看護師のなぜなぜ研究

ここが変だよ日本のナースさん

5章.看護師の教育と人間性

 

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日本の看護教育の問題

 

 正直、日本の看護教育はめちゃくちゃである。挙げたらきりがない。

  まず、この認識に立たなければ、改善はありえない。

 そもそも教育者自体がヤバすぎる。プリセプターや看護教員などは、実際のところ学者、教育者、理論家、アカデミック、人格者・人徳のある教育者なんかではまるでなく、実は単なる数年の経験のただの看護師であって、このブログで触れたような歪んだ人間だったり、ありえないしゃべり方のタメ口しか使えない人間だったり、看護師の世界しか知らない視野の広さも常識も無い人だったりする。

 

  ここでも書いたが、教員の質からしてやばいのだ。

msh2.hatenablog.com

 

 

 制度の問題は今まさに過渡期にあるようだが、単なる手技、実技の為、試験合格の為の教育ではなく、本質つまり人間性の教育について、もう一度、ナイチンゲールの時代に立ち戻って考えるべきだ。

 

日本の看護教育の失敗

 

 日本の看護教育の歴史


ナイチンゲールの看護の本質はどのように伝えられたか

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13664/1/23_p111-121.pdf

 

看護とは,体内で自然の回復過程が順調に進むように生活過程を整えることによって,その生命力に力を貸すことだとナイチンゲールは説いた。この生命力にカを貸すということは,人聞が営む生活そのものに焦点を当てて,その生活がその人の生命力を消耗させないように整えていく援助活動であり,ここに看護独自の機能が存在する。ナイチンゲールが発見し形作ったこの看護の本質ともいえる近代看護の原点は,ナイチンゲールの教育を直接受けた看護者や書物によって世界中に広がった。そして,その原点は,看護が発展的変容を遂げた現代にあっても色あせることなし看護を志す者の道標として脈々と受け継がれている。


わが国において近代看護婦教育が開始されたのは, 1885年(明治 18年),高木兼寛によって創立された「有志共立東京病院看護婦教育所(現在の東京慈恵会医科大学の前身)J,新島裏による「京都看病婦学校J,米国人宣教師ツルー (MariaTrue) による「桜井女学校付属看護婦養成所jで,ナイチンゲール方式,いわゆるトレンド・ナース (TrainedN urse) の看護婦養成が欧米先進国から直輸入の形で開始された。このことが,看護の組織的,系統的な教育による看護の質の向上,そして看護婦が自立するきっかけへとつながっていくはずで、あった。しかしこの当時,看護専門職を目指す看護教育はあくまでも傍流に終わってしまった帝国大学病院(東京大学医学部付属病院の前身)による医学からの要請に基づく看護婦養成や,日本赤十字社による戦時救援看護婦養成が主流となり,全国の看護婦養成所の模範となって全国に広まったからである。これらの養成所では,看護婦の役割が医師の助手としての域を超えることはなかった。この時代は,第二次世界大戦が終結し,連合軍総司令部 (GHQ)の指導のもとに保健婦助産婦看護婦法,保健婦助産婦看護婦養成所指定規則が制定され,看護の身分の確立と新しい看護教育が始まるまで続いた。


この新しい時代の到来から半世紀以上を経た現在,看護を学問として成立させるため,積極的に自然科学の手法を取りいれ,看護現象のある一部を深〈掘り下げて看護を説明する看護理論が数多く構築されてきた。これらの看護理論や研究方法は,ある種の看護研究や理論の検証といった領域には有効なことであるが,一つの理論ですべての看護現象を説明したり,看護全体を捉えることはできないという限界がみられるさらに,作り出された理論は醸成されることなく科学や医療技術,他の関連分野の動向に合わせたサイクルで作り変えていくことが必要になってくる。そして,わが国の看護は, 日本独自の伝統や丈化の上に構築されたものではなしこれら欧米諸国の方法論を常に模倣し追隠し発展してきたのである。


さらに,看護教育に目を向けてみると,看護の新しい知識と技術の伝達が教育の中心となり,看護の本質を基盤にした看護独自の機能を遂行するために「何を教えるのか」という根本を問わないまま進んできた結果,その方向性を見失っている状況にあるといっても過言ではない。看護教育において,何を教え,そしてどのような方法で教えるのかということは,いつも看護の本質に立ち戻って考えていかなければならないことであるが,その本質はもはや形骸化し議論に上ることもなくなっている。金井は「ナイチンゲールは“人間にとって看護とは何か"を解くことによって,時代や国民に縛られない,本来のあるべき看護のすがた(本質・原点)を示している Jl)と述べている。筆者もこの考えに強く共感する。ナイチンゲールの看護における人間観や看護観(看護の本質)は,わが国独自の文化に根ざした看護を構築するため,看護教育を行うための鍵になるはずでおある


そこで,本稿ではナイチンゲール看護の本質が意図したものと,その看護をわが国に浸透しようとした先人の思いと看護教育への影響を振り返り,今後の看護教育の手がかりを考察するものである。


3-2 日本赤十字看護婦養成所
日本赤十字社は, 1877年(明治 10年)西南戦争の折に,佐野常民博愛社を設立し男性看護人と医員による教護を行ったのが始まりである。さらに, 1886年(明治 19年)博愛社病院を開院し, 1886年(明治 20年)日本赤十字社病院と改称した。日本赤十字社は当初,皇室をはじめとした貴婦人層によびかけて, 日本赤十字社篤志看護婦人会を結成し,救護活動に関する学習会を開始した。本格的な看護婦養成は 1890年(明治 23年)であった。日本赤十字社の看護教育は, 日本陸軍の教育方針に通じ,上官の命に絶対服従する,克己,忍耐,奉仕が指導精神の柱であった。


大正後期から昭和初期にかけて日本赤十字社の教育の特徴については,山本らが行なった卒業した 20名の聞きとり調査から推測することができる。看護技術教育は,臨床に先立つて教室における実習やデモンストレーションは殆ど行われることなし臨床での実践によって訓練された。指導体制では婦長一卒業生一上級生一下級生といフヒエラルキーがあり,上位の人には絶対的権威があった。看護行為の判断と実行には,すべて上位者の指示が必要で、あった。状況に応じて熟練した方法を他者に示すことはあっても,その根拠を他者に納得いく方法で教えることは少なかった。ただい患者を大切にする思いや観察する眼とベッドサイドでの身体的直接働きかけが重視されていたことは,ナイチンゲールの思想に一致すると述べている向。しかし,ナイチンゲールが述べている看護 (artand science) を実践するための,科学的な,系統だった訓練は千子なわれていなかった。


その後,第二次世界大戦により,不十分な医療施設のもと,短期間での看護婦養成が行なわ
れるようになり,わが国の看護や医療の状況は戦前よりも劣悪なものになっていった

 

ナイチンゲールは,看護を病人に対して,科学的認識 (science)と看護の知識によって,自然治癒力を高める状態を作り出す (art)ことである, と定義した。そして,看護を科学的認識を育成するための看護教育のシステムを構築した。この教育を受けた優秀な指導者となったトレンド・ナースたちは世界中に広まった。わが国にも, 1885年ナイチンゲール方式の直輸入による看護教育が開始され,卒業生によりナイチンゲールの本質を,わが国の方法に改良した書籍の出版もみられた。しかし,一般の看護婦たちにはその本質は,結局伝わらなかったようである。戦前においては,女性の意識や社会そのものが看護を自立した職業として受け入れるには未成熟であった。


その後,米国では看護を学問とするための新しい科学を取り入れた理論構築が盛んになった。これは,他学聞の成果を取り込み,看護現象を要素を取り出して分析することが特徴であるため,ナイチンゲールの思想、とは全く土台を異にしているといっても過言ではない。新しい科学を取り入れた看護教育ではたくさんの知識を注入することが必要になってくるのである。わが国の看護教育は,この米国の方法に追随した形で進展してきており,現在の看護教育の混乱の要因にもなっていると思われる


これからの看護学教育に求められているのは,社会の変化に対応しながら,高度な看護実践の実現に向けて活躍できる人材の育成である。この定義は昔も今も変わらないであろう。しかし現在求められている内容は,最新の医療機器やコンピュータ処理による検査技術,移植医療や遺伝子治療などの高度の最新医療への対応,進展する高齢化社会QOLへの対応など多様である。今後,この内容はさらに高度になっていくことが考えられる。そして,このなかで看護の役割を遂行する手段として看護技術が必要になってくる。田島らの行なった「看護基礎教育における看護技術および認知領域面の教育のあり方に関する検討J37)では,看護基礎教育課程に必要な看護技術は 289項目に設定されるということが報告されている。看護技術を細分化しているため,このような結果になってくるのであろう。しかし,この看護技術項目が完全に習得することにより現在問題となっている看護実践能力の低下の問題が解決できるとも考えられない。

看護の対象は,部分からは捉えられないし,看護実践は細切れの知識・技術のパッチワークによって成立するものではない。看護は科学ではない。もちろん技術だけでもなしこの両者の統合があってはじめて成立するのである。ナイチンゲールはそのことをわれわれに示していたのである。ナイチンゲールの自然観,人間観,生活観,健康観,看護観などを理解し,看護の本質を正しく受け取めることにより,流転する社会情勢の中で,時代を越えても変わらない看護教育の方法論を見出すことができるのではないだろうか。

 

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13664/1/23_p111-121.pdf

 

 

 元々、日本の看護教育の起源は、日本陸軍にある。上官の命令は絶対だの軍国主義の旧日本陸軍

 

 いい加減、直せよw 

 

 しかも日本では海外のような倫理教育もされなければ、具体的な倫理規範も無い。本当に無いのだ。

 

日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いたかつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反
動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれ
る.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf

 

この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる(伊藤他, 2003)。

1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された。看護倫理は「看護概論」60 時間の中に含むと「注」がつき(看護行政研究会, 2009, pp. 1468-77)、その中で割り当てる時間数は各学校に一任されることとなった(高橋, 2005; 吉澤, 2007)。この指定規則は、1989
年に改正されるまでの約 20 年間施行された。
この時期(1967-1988 年)には、以前にみられるような看護師の美徳あるいは精神性に重点をおいた内容はみられなくなり、「看護師の規律」、日本看護協会の「看護婦業務指針」等の倫理規定が追加されている(伊藤他, 2003)。1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており、こうした精神性への偏重は看護の科学性を追求した当時の風潮とは相容れなかったものといえる(稲葉, 2001)。

...

1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり(高橋, 2005; 吉澤, 2007)、倫理教育は「医学概論」に含められていくことになった(吉澤, 2007)。このような 1989 年の改正には、1987 年の看護制度検討報告会において看護判断能力、ケア管理能力、教育指導能力といった看護能力の強化にウェイトが置かれるようになったこと、従来の博愛精神や医師への服従という教育内容に対す
る批判が高まったことなどが影響している。

...

1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない

...

2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられてい。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、
プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)

 

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/dns/pdf/zasshi/09.pdf

 

 2002年になってやっと出てきた倫理教育の指針。ほんの10数年前まで倫理教育も無かったという恐ろしい業界。

 

 実際の大学教育でも浸透するのはまだまだ、これからという印象だし、そもそも教育する側や既存の看護師たちの意識が変わらない。

 恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。

秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。

 

 今の30代以上の看護婦世代である…。

 さらに言えば、日本には、患者の人権、尊厳を守る法整備も遅れている。

 

 我々の何よりも大切な命を守るために,医療は必要不可欠であり,誰もが等しく,安全で質の高い医療を受けることができなければならない。同時に,その医療は人間の尊厳を守り,我々が幸せな人生を送ることに資するものでなければならない

 ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない
...
 日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。

 

日弁連(日本弁護士連合会)」
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf

 

 

 

 

 特権意識を醸成するような「看護師は皆から尊敬される素晴らしい仕事で」みたいな洗脳教育もやめるべきだ。看護師になったから自動的に素晴らしい尊敬される人間になれるわけでは全く無いからだ。バカな人間ほど、そこを勘違いする。

 

確かに昔よりは一般家庭の子が看護師になりたがってるのは増えたとは思うけど
でもそれは看護師の地位向上のための動きのステマっぽいものだと思ってるw
メディアなんかを通して、看護師は「素晴らしい仕事で人から感謝されて
なくてはならない存在で、、」っていうのをアピールして、終いには他の職業を貶めるような看護師まで出て来る始末
完全にやりすぎ
言いたい事は分かるんだけど、そういう「美化」された部分しか大々的に流さないから、実際に夢を持って看護師になった子は現場の看護師の性格の悪さキツさイジメなんかを目の当たりにして辞める子多いしね
んで「忙しい」が口癖で世界で一番辛いのは私と言いたい風w
その仕事選んだのはあんたたちだし、っていうか私たち医者の方があんたらより忙しいわwww
そういう人がなりたがる職業でもあるんだろうけど
一般人が思ってるより看護師はホントに馬鹿のくせに偉そうで、守秘義務も守れない常識ない人多いよ
それに、医者と張り合う看護師なんてちゃんちゃら可笑しい
役割が違うし、修了するための単位も難易度も遥かに差がある
でもそれを認めたくなくて、次は「家柄が」「育ちが」「医者だって馬鹿だし」「私立医のくせに」とか
もうお笑い
そう言う割には医者との不倫は当たり前みたいな看護師も居るし、デキ婚狙いもたくさん居るw
男医師には媚売りまくって、女医や他の女性職員には冷たく当たり散らしたり馬鹿丸出しw

 

 

 何度も書いているように、看護師という仕事は、何も考えていないと倫理観が破綻し人間性が滅茶苦茶になる仕事なのだ、という事をしっかりと教えそれを避ける具体的に方法を教えるべきだ。

 

  プリセプター制度なるものも本当に止めたほうが良い。バカがバカを見習ってしまう連鎖のようなものだ。教育係を別につけるべきだ。

 そもそも「実習」制度も一度見直した方が良い。

 

「責任を持っている」という事は、単に自分が適切な処置をするというだけでなく、他の同僚達もそうできるように手はずを整える、という意味である。

 近頃は使用人の質が落ちてきたと言われるが、私に言わせれば指示を出す方の質が落ちているのだ。指示の出し方もしらなければ、知恵を働かせて従うことを教える方法も知らないのだ。

 

フローレンス・ナイチンゲール 〜「看護覚え書き」 3章 「小管理」

 

 「私は主任で認定で出来る看護師!」「私はモテるナース(キャピ)」そういうアピールばかりや自己顕示欲や虚栄心や上昇志向の強い勝気でバカ女の看護師ほど、周りを見下し、それを見習う病棟看護師たちの人間性の低下を招いている。自分たちがやってあげてる、という態度で不快を与えていながらどの口が言うかと。

 

 この種のことを「自分の仕事ではないから」といって、患者のために行うことを拒否するような看護師がいれば、看護はその人の天職ではないと言いたい。私はある外科の看護師長が床を這いまわって磨き洗いをしているのを見たことがあるが、その理由はこのままではとても患者を受け入れるわけにはいかないから、というものだった。(中略)まず患者のために何をなすべきかを第一に考え、自分の役割は何かを常に考えている。この看護師長たちこそ真に天職としての看護師であった。


フローレンス・ナイチンゲール 〜「看護覚え書き」 1章 「換気と保温」

 

看護師は皆、人から「信頼されるうる」看護師でなくてはならない。それを忘れてはいけない。
(中略)
看護師は他人の噂をふれ歩くような人間であってはならない。作り話をしてはならない。担当患者について知る権利のあるもの以外には口外してはならない。
言うまでもなく当然のことであるが、看護師は真面目で正直でなければならない。正確に素早く詳細を観察できなくてはならない。また繊細なデリカシーのある感受性豊かな女性でなければならない。


フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 これにつきる。

 

 「看護師の傲慢さ」の項でも詳しく書いたそもそも患者と医療者・看護者 との関係は強者ー弱者の関係にあり依存関係にもある。

 

 欧米での看護師に関する看護倫理を見てみる。

Boundaries and the Nurse-Client Relationship:
Keeping it Safe and Therapeutic
Guidelines for Registered Nurses

 

The nurse-client relationship is one of unequal power, resulting from clients’ dependence on the services provided by nurses, as well as nurses’ unique knowledge, authority within the healthcare system, access to privileged information about clients, and ability to influence decisions (CRMN, 2007). This power imbalance can place clients in a position of vulnerability and potential abuse if trust in the nurse-client relationship is not respected. It is the nurse’s responsibility to recognize this imbalance of power and to be aware of the potential for clients to feel intimidated and/or dependent (CRNBC, 2006).

 

Intimacy
Nursing practice, by its very nature, can create an atmosphere of physical, emotional,
and psychological intimacy that can, in turn, increase the vulnerability of clients.

 

http://crnns.ca/wp-content/uploads/2015/02/ProfessionalBoundaries2012.pdf 

 

 要約すると、「患者」対「看護師」という時点で不公平な力関係が生じ、患者は看護師に対し脆弱で言いなりにされるがままの弱い立場に置かれる。看護師がその職業的立場を自覚せずに軽視すると、患者は潜在的虐待と搾取の対象となる。その不均衡は、患者は看護師が提供するサービスに依存し、看護師の専門知識と医療機関における権限と、患者個人の秘匿情報に触れる立場、そして患者の決断を左右させうる立場などから来る、ということ。

 上記に挙げた欧米での教育と看護倫理指針では、潜在的な権力の乱用につながるこの力関係の不均衡と職業的立場を認識し、患者を萎縮させてしまうように感じさせたり依存させて弱い立場に付け入るようなことにならないように注意するのは看護師の責任である、としている。

 

msh2.hatenablog.com

 

 看護師は、患者が無条件に降伏した身体を預けるのだから信頼できる人間性が第一なのだ

 

 しかしながら現代の看護師の質は、ここまで落ちているのである。

 

msh2.hatenablog.com

 

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本質的な人間性・倫理教育の欠如

 まるでナイチンゲールの時代に逆戻りしてしまったかのような看護師のレベルを、元に戻すための人間性教育が必要である。

 

 彼女は父の遺産をつぎ込んで1859年に聖トマス病院付属のナイティンゲール看護婦学校を開設した。1860年6月、15人の生徒から始まった看護婦学校では、なおも「看護婦」という名称にまつわる評判と戦わなければならなかった。そのため、入学者は厳しく選考し、能力も道徳的にも非の打ち所がないことが求められた。ふまじめな恋愛事件は、どんなものであっても即座に退学、医学生とのデートも厳禁、外出は制服着用し二人一組でなければならなかった。ナイチンゲールはソファーの上から鏡台の引き出しの使い方まで娘たちを監督した

http://www.y-history.net/appendix/wh1202-156_1.html

 

 これらのことが、日本の看護学校でできているとは到底思えない。

 

 むしろ、日本の今の看護系学校は「不良水商売ヤンキー女の更生学校」レベルである。

 

看護師ってヤンキー上がりが多いのが良く分かる。
子供の学校の父兄でモンペなのは、看護師が殆ど。
上から目線でものを言う。
中身はないのに威張りたいだけなのか。
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看護師はヤンキー多いね。
凄く優秀で、優しくて素晴らしい看護師もいるがごく一部で、ほとんどはヤンキー、バツイチ、あまり賢くない人が多い職業なんだね。
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看護師多いよ~

看護師になった子はすごく頭良い子もいたけど、ヤンキーやギャルの子も多かったな~
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看護師の仕事って半端な気持ちじゃできないよ。元ヤンでも専門学校行ってるうちに更正しちゃうよ
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ヤンキーではないけど、いじめっこやチャラい子も看護師になった
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中学の時、殴り合いの喧嘩するようなヤンキー女いて
いじめで友達自殺させたような奴が
親のコネで准看護師で学校?通いながら実務経験積んで看護師になった人いる

人殺しといて看護師とか..
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病院によって物凄いムラ社会ができあがってる。
そのムラ社会は一つの人格がとなり、個人の思考や価値観はムラに合わせる事が強要される。
そんなムラ社会の中で自分の立場を守ることにしか、個人の思考は働かない。
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俺もガキの頃は看護師って素晴らしい人格だと思ってたけど、現状は全く逆だわ。
群れてわけのわからん意見を主張してる時の目つきなんて、到底人間とは思えん。
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実際ヤンキー上がりが多いんだから仕方ないだろwwww
DQNの先輩のお母さんだって看護師だったわwww

 

http://girlschannel.net/topics/123524/3

 

 見習うべき先輩、手本になるべき教員や主任や師長がヤンキー上がりのヤリマンビッチのダブル不倫、茶髪のタメ口上から目線の元ヤンとか、医者相手の風俗嬢とか、つくづく看護業界に入る若い学生は不幸である。 

 

この10年間で人間性に問題のある上司・先輩を何人も見て来ました。平気で暴言・差別用語を口に出す先輩。イジメを容認する管理職。同じ部署内で2グループに分かれ相手グループの潰し合い。在職中の師長も、独裁者言いだしたらキリがないです。そして、『ここでは良い人は長く続ないよ』を合言葉のように良い人は辞職します。私は二つ疑問があります。
1つは、働きやすい人間関係の職場は本当にあるのか?2つ目は、人間性に問題ある人は35才以上でリーダー格の人・お局的存在の人・管理職に絞られるように私の経験上、思うのですが…それは35才以上の人達が育った環境が、こういう人間性にさせてしまったのでしょうか?職業から考えて人間性に問題ある人が多すぎることが疑問ですし不思議です。何か看護師職場において歴史的背景とかあるんでしょうか?
悪い職場が良くなった職場があれば、きっかけは何でどういう流れで変化していったのか希望を持つために教えて下さい。

 

今の役職世代といえば=アッシーメッシージュリアナお立ち台ギャル世代?コギャル、ガングロ、援交世代?時代の影響は否めない。

 

昔は女性の雇用が限られていたから、定年までフルで男性並みに働けるというと看護師、公務員(とくに教員)、保母さん(保育士)、美容師、理容師・・・などくらいしかなかったから
特に自立して働きたい!
と言う人が多いのでそうなるのかも(そういう傾向にあるのかも)

 

これはもしかしたら偏見かもしれませんが、なんか看護師の人って男遊びが激しい人やヤンキーみたいな人が多くないですか?

---

元々は、色んな人がいるんですけど、ヤンキータイプは中々離職しないからです。
一般的に男性からモテるタイプ(非ヤンキー)は早く結婚して家庭に入ります。
女の子女の子な人も、結婚願望が強く早く結婚子作りして退職。
のんびりのほほ~んな子は、仕事がはかどらず長時間残業で疲弊→結果、私に看護師は向いていないと転職。
繊細過ぎる人はうつ病になり退職。
上記のように、非ヤンキータイプは離職率が高く、
ヤンキータイプは離職率が低い為、割合が多くなってしまうんだと思います。
男遊びは人によります。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1046862770;_ylt=A2RiFkcfkrdVLR0ApHvoyfR7?pos=1&ccode=ofv

 

 そういうのが結婚も当然できずに残って凝縮されていく。

 

35というより30以上の場合でずっと辞めずに(産休育休も入れて)残っている人は病棟の中心的役割も担い、意見する人も退職等で周囲にいなくなるのでどうしても強い存在になりがちですね。既婚未婚関係なく能力もある程度あり気が強くないと残れないのでしょう。私はずっとここで可愛がられてきた、ここでやってきたという変な自信もつくんでしょうね。人の入れ替わりの激しい所なんかはそこしか知らない20代が同じように独裁的な事をしています管理の行き届いてない人が来ないような所は新卒者のやりたい放題野放しにして新卒者〜3年目が独裁状態の所もあります。同じ所でかたまって年数が経過すると物の見方は凝り固まり、異動やよそから来る人も入りづらい働きにくい職場にはなるでしょう。こういう傾向の薄い所が働きやすいかと思います。
ずっと同じ職場の人より、別の新しい環境にヒラで一から入ってる人の方が謙虚だとは感じます。看護師でも現場好きで一生ヒラがいいと思ってる人は癖もないです。しかし管理職についたりボス的になる看護師は人を見下したり現場より自分の昇進優先の行動を取りがちだと思います。師長同志の権力争いもあり、師長でも人柄のいい人は隅に追いやられている感じです。
環境面ではモンスターペアレント時代の新卒の人間性はもっと落ちていて常識,適性のない子も看護業界に入ってきます。看護系の学校もどんどん作られ受験業界,教育業界も金儲けに必死な感じがします。
100人看護師がいてそのうちの1人(能力が高く支配欲もある)がトップになり、その人の質,考え,レベルに合わない90人を切って、人手不足になれば簡単に人集めをしているのが現状じゃないでしょうか。管理職の地位を手にしてる人で働きやすい職場づくりを真剣に考えている人は果たしてどの位いるのか疑問です。

 

職場に10年、20年あるいはそれ以上勤めている人にも精神障害があり、その人達の雇用を守るために犠牲になっている新入職員(新卒だけではない)もいます。そのようなケースがかなり多い。どうしてこんなに精神障害が多いのか、就職して初めて分かる場合があります。
精神障害を持っている人が以外に一つの職場に長く勤めているケースが少なくないのではないでしょうか。
その結果、当然、職場の教育制度は形骸化していたり、そもそも教育などと呼べるはずもない
教育の名を借りたハラスメントに耐えかねて、例えばこのようなサイトに相談しても、おそらく回答するメンバーは固定化しており、しばしば厳しいコメントと共に「辞めればいい」と書かれている人もいます。

現場で見た限り、精神障害について私は、以下のものを挙げます。
1.職場のストレスから発症した
2.個人的なライフイベントや年齢的なもの(女性の更年期症状を含む)
3.1と2の混合
4.元々の個人の基礎要因。気質的なものなど

私が見た限りでは、4の元々の基礎要因が多いです。今でこそ、看護学校に入学するために学力が問われるようになりました。しかしある時期、学力の高い人は看護師にならなかった時代があったのです。いわゆる景気がよかった時代です。その時代に高校を卒業しても進路に困った人達がいた。そしてその人達の受け皿となっていた養成校があった。もちろん学校の設置者達は、人を育てるとか、行き場のない人材を生活能力のある人間に教育するという懐の深さ、優しさ、温かさもありました。でもその世代の一部が今の医療現場で問題を起こしているケースが少なくないんです。その人達がどういうことをしているか、内容は書けません。

昔、看護学校に入学する資格として、学力優秀、人格も優れ、容姿端麗…、そのような時代もあったのです。もうとっくに現役を引退した70代以上の方の時代ですけれど。そのような時代の選考基準をある時期に崩したツケが今きています。まあ、景気のいい時代に手に職をつけようとか、社会的地位の高くない看護師になろうと、優秀な人は考えませんけれど。
とにかく今の状況は残念です。心の病気になっている人が多くて可哀想という感情論ではなく、現場の環境も悪化し、一部の職場ですが患者さんに対する暴言もないわけではないので。
残念なことだと思います

 

 今、看護師になる理由に最も多いのが「一生使える資格・安定した就職率」です。

就職難や離婚率が高くなってきたころから、職場に入ってくる人たちの意識が大分変わってきました。
今は「白衣の天使」というイメージすらご法度になりつつあります。試に看護師や学生に「白衣の天使についてどう思うか」と問うとわかると思いますが。
「人を救いたい」という理由も学校入学のためのものでしかなくなってきています。
そういった人たちを育てる教員達もフラストレーションが溜り、教育の方向性を見失いつつあります。

反面、看護教員の教育水準が一定してなく、人を教育するための教育が不十分であることも理由の一つです。
昔は医師が絶対的な存在だったのが、今は看護師も医療現場に率先した参加を求められてきています。
意識は高くプライドも高くなったが、根本的な人間的及び学習能力が追い付いていないのも原因だと思います。

 

 だって今の看護教員=やっぱりorz世代

 

正直、人材紹介会社が出張ってくる今の看護師の就職状況はおかしいですよね。

1人雇うのに手数料100万掛かったりする。

で、気に食わなかったらすぐやめる。
社会人としておかしい人が多すぎる。
人間としてだめでも紹介会社が次探してくれる。

もっと、看護師の業務を減らして、数をそろえて、きちんと看護師も淘汰されるべきだと思います。あんな人たちに看護されたくない

あと、人間としての教育もきちんとできる形にして欲しい

 

 だって出会い系サイトの「JKビジネス」世代...

 おまけに何をしてもどうせクビにはならないと見切っている。

 

看護の専門性を高めるには、大学の様な研究機関で学ぶことは必要ですし、各種の認定資格も必要でしょう。

問題は学んだ人の人間性でしょうね。
学んだ得た物を患者や後輩へ提供することができなく、自分の存在を誇示するための道具にする人がいるからパワハラにつながるんだと思いますよ。

では、准看護師たちが謙虚に信念を持って職務に従事しているかというと、これもそうでもないです。
准看護師という資格を選んだほとんどの人は、現在の資格に不満を持ちながらも「勉強は嫌い」「お金が無い」と言いながら「でも社会的に信用のある資格についていたい」という方々。
なので経験を積めば自分の地位も上がっているはずと疑わない方々です。
学んでいないから学ぶ必要性もわかっていません。違いますか?

全てがこういう方々とは言いませんが、こういった掲示板で論争が起きるのは、周りにこのような方々が多いからでしょう。

現在の医療に看護師(准も含めた)たちの人間性が追い付いていないんですよ。
きついことを言いましたが、専門性を深めるには本当に学ばなくてはいけないのは人間性や倫理面です。
もしくは、学校入学の際の面接で厳しく選抜するべきです。
自分の一生を病める人々に捧げる、そういった信念を持った看護師の前では何の論争も起きないと思いますが。

 

看護教員の問題

「ヤンキー更生学校」を卒業した単なる元看護師が教える学校。

 

ちなみに、現役高校生から社会人までバラエティに富んだほかの「一般の専門学校」ではこのようなことは起こりません。例えば、通訳の専門学校。
高校新卒から大学新卒、社会人経験など多数のありとあらゆる人が学んでいます。そこの教員たちはどんな人たちにも対応できるような教養の深さや経験を持ち合わせています。

しかし、看護専門学校という狭い世界を卒業し、現場で数年積んだ後、専門学校という空間でのみ長年やってきた教員には「自分たちのやっていることはごく普通のこと」などと思っていることでしょう。

看護専門学校というと5年ほど前までは倍率もかなりの低倍率でほぼ全入であり、ほとんどの学生が現役生、それも底辺の高校出身の方が多い状況だったと思います。底辺というのは早慶(慶早)に合格できるのは学年で1-2人程度、あるいは全くゼロの学校です。

底辺の高校は学研のような低い水準で偏差値50-55程度の高校といえども、市進や栄光となると40台になります。新宿セミナーで千葉大の偏差値が70以上というアリエナイ数値になっているのと同じと思えばよいでしょう。まぁ、そのような高校卒の子達を長年相手にしていたのだから、「幼稚園、小中学生扱い」が当たり前のようになってしまい、それがなかなか抜けずに誰ふり構わず、社会人にもそのように振舞ってしまうんじゃないかと思います。

学力の低い子たちというのは、自分の頭で考えることが苦手なんです。自分で高い目標を設定し、毎日10時間以上、12時間、14時間と必死に勉強してきたという経験もありません。
高校時代、適当に遊んで…推薦で入って…かなりの楽をしてきた子たちです。

勉強の仕方も分かってない。複雑なものを単純化させたり、大量のものを要領よく覚えることすらできません。相手のいわんとすることを瞬時に掴む能力も、先の先まで読む能力も低いです。
「何で相手は今こんなことを言ったのかな、何のために?」と相手の言動から先読みすることができないんです。
ダラダラとノートに書いたり、蛍光ペンで線を引いたり…要領の悪いやり方には随分と長けています。授業中も言われたことだけをやり、その場でふと疑問に思ったりしたことを自分で調べるなんてこともしません。「もうこれはわかるからいいや」と思った内容であれば、先に進んで読むなど、そういった積極性なんてのも皆無です。

確かに、そういう子たちは大人がレールを作って、強制的になんでもかんでもやってあげないと教育上難しいのかもしれません。

ここ数年、全国の看護専門学校で社会人入学者が急増しました。
専門学校の教員は社会人を社会人として扱うことができず、一律に「幼稚園扱い」で済まそうとしているのかもしれません。

「今までのやり方」が完全に染み付いているのでしょうね。

時代の変化に対応できるよう、看護専門学校の教員に対する教育-外部講習等が必須です。
もちろん、講習を受けたらオシマイというわけにはいかず、学生からの定期的な評価制度の実施を行い、評価の悪い教員には再教育を導入することも求められます

 

http://ameblo.jp/kango-kouryaku/entry-11841621579.html

  

 

 社会人で企業を経験してから看護師になりました。看護学校は北朝鮮状態。学生の自主性を伸ばすという校風を掲げていながら、少し意見をしたら上から抑えられる始末。実習では、指導者に「また学生来やがった」とかムシされ、立たされ、何も教えてもらえなかったことも。先生に行っても、ただで指導してもらってるからということで何も変わらない。実習で得たものはとにかく我慢するということでした。
本題になります。
最初に就職した国立病院。師長がいじめをするような人でした。新人4人が代わる代わるいびられました。私は結婚してたのですが、結婚してることで嫌味を言われたり。ムシされたり。他の先輩もいい人もいましたが、強烈な人が多すぎました。オムツ交換に一緒に入った看護師からは、私の手をすべてはらわれたりすることも。業務はよかったのですが、人に耐えられず1年でやめました。
しばらく子育てをし、落ち着いたので4月から派遣に紹介してもらい、慢性期病院に復帰しましたが、汚いし、適当だし、なんの勉強にもならずもう辞めたいです。丁寧に指導してくれるということでしたが、放置です。人の環境もいまいち(いない人の悪口ばっかり言っている)だし、さっさと辞めたいのですが、我慢がたりませんか??子供がいるので休みやすいというのはいいのですが、それだけです。
一回り違う子が偉そうでムシしたり、命令したり、みんなにタメ口です。それがまかり通っている病棟です。会社で働いてるとき、そんな子がいたら注意し、退職に追いやられてたと思います。看護師って足りないから、そういうマナー、常識のない子すら辞めさせられないのですね。
今後、環境は変わりそうにありませんし、イヤな思いすると思うのでさっさと辞めて新しいところを探そうと思うのは我慢たりませんか??
看護師の世界って本当、かなり特殊だと思います。

http://nayami.tabine.net/ns/008685.html

これに対し、

経験がものを言う世界。
普通の会社の、年功序列ではありません。
どれだけ長くいるか、実力と経験をつけるかにかかります。
まあ、いまはどこもそうかもしれないけれど・・・

あなたの経験は、一年弱?でも、新しく入ったら、また新人からやり直し。それに、即戦力になるほど経験がないから、相手のほうが、それは上になってしまう。
相手は、あなたより年下でも、リーダーとかやってるなら、そりゃ、業務命令はだすでしょう。それが嫌なら、仕事は出来ないと思いますが。どこへいっても、これは同じことです。

年下に頭を下げられない、指導や業務命令を聞けないと、この社会では仕事ができません。渡ってはいけません。あなたの経験が浅いのは事実です。この仕事は実力と経験があってなんぼです。年上であることへのこだわり、今までのキャリアなどで培ったプライドが、いまだ捨てられないと、適応は難しいでしょうね。

ただ確かに、この世界は疲れるし、おかしいと思うのも、無理はないです。他からの転職者で、適応できない人はよくこのサイトでも、あなたと同じことをいっています。適応できないと、この世界とは、永遠に平行線をたどります。この社会、根本的にはあまり変わりません。
しかしながら、あなたがいくら非難しても、変わらない事実がそこにあります(あなたに関しても、周りも)。
我慢できないなら、辞めてもいいと思いますよ。

http://nayami.tabine.net/ns/008685.html 

 

 「異常な状態に合わせろ、嫌なら辞めろ」、なんてどこのヤクザだ。

 上のような返答をする看護師が居るから、変な人間性の女看護師を量産させるのだ。

 異常な状態にお前が合わせろ、という異常性。

 

私は23歳の女で、大学卒業後に1年の社会人経験を経て、この4月から地元の
看護専門学校に進学しました。私を含め、社会人の学生(20代~30代)はクラスに6人います。
クラスは真面目そうな子がほとんどですが、一部の派手な子達(現役生)がちょっと悩みの種です。
今、教室の座席は出席番号順なのですが、見事に私の席の周りにその派手なグループが固まってしまいました。具体的に何が悩みなのかというと、

・授業中とにかくうるさい(先生や前に出ている学生が噛んだり、言い間違いをする度に毎回後ろをチラチラ、グループの子たちとクスクス笑いアイコンタクト…)
・授業中やHR中、ノートに落書きをしたのを見せ合いっこ、携帯いじり、お菓子を食べる(食べたごみは移動教室の机の中に放置)
・授業中は「高校でやったから」「全然意味がわかんないから」とノートを取らず、課題が出ると大騒ぎして私たち社会人学生や真面目そうな子にノート貸してと要求
・社会人学生を「年上の人」「おばさん」呼ばわり(とにかく同級生として認識できないらしく、宿泊研修の班が一緒になっただけで「マジ最悪」「あの人(私)いても〇〇くん(現役生)いるだけマシじゃん、我慢しなよ」「あの人(別の社会人)じゃないだけいいじゃん」等大騒ぎ)

まだまだありますが、こんな感じです。私は、割と積極的に係の仕事をしたり、堂々としたタイプなのであまり陰口は言われていない(と思う)ですが、かなり大人しめの友人(25)は「もう学校辞めたい」とまで言っています。
確かに、本当にこれから3年間クラスも変わらず、万が一実習の班が一緒にでもなったりしたらと考えるとゾッとします。
担任にも相談しましたが「子供じゃないんだからクラスのことはクラスで解決しなさい」で終わりました。
先日、意を決して「静かにして」と注意をしてみましたが、「ほらー○○ー、うるさいだってー(笑)」「は?あたしじゃないし(笑)」とさらにうるさくなり逆効果でした。

自分なりに現役生とは積極的に話したりしていますが、本当にクラスが苦痛です。
宿泊研修もできるなら行きたくありません。
これから本格的な授業や実習が始まれば彼女たちは変わるんでしょうか…

 

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結果からいえば、どこの学校でも似たようなもの。
悲しいかな、その雰囲気は特別ではないこと。

 

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11144553191;_ylt=A2RAqacriblVxGUAFTvoyfR7?pos=9&ccode=ofv

 

 

ヤンキー体育会のノリ

 

 看護学生の実習は、医学生の実習とはずいぶん様相が異なる。医学生の実習は結構気楽で、ゆるい感じに指導されることも多いが、看護学生の実習はそんなことはまるでないようだ。

 上下関係が厳しく、ふだん“あのナース、ホンマにアホちゃうか”と思っているナースでも、下に学生がつくと、厳しい言葉で命令指導していたりする。たまに、先輩ナースが看護学生に、ネチネチと決まりごとや雑多な細かいことを“指導?”して、看護学生が突っ立ったまま、そのネチネチの内容をずーっとメモし続けている光景にも出くわす

 医師と医学生の間ではそのような光景は基本的に、ない。

 また、看護学生が昼休みに入るときは必ずナースステーションで整列し、聞いてるのか聞いていないのかさっぱりわからない職務中のナースたちに向かって、「午前のご指導ありがとうございました。これからお昼休憩をいただきます」などと大声を張り上げて、深々と礼をしてから休憩に入るし、昼休みが終わると、またナースステーションで「お昼休憩をいただきありがとうございました。午後からのご指導もよろしくお願いします」などと声を張り上げる。

 医師の世界にはそういう慣習は、ない。

 医学生の頃から、よく同僚と話をしたものだ。

 「俺は、医師にはなれても看護師には、なれんね」

 「俺も。あんなの、無理……」

 

http://www.babajiro.com/babajiro/nikki/20130419nomi/kango.htm

 

 

●後輩に対して、「お前」って・・・(35歳女・育休中)
看護師の友人が、職場のいじめに悩んでいました。
聞いてみると本当に大変そう。その子が「先輩に名前で呼ばれたことがない」と言ったので、それではなんて呼ばれているのかきいてみると、「お前」だとか。

どんな理由があっても、それはヒドすぎませんか?
一部の職場に限った話だとは思いますが、正直驚きました。

http://www.kango-roo.com/sn/a/view/1421

 

 

看護学校ってなんで体育会系なんですか?女ばっかりなのに。
前から不思議です。
看護学生の行う朝、昼、晩の挨拶は軍隊式だし
教育というよりは調教、制裁的指導といった雰囲気。

ミスっちゃいけない場面では厳しくすべきと思いますが、
もうちょっと和気藹々とお互い助けあってやればいいのに…
といつも思います。

補足
「お仕事中失礼します!!
○○○子、○○○美、○○△男
以上三名、お昼の休憩を取らせていただきます!!
午前の実習、ご指導いただきありがとうございました!!
失礼します!!!」(その後一礼)

こんなのをいくつかの病院でみました。まだまだ軍隊式挨拶は残っているのでは・・・


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450816769

 

 

羞恥心と慎み深さの欠如

看護学校の演習でやること

質問者:nyankoo質問日時:2004/11/21 16:56


看護学生です。


今度、清拭の演習があり、学生同士裸になってやりあいます。すごく恥ずかしいです。

今、看護学校に行ってる方・・もしくは卒業されたかた・・・みなさんはどんな演習をやったことがありますか?
噂では、導尿や陰部洗浄をやりあうところもあるようです。
やはり、患者さんを扱う前にいろいろやっておいたほうがよいと思いますか?

友達同士、陰部をみせあったりするのは倫理的にどう思いますか?

 


回答者:i_love_cherry 回答日時:2004/11/22 23:09
看護師です。

そうですね~~。
確かに、恥ずかしい。
分かりますよ。
私も学生同士でやりましたから。
でもね。慣れます、アハハ。
そのうち、学生同士お風呂に入ってる、見たいな感じ?になっていましたね。

それはそうと、患者さんに気持ちになる、ということは、とても大切なんです。
学生時代に、そういった実習をする目的のひとつだと思います。

現場で、個々のプライバシーを全く考えない看護師がいます。
というか、自分は何もさらけ出してないものだから当然恥ずかしくない。で、患者さんの恥ずかしさに気づけない?というように思います。
困ったものです。

そういう医療者になる前に、この羞恥心を、学生のうちに頭に焼き付けるべきだと私は思うのです。
医療事故をしない、も大切ですが、一番身近なのは羞恥心かも、と思いますよ。

ですから、倫理的に、と言われてもなんともいえません。その、倫理を学ぶための実習では???
実習生の倫理、でなく、患者さんの倫理、だと思います。

 

回答者:kokona-kokona 回答日時:2004/11/22 23:06
看護学生です。
うちの学校では前期に既に全身清拭は終わっています。もちろん全裸です。
床上排泄もしました。勿論下着とって本当に排泄しました。
後期には、診療の補助技術として、導尿、浣腸、摘便もします。模型は付けません。古い学校なのでそのようなものがない、ということもあるのですが。
倫理といいますが、何に対しての倫理でしょうか。
患者の気持ちを分からない看護師になにが出来ると思いますか。
患者さんは看護師に任せるしかない状態です。
その気持ちを分かるには、実際に体験することが一番です。
すごく恥ずかしい気持ちを体験して、その気持ちを一生わすれないでいましょうね。
看護師になると毎日同じことを行っていたら患者さんの恥ずかしい気持ちを忘れてしまうこともあるかもしれません。
でも、看護師自信がその恥ずかしい気持ちを分かっていたら、より患者の身になる看護を行えるのではないでしょうか。
嫌な気持ち、恥ずかしい気持ちは私もありますよ。
でも、関西弁ですが、
「かなん気持ちを忘れない看護師になってや」
という先生の言葉があるからやっていけます。
そのように考えられませんか。

看護学校の演習でやること - 医療 | 教えて!goo

 

 羞恥心や恥じらいなど、邪魔なもの、として排除される。本当は決して慣れてなどいけないものなのだ。

  自分が無感覚になっているビッチだからと言って、患者も無感覚だと思う滅茶苦茶な看護師が増える...さすがにここ数年は模型などを使う学校も増えたようだが...

 

 

  新たな看護師像

 

今日、社会人を経験した看護師も多く、高学歴ナースが増えています。このような看護師が働く職場には新たな3Kを作る必要があります。新しい3Kとして「機敏性、気品、謙虚さ」を提案します。

3Kを支える4性

3Kの一つ「機敏性」は、行動だけではなく機敏に相手の反応を読み取り、瞬間的に頭を働かせて、必要なケアを判断できる「知性」を伴った機敏さです。特に患者さんのニーズを瞬間的に掴むためには、臨床的直感力を発揮することが求められます。そこには患者さんの心を感じる力、「感性」が必要になります。知性、感性があっても、それを行動に移すためには適した性質があります。

それでは看護師に適した性質とは何でしょうか。明るさ、素直さ、器用さ、相手に好感を与える笑顔や姿勢・態度が自然に出せること、このような性質が適している性質といえるでしょう。

「適性」には、そのもとになる「品性」が必要になります。品性は、人間に最も大切な性質です。品性を培うためには真摯な心を持つことです。子どもの時のように常に純粋で、偽りがなく、真っ直ぐに生きる心から品性は生まれます。品性を高めるためには、自分の心に「いやしさ、ねたみ、偽り、恨み、疑い」などの心を宿らせないことです。

第5回 未来のナース像 | ナースプレス | ナース専科

http://nurse-senka.jp/contents/press/13364/

 

 

 つまり、目先の技術より、本質、つまり看護に携わる人間の人間性の向上。本質つまり人間性があれば、移り変わる技術に関わらず方向性を見失うこともないのだ。

 

そもそも論

 そもそも、看護師が「命を救う」だの「命を守る」だの「病人を癒す」だの言ってしまう時点で「おこがましい」どころか、神をも冒涜する傲慢さだ。生きるも死ぬも本人の判断と意思と運命次第だ。看護師の傲慢さによってタメ口、赤子扱い、その他、酷い扱いを受けながら悔しい思いをしながら死んでいった患者は途方もない数に上るだろう。患者の生きる意志を砕くような事すらしている看護師が偉そうに命を扱うだの言う資格もない。

 

看護師って特別な存在じゃなくていいと思ってます。患者の心の支えになるのは家族です。
看護師の仕事は、まずは決められた仕事をこなす事、看護技術や知識はそのために磨きます。

http://ca.kango-roo.com/topics/3649/

 

患者が最も望んでいることは、そんなことについて口を利くように強いられたくない、ということなのである。

 教養のある階級の病人は、誰しも自分の担当看護師に対して必要な時を除いて出来るだけ部屋の外に出て行って欲しいという望み以外は何ももっていない。これは現在どんな(酷い)看護がなされているかを物語るに十分な証拠である。(中略)

「もし私が重症になっても、私がなすべき最後のことは、看護師を部屋に呼び入れることではないだろう。少なくとも私が正気の間はね」というのだ。

 現在のところ、看護とはそのようなもとなってしまっているのである。教養ある人々の間では、看護師が部屋に入ってくる恐怖に比べれば、一人で死んでいく恐怖はその半分もないのである。

 

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 

「看護師がなすべき事、真の看護とは、良き観察者となり、患者が自然の力で治癒する為にもっとも良い環境を整え患者の生命力の消耗を最小にするように整えることである」「病気や傷を癒すのは自然のみなのだ」

 

フローレンス・ナイチンゲール 〜「看護覚え書き」 14章 「結論」

 

 

 

 

 

  

 続き(6.看護師の結婚・婚活)

msh2.hatenablog.com

 

 

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