムだぜヤリまくりだぜウェーイな感じだけど
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練習相手になってくれないって頼んでも断られるの?
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頼めないわ、普段の態度が荒れ過ぎて
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高卒と高卒で数年働いた子あと入学みたいな子が多いね
確か最年長で28とかだった気がする
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28のお姉さんに頼めばいいんじゃないか21なんてブサイクでもクソガキにしか見えないだろ
と一瞬思ったが
28におばさんだからという理由で頼んだら・・・(((( ;゚Д゚)))
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>>63
28才言うても普通にケバいギャルっぽい人で若い子らとつるんでるし怖いわ
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http://blog.nyaasoku.com/archives/1006088080.html

 

学生の時から、看護の子は男関係はすごかったなぁ。 大学ですら、酷かった。
ヤリコン主催は当たり前(しかし、しょうもない底辺男とばかりとヤってる)で、
6人の男を大学の寮の自室に泊まらせて7Pやってたお水歴の長い子もいた。
(私は早朝、その現場を偶然目撃してしまって、すんごい気持ち悪かった)
ホストやフリーター、ニートに入れ込んでる人も多く、
3年次編入してきた30代後半のNsは、10年以上も無職男を養って(囲って?)た。
病棟実習中のくせに、男の部屋に通ってヤリまくっていたせいで、
記録のファイルを全て、その男の家に忘れたあげく、
全く書いていないという子(才女でお金持ちな女子高出身なのに…)も何人かいた。
大学入学直後の歓迎会の時は、
40過ぎでようやく土方のオッサンを捕まえて結婚できたという、婆教員が色気づいて、
気持ち悪い猥談ばっかり自分からしてきて、それを強制的に学生に聞かせた。
…まだ18歳の、高校卒業したばっかりのウブな女の子達(当時はまだ処女がたくさんだった)に、
キモイ熟女の性生活を聞かせるなんて…。 
でも、他の看護教員も、現場のNsも、こんな人が本当に多かった。ほんと気持ち悪いよね。

 

 

 

 

toyokeizai.net

 

 

 

molove.hatenablog.com

 

 

 

 だから、

前にいた病院で苦情処理したことあるけど
何で看護師の多くが因果応報とか自業自得とか自己責任とかを理解しないのだろう?
あれは永遠の謎だわ。
性格悪いとか頭悪いとかいう次元を超えて、理解不能。 

 

看護師は驚くほど視野が狭い。視野の範囲が病院内、ナースステーション内しかない。
だから、お見合いパーティーや夜な夜な街に出没してナンパされて股を開く看護師と 普通の会社員、ましてやエリート層とは絶対に話が合わない。

 

看護婦って「男とヤリまくるのがいい女」「すぐにヤラせるのが結婚への近道」と思ってるんだね。
育ちが同じ土木作業員や鳶職や塗装工と結婚するにはそれが正しいんだろうけど。

 

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1374238222/

 

と言われてしまう。

 

 

愚民政策

 日本の看護師教育は、愚民政策の構図と似ている。愚民政策とは、民衆を無知な考えない愚かなまますることによって権力者の言う通りに民衆をコントロールする政治の事である。現代では北朝鮮の政治体制と言論・情報統制が代表的なものだろう。

 

 看護師の業界は他の一般的な職場と比較すると、少しずれている、社会的常識が少ないと感じている人もいるのではないでしょうか。
特に他の職業を経験してから転職して看護師となった人は、
特に看護の世界の特殊性に疑問を抱き、なかなか順応できない傾向にあるようです。
確かに、看護師を含む医療従事者は社会的常識が少ないといわれているように、
就職の面接時にスーツを着用しない、
面接官や病院管理者に敬語を使えない、
例え看護師の経験が自分より上でも他の病棟や病院から移動してきた看護師を見下す、
新人を人間扱いしない等の現状が少なからずあるのも事実です。
もちろん、看護師全員に社会的常識がないといっているのではありません。
中には素晴らしい価値観と常識を持ち合わせている看護師もいます。
しかし、看護師は人手不足から生じる就職内定率の高さが、
面接時の対策(面接の方法、ルール、常識など)をしなくても、
就職できる現状を生み出しているのです。
そのため、面接や社会についての常識をあまり勉強することなく社会人となってしまうことが、
社会的常識がないといわれてしまう一つの理由として考えられます。
また専門職であるため、社会的常識よりも経験や技術が優先され、
人と問題なくコミュニケーションがとれるのであれば、
採用となっているのも事実なのです。
このような理由から、
看護学校では学生の自主性を伸ばすことよりも、
自分たちの病院が提供する看護ケア以外認めないといった指導を行っているところも、未だ多く存在します。
このような理由から、看護の世界はそれまで病院それぞれが作り上げてきた
独自の世界観を大切にし、外からの情報や新しい発想は受け入れないという病院が多いのです。
管理者側は患者さんからのクレームを恐れるあまり、
看護師は個性が強くなく、平均的で、逆らわない、
あまり疑問を持たないような看護師を育てようとしている病院も未だ多くあり、
新しい看護ケアのエビデンスが明確化された後も、
これまでの看護技術に固執してしまう現状があるのです。

http://www.nursecheer.com/go-on-as-nurse/%E7%9C%8B%E8%AD%B7%E5%B8%AB%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E7%8B%AC%E7%89%B9%EF%BC%9F.html

 

 元々、日本の看護教育の起源は、日本陸軍にある。上官の命令は絶対だの軍国主義の旧日本陸軍

 

日本赤十字社の看護教育は, 日本陸軍の教育方針に通じ,上官の命に絶対服従する,克己,忍耐,奉仕が指導精神の柱であった。
大正後期から昭和初期にかけて日本赤十字社の教育の特徴については,山本らが行なった卒業した 20名の聞きとり調査から推測することができる。看護技術教育は,臨床に先立つて教室における実習やデモンストレーションは殆ど行われることなし臨床での実践によって訓練された。指導体制では婦長一卒業生一上級生一下級生といフヒエラルキーがあり,上位の人には絶対的権威があった。看護行為の判断と実行には,すべて上位者の指示が必要で、あった。状況に応じて熟練した方法を他者に示すことはあっても,その根拠を他者に納得いく方法で教えることは少なかった。

日本赤十字社による戦時救援看護婦養成が主流となり,全国の看護婦養成所の模範となって全国に広まったからである。

ナイチンゲールの看護の本質はどのように伝えられたか」
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13664/1/23_p111-121.pdf

 

 だから、

 

社会人で企業を経験してから看護師になりました。看護学校は北朝鮮状態。学生の自主性を伸ばすという校風を掲げていながら、少し意見をしたら上から抑えられる始末。実習では、指導者に「また学生来やがった」とかムシされ、立たされ、何も教えてもらえなかったことも。先生に行っても、ただで指導してもらってるからということで何も変わらない。実習で得たものはとにかく我慢するということでした。
本題になります。
最初に就職した国立病院。師長がいじめをするような人でした。新人4人が代わる代わるいびられました。私は結婚してたのですが、結婚してることで嫌味を言われたり。ムシされたり。他の先輩もいい人もいましたが、強烈な人が多すぎました。オムツ交換に一緒に入った看護師からは、私の手をすべてはらわれたりすることも。業務はよかったのですが、人に耐えられず1年でやめました。
しばらく子育てをし、落ち着いたので4月から派遣に紹介してもらい、慢性期病院に復帰しましたが、汚いし、適当だし、なんの勉強にもならずもう辞めたいです。丁寧に指導してくれるということでしたが、放置です。人の環境もいまいち(いない人の悪口ばっかり言っている)だし、さっさと辞めたいのですが、我慢がたりませんか??子供がいるので休みやすいというのはいいのですが、それだけです。
一回り違う子が偉そうでムシしたり、命令したり、みんなにタメ口です。それがまかり通っている病棟です。会社で働いてるとき、そんな子がいたら注意し、退職に追いやられてたと思います。看護師って足りないから、そういうマナー、常識のない子すら辞めさせられないのですね。
今後、環境は変わりそうにありませんし、イヤな思いすると思うのでさっさと辞めて新しいところを探そうと思うのは我慢たりませんか??
看護師の世界って本当、かなり特殊だと思います。

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経験がものを言う世界。
普通の会社の、年功序列ではありません。
どれだけ長くいるか、実力と経験をつけるかにかかります。
まあ、いまはどこもそうかもしれないけれど・・・

あなたの経験は、一年弱?でも、新しく入ったら、また新人からやり直し。それに、即戦力になるほど経験がないから、相手のほうが、それは上になってしまう。
相手は、あなたより年下でも、リーダーとかやってるなら、そりゃ、業務命令はだすでしょう。それが嫌なら、仕事は出来ないと思いますが。どこへいっても、これは同じことです。

年下に頭を下げられない、指導や業務命令を聞けないと、この社会では仕事ができません。渡ってはいけません。あなたの経験が浅いのは事実です。この仕事は実力と経験があってなんぼです。年上であることへのこだわり、今までのキャリアなどで培ったプライドが、いまだ捨てられないと、適応は難しいでしょうね。

ただ確かに、この世界は疲れるし、おかしいと思うのも、無理はないです。他からの転職者で、適応できない人はよくこのサイトでも、あなたと同じことをいっています。適応できないと、この世界とは、永遠に平行線をたどります。この社会、根本的にはあまり変わりません。
しかしながら、あなたがいくら非難しても、変わらない事実がそこにあります(あなたに関しても、周りも)。
我慢できないなら、辞めてもいいと思いますよ。

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私も社会人から看護師になりました。今年10年目で、今の職場が3つ目です。

私もひなひなこさんと同様にこの業界には異質な物を感じます10年経ちますが、いまだにこの世界はおかしいと思います。

仕事内容はともあれ、この業界では封建制度がまだまだはびこっていて、その異質さに慣れるのにはまだ時間がかかりそうです。

いろんな業界を経験してきましたが、この業界はいろんな意味で凄いと思います。

変わるのを期待するのと、変えて行こうと努力するのは生きている間は無理なんじゃないかとも思います。

特殊な人間性というか、普通の会社なら表に出さない、敢えて出さないようにしてる部分がかなり剥き出しになってる世界かとも思います。

仕事も大事ですが、もう割り切って勤めるしかないかと自分は考えてます。

人のふりみて我が振り直すというか嫌な奴にならないよう自分は頑張るしかないと思って稼いでます。

答えにならないですみません。


http://nayami.tabine.net/ns/008685.html

 

 異常な看護師たちの世界は、そういうものだから、いやなら辞めれば?みたいな糞看護師がのさばっているから、良くもならない。お前が原因なんだよ、と。

 

 ただ、看護の技術と人間性の問題は別だ。学生の分際で上司に偉そうな態度を取るやつは絶対に成長しない。見習うべきところは見習い、反面教師にすべきところはチャンと判断する、基準、倫理観を持つべきだということ。

 

 日本の看護協会は表っ面の地位向上だけ叫ぶ利権団体で、本質的な人間性向上や倫理観を育成するような動きは皆無である。

 

<看護職の特殊な心理>

 看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。

 実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。

 この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。

 

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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。

 大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。在任期間を考えても、医政局長は2年で次々とかわりますが、田村課長は8年もその職にありました。

 事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。


http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/07/post_2030.html

 

 権利主張ばかりで、内実の伴わない権利向上などで社会的地位が向上するわけがないのである。

 

分かっている看護師と分かってない看護師 

 

 看護師は、もともと教育上、環境的、心理学的、社会学的、さらには職業柄、そう(とても悪い傾向に染まる)なりがちななのだ、という事を広い視点で物事事象の背景事情まで多面的に客観的に認識出来ているかどうか、また常識、社会性、多様な文化性、多様な価値観、ボランティアなど経験によって身につけ、人を見る眼を養い、正しい倫理観や自己を確立する事が出来ているかどうかで、人間として女性として、看護師として大きな違いが出るのである。 

 とはいえ、それは難しいだろうから、職業的に陥りがちな落とし穴を知る事が重要だろう。これは看護師という資格職業や女性職の権利拡大やら地位向上といった形式的な問題ではなく、一人一人の人間性向上という問題なのである。それが本質的な地位向上に繋がるだろう。

 

現役の看護職だけど

看護師はトップの看護部長からして滅茶苦茶な人が多いし、
はっきり言って信用できない。
本当に目先数歩の利益や、今あることしか頭にないから
組織運営がその場しのぎで不安定だ。

本来は男の職場のかもしれない。
単純に力仕事の面で有利とか、男性のほうが心優しいという
だけではなく、
医療の現場で直に事象に関わるのに、未来のことを想像したり
現象を深く追求したりできない女の人が多いから、
最終的には足手まといのような気がする。

毎日、与えられた業務をルーチンのようにこなして
足の引っ張り合いを延々と続けるだけの仕事にしてしまっているのは、
変な女が多いからだと思う。

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もうね、管理職からして
一般常識や一般的な社会人が持つ興味がなくて
看護の世界以外のことを一切知らないような人が大半なので、
ものすごい大変だわ。
中高生がそのまま大人になったような感じ。
たまに、理解のある看護部長さんとか
客観的に判断できる管理職の人がいたら、
ものすごい貴重な人で、そういう人は
だいたい看護以外の視点をもっているし、人間関係論も
看護以外の視点で見れていいね。だいたい潰されるけど

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1374238222/

 

看護師歴20年のベテランです。
ずっと病院で働いて来ましたが、結婚はしてるものの子供はいないので、管理職畑を歩んできました。
ですが、ふと気がつくと、患者さんのためにではなく、患者さんに不利益なことをしている自分に気がつきました。

具体例を挙げますと、突然の入院で不穏になった高齢者を身体拘束し、ますます認知症が悪化してしまう。
90代の人に手術を勧め、手術は成功したものの、寝たきりになってしまう。
現場に事務仕事ばかりを増やして、患者さんのそばに行く時間が減る。
勉強会へ強制参加、学会発表を強制し、それが嫌で看護師が辞めてしまう。
上記に疑問を持たない看護師、ゴマスリな看護師が出世して行く…

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11150208116

 

 

「看護師は命にかかわる仕事だから厳しいんですよ。」って言葉、絶対どこかで聞いたことありますよね!?

この言葉を聞くと、何だか納得させられるようなしないような・・・一瞬、確かにそうかなぁっと思わされてしまう。

でも、もう一度繰り返し頭の中で唱えてみると、まぁなんとも尊大で、自己満足がにじみ出ているなと。

そして、この言葉を隠れ蓑にして、やりたい放題やっている人が多いなと。

考えれば考えるほど、「看護師は命に係る仕事だから厳しい」って言葉には、うんざりさせられる。

じゃあ、なんで尊大で、自己満足がにじみ出ているかっていると、

看護師は確かに命に係る仕事だけど、命に係わって仕事するのって看護師だけじゃないよね!
救急救命士だって、栄養士だって、高所で電線張ってるおじさんだって、原発の作業員だって、他人の命や自分の命をかけて働いている。命にかかわる仕事なんて、世の中にたくさんあるのに、あえてそれを言うというのは、”看護師は特別なのだ”っていう意図が伝わるよね。そして、命に係るから厳しいってのも、”厳しい仕事をやっている私たち看護師って偉いでしょ”っていう意図が見えるのね。ホントにこの言葉きくと、すみませんが、仕事するってことは、程度の差はあるにしても、みんな厳しいよって言いたくなる。

2つめの、隠れ蓑にしてやりたい放題についてなんだけど、

看護師の離職の理由の統計結果第一位は、「人間関係」だよね。
また、看護学生や新人看護師は、教員や先輩から理不尽なことは必ずされてると思うんだよね。
私は、ある先輩看護師から「きつい口調で言われたり理不尽なことがあっても私は耐えてきた。」っていう話をされたんだよね。また、別の先輩からも「この仕事、何が大変かって、人間関係が一番ね。」ていうことも聞いたんだよね。
つまり、看護師の仕事の”厳しい”原因は人間関係にあると思うのね。
人間関係が厳しいなんて、それって、働いている個人や組織の問題だよね。
確かに、人間関係良好にするよう、個人的に努力したり、組織的に研修を実施したりと、問題解決を図る動きはあるけどさ。
でも、統計結果が示すように、先輩看護師が口ぐちに言っているように、人間関係が厳しいの確実なこと。
よって、「看護師は人間関係が悪いから厳しい」と言った方がいいんじゃないかと思う。
相手に理不尽なことをして、嫌悪感を抱かせておきながら、「看護師は命を守る仕事だから厳しいんです」なんて言葉は、だーれもなーんにも納得できるもんじゃないよね。
”厳しい”っていう理由を「人間関係が悪い」ことじゃなくて、「命に係る仕事」という理由にすり替えているようなもの。すり替えることで、「人間関係が悪い」という本質が隠れ、『何だかよく分からないんだけど、この辛い気持は、「命に係る仕事」だからなんだ』などと、誤解を生みかねない。このような誤解を持ってもらうことが、理不尽なことや、ハッキリいうとパワハラも平然と行うことができる。なぜなら、理不尽なこともパワハラも「命に係る仕事」のうちだから。

「看護師は命に係る仕事だから厳しい」って言葉、ホントはさぁ、
看護師は、患者さんの急変に対処したり、効果の強い薬の投与をしたりと、緊張を強いられることが多く、失敗も許されないよっている意味があると思うんだけどね。

でもいろんな場面で、軽々しく登場するこの言葉、
「看護師は命に係る仕事だから厳しい」
意味を取り違えて使われすぎているようでならない。

 

http://blogs.yahoo.co.jp/marrysuzanne/30958412.html

 

プロフェッショナルな看護としてあるべき姿

 

今日、社会人を経験した看護師も多く、高学歴ナースが増えています。このような看護師が働く職場には新たな3Kを作る必要があります。新しい3Kとして「機敏性、気品、謙虚さ」を提案します。

3Kを支える4性

3Kの一つ「機敏性」は、行動だけではなく機敏に相手の反応を読み取り、瞬間的に頭を働かせて、必要なケアを判断できる「知性」を伴った機敏さです。特に患者さんのニーズを瞬間的に掴むためには、臨床的直感力を発揮することが求められます。そこには患者さんの心を感じる力、「感性」が必要になります。知性、感性があっても、それを行動に移すためには適した性質があります。

それでは看護師に適した性質とは何でしょうか。明るさ、素直さ、器用さ、相手に好感を与える笑顔や姿勢・態度が自然に出せること、このような性質が適している性質といえるでしょう。

「適性」には、そのもとになる「品性」が必要になります。品性は、人間に最も大切な性質です。品性を培うためには真摯な心を持つことです。子どもの時のように常に純粋で、偽りがなく、真っ直ぐに生きる心から品性は生まれます。品性を高めるためには、自分の心に「いやしさ、ねたみ、偽り、恨み、疑い」などの心を宿らせないことです。

http://nurse-senka.jp/contents/press/13364/

 

 何しろ、今の若い看護師は自分に酔っちゃっているのが多い。「憧れの病院。みんなの憧れ。モテ職の白衣のナース〜の私♪ ...」

 
 なんかとっても危うく見えるのだ。
 
 自分の事を見えてない奴、欲望をむき出しの奴って自分の中の世界で1人あっちの世界に行っちゃってて、そういう人達って一般的に単なる都合の良い搾取の対象、つまりカモだから。
 
 もっと冷めた目で、冷静に、客観的に批評的に見なきゃ。じゃないと物事、人を、自分を見誤るよ、と。

 

 
 ではどういう所に気を付ければ良いか。

 

「安っぽい女」の看護師達

  もともと男と女の考え方も物の見方も異なるものだ。そして女性は、男目線の見え方を知らない。

私が言う安っぽい女とは

けして、持ち物が安い、着ている服が安い、住んでいるお家が安い、お金がないなど金銭的なことではありません。

敷居が低い!と、見られてしまうことです。

なぜ、こう見られてはいけないか?
簡単ですよね?
男性を勘違いさせてしまうからです。

何をいっても許される
俺の方が偉い
簡単に落とせそう

等 です

では、どんな女性を安っぽい女だと思うのか?

(それは、)

常識が無い(言葉遣いやメール、態度等の全てから判断されます)
肌を露出しすぎている(自ら誰かれ構わず誘っている。誰にでも軽い女と判断されてしまいます)


男性にとって
あなたがお金持ちであるかどうか?
なんてほぼ関係ありません!!!
それよりも、
品があるか?
きちんとした常識をもっているか?
を、
素敵な男性こそ見ているのです。

 

ameblo.jp

  

 安っぽく見られたら素敵な男性はそっぽを向き、結果としてクズ男達から「そういう女」扱いを受けてしまうのも当たり前。 

 本来、女性にとっては軽い女と思われることは致命的、なはず...。にもかかわらず、看護師は、分かって完全に開き直っていたり、知らず知らずに軽い女と思われるようなことをあえてしまくっているのである。

 そして看護師の悪評は、ほとんどがこの「安っぽい」ことに起因し、実のところ看護師という職業柄、特殊な狭い環境の中で、気が付かないうちにみな同じように染まっていってしまっているのである。

 

 では具体的に何が問題で何に気をつけて、どうすればよいのか。 安っぽい女と見なされてしまう要因を次のページからいくつか挙げてみる。

 

 

続き(3-1.看護師の作り笑顔と裏の顔 )

msh2.hatenablog.com

 

 

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