看護師のなぜなぜ研究

ここが変だよ日本のナースさん

3-4章.看護師の患者関係・恋愛・共依存

 

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「看護師‐患者関係の境界」・パターナリズム・そして共依存

 

 ここでは日本においてまったく浸透していない看護における職業倫理、看護師ー患者関係の倫理問題についていくつか紹介する。

 

看護師と患者の恋愛・デート


 よく話題に上る話だが、看護師と患者の関係において、看護師は患者と個人的な関係はもとより、恋愛関係・性的関係になることはあってはならないことなのだ。

 

 それは何故か。

 

看護師-患者関係の職業的境界線


 "Professional Boundaries and the Nurse-Client Relationship" 「看護師-患者の関係と職業的境界線」という「治療的境界」の概念である。

 

www.ncsbn.org

 

 これは日本においては、まったく話題にも上がらなければ、教育もされなければ、議論にもなってなければ、研究すらされていない。

 日本の看護協会の倫理規範にも、無い。

 

 日本の看護師は誰一人知らない。

(*そもそも看護師の倫理綱領すら知らない看護師が沢山いるのも事実。守秘義務すら知らないという、悲惨な状況である)

  

A Nurse’s Guide to Professional Boundaries.
“Professional Boundaries in Nursing”

National Council of State Boards of Nursing (NCSBN) states that “the nurse should avoid situations where he or she has a personal relationship with the patient.” (ncsbn.org, 2011)
Professional sexual misconduct is an extreme form of boundary violation and includes any behavior that is seductive, sexually demeaning, harassing or reasonably interpreted as sexual by the patient. Professional sexual misconduct is an extremely serious, and criminal, violation.


https://www.ncsbn.org/ProfessionalBoundaries_Complete.pdf

 

 患者と看護師の関係には、常に明確な一線を引くべきだと。「看護師は患者との個人的関係を持ってはならない」、とこれ以上ないくらいはっきりと規定しているのだ。もちろん誘惑(におわせるだけでも不可)、性的ハラスメント、性的なものと患者に思われること、淫行(sexual misconduct)これらは極度に重大な犯罪的な違反である、とも明記されている。

 なぜかと言うと、境界侵害は最終的には、 医療上、患者の健康にとっても重大な不利益、害となるからだ。単なる一般常識、道徳、プロ意識の欠如、公私混同ということだけではない。

 「看護師の傲慢さ」の項でも詳しく書いたそもそも患者と医療者・看護者 との関係は強者ー弱者の関係にあり依存関係にもある。

 

 欧米での看護師に関する看護倫理を見てみる。

Boundaries and the Nurse-Client Relationship:
Keeping it Safe and Therapeutic
Guidelines for Registered Nurses

 

The nurse-client relationship is one of unequal power, resulting from clients’ dependence on the services provided by nurses, as well as nurses’ unique knowledge, authority within the healthcare system, access to privileged information about clients, and ability to influence decisions (CRMN, 2007). This power imbalance can place clients in a position of vulnerability and potential abuse if trust in the nurse-client relationship is not respected. It is the nurse’s responsibility to recognize this imbalance of power and to be aware of the potential for clients to feel intimidated and/or dependent (CRNBC, 2006).

 

Intimacy
Nursing practice, by its very nature, can create an atmosphere of physical, emotional,
and psychological intimacy that can, in turn, increase the vulnerability of clients.

 

http://crnns.ca/wp-content/uploads/2015/02/ProfessionalBoundaries2012.pdf 

 

 要約すると、「患者」対「看護師」という時点で不公平な力関係が生じ、患者は看護師に対し脆弱で言いなりにされるがままの弱い立場に置かれる。看護師がその職業的立場を自覚せずに軽視すると、患者は潜在的虐待と搾取の対象となる。その不均衡は、患者は看護師が提供するサービスに依存し、看護師の専門知識と医療機関における権限と、患者個人の秘匿情報に触れる立場、そして患者の決断を左右させうる立場などから来る、ということ。

 また、看護という仕事の特性上、患者に対して密の肉体的、精神的、感情的な親密さという雰囲気を醸成するが、これは同時に患者の脆弱性を増長させてしまう。

 この潜在的な権力の乱用につながる力関係の不均衡と職業的立場を認識し、患者を萎縮させてしまうように感じさせたり、依存させるようなこと、または弱い立場に付け入るようなことにならないように注意するのは看護師の責任である、と。

 医療を受ける患者の弱みに付け入ったり、看護師の立場上得られる力を乱用しない、というのが患者ー看護師の間における信頼関係の基本である。

 

msh2.hatenablog.com

 

 看護師と患者(家族含む)の間に、個人的感情や、プライベートの関係、恋愛、性的関係を持ち込む事は、職業的境界線を侵害した行い。

 職業的境界線を侵害する行為は、信頼関係を毀損治療を妨害し重大な倫理規範の違反となり、海外では罰則、免許剥奪もある違法な犯罪行為にもなりうる行為とされているのだ。

 

 医者ももちろん同様だ。

 

 治療中の患者と恋愛関係を持つのは、倫理上大問題だからだ。 患者との性的関係などについての非倫理性は、特に精神科の分野では長らく研究されてきたが、それ以外の分野の医師に関しての議論が深まったのは、比較的最近のことだ[注1]。AMA(米国医師会)は「弱い立場にいる患者につけこんだ行為」として反対している。

 

■治療中の患者と恋愛は「違法行為」

 AMAの医療倫理の指針(AMA Code of Medical Ethics)には、患者との性的接触について独立した項目がある。その一部を引用してみよう。

 「患者―医師関係と同時期に起こる性的接触は、不正行為(違法行為)に相当する。 医師と患者間の性的または恋愛的な交流は、医師と患者のあるべき関係を損ない、患者の弱い立場が悪用される可能性があり、 医師の客観的な判断を鈍らせる可能性がある。そのため、最終的に患者にとって有害になり得る

 また、ニューヨーク州の衛生局(Department of health)は、医師と患者の性的接触を禁じている。つまり、互いの同意で始まった付き合いでも、その事実が露見すれば、不正行為として懲戒処分になる可能性があるのだ。

患者からのデートの誘いはOK? 医師の恋愛ルール
日本経済新聞

http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK3001V_Q3A830C1000000

 

 特に昔から有名なのは、精神科医と患者の性的関係で、これは完全にタブー(禁忌)中のタブーである。それは精神科では心理学用語でいう「転移」を利用して患者の治療を行う。そういう立場を利用して患者に付け入るのは近親相姦なみの幼児虐待と同じレベルの行為と見なされてきた。

 

私が精神科医になってから18年が経ちましたが、これまでに誰からも改めて「精神科医が患者さんを愛してはいけない」と戒められたことはありません。が、これは人類がどの文化においてもインセスト(近親相姦)タブーを堅持してきたのと同様、精神科医の職業モラルとして最重要なものの一つであり、かつ不文律です。この前提が崩されたとき、精神医療の正義は破綻します。

Amazon.co.jp: 医師の言葉があなたを変える! 徹底相談 ~精神科医熊木に訊け!

 

やはり、実際の精神療法で起こりえないことが満載であった。 まず、最初の自殺企図の女性患者になる阿川繭子(近藤春奈)にも芸者夢乃(蒼井優)にも、倫太郎が隙がありすぎる。時にseductive(誘惑的)過ぎるだろうという声かけや、近すぎるであろうと思える心理的、物理的距離感が多々見られた。 これでは、相手の恋愛感情をわざと呼び起こしているようなものである

訓練された精神療法家はこんなことは決してしない。また、患者さんへの身体接触も容易過ぎる。これでは、倫太郎自身が、一般の人が優しさと見えるところで精神療法家として、無意識にきちんと訓練されないで不用意に心理的にも物理的にも距離の近いところで関わっている。治療場面から、離れて「二人でコーヒーを飲みに行きましょう」などということはありえないのだ。治療枠が全く守られていない

ドラマ「Dr倫太郎」にむきになる - 臨床心理士のうたたね日記

http://utatanenikki.hatenablog.com/entry/2015/04/16/083904

 

 精神科医のみならず、医療者に共通して求められる事である。看護師と患者の関係も、欧米各国での職業倫理にハッキリと規定されているのだ。

 日本には、明文化された倫理もなければ、患者保護の法律すらない。医療特に看護においてまともな倫理規範も存在していない。一般的な職業倫理、そして医療現場における看護倫理があるが、看護師の倫理観モラルは一般と比較しても異常に低い。

治療的な看護師ー患者関係の境界と倫理

 病院で、人を服を剥いで裸にし、抱きかかえ、観察し、性器を触り、拭き、管を差し込む。そういう仕事をする看護師にとって、信頼されるために、看護師側が高い倫理感を持っている事を一般に対し具体的に行動でもって証明する事がなにより重要であることは本来は当たり前の事だろう。 

 それでも過ちをすることがあるからこそ欧米では法律での処罰という予防線と被害者を保護するシステムを作っている。日本には、どちらも、何も、無い。

 

欧米の看護師の明確な明文化された倫理規定

簡単に訳す。

 

Boundaries in the Nurse-Client Relationship

The nurse-client relationship is the foundation of nursing practice across all populations and cultures and in all practice settings.

看護師ー患者関係は、あらゆる集団・文化・臨床現場において、実践看護の基礎となるものである

 

Principles

基本原則

 

1.

Nurses use professional judgment to determine the appropriate boundaries of a therapeutic relationship with each client. The nurse — not the client — is always responsible for establishing and maintaining boundaries.

看護師は、個々の患者との適切な治療的な境界をプロとして判断すべきである。そして看護師が - 患者ではなく - 常にその境界を確立し維持する責任がある。

 

2.

Nurses are responsible for beginning, maintaining and ending a relationship with a client in a way that ensures the client’s needs are first.

看護師は、患者のニーズを第一とした方法で、患者との関係を開始し、維持し、終了させる責任がある。

 

3.

Nurses do not enter into a friendship or a romantic relationship with clients.

看護師は患者との友人関係、または恋愛関係には入らない。

 

4.

Nurses do not enter into sexual relations with clients 4.

看護師は患者と性的な関係にはならない。

 

5.

Nurses are careful about socializing with clients and former clients, especially when the client or former client is vulnerable or may require ongoing care.

看護師は、患者や元患者が脆弱な状態だったり継続した治療が必要な場合は特に社交的な関係に注意すべきである。

 

6.

Nurses maintain the same boundaries with the client’s family and friends as with the client.

看護師は、患者と同じ境界線を患者家族やその友人とも維持する。

 

7.

Nurses help colleagues to maintain professional boundaries and report evidence of boundary violations to the appropriate person.

看護師は同僚がプロフェッショナルな境界を維持するのを助け、境界侵害行為がある場合は、その証拠を適切な立場の人に報告する。

 

8.

At times, a nurse must care for clients who are family or friends5. When possible, overall responsibility for care is transferred to another health care provider.

時に、看護師は家族や友人をケアしなければならない時がある。そのような場合、可能であれば全般的な責任を他の医療提供者に委ねるべきである。

 

9.

At times, a nurse may want to provide some care for family or friends. This situation requires caution, discussion of boundaries and the dual role6 with everyone affected and careful consideration of alternatives.

看護師が自分の家族や友人のケアをしたいと思う時、関係する全ての人と細心の注意と境界と2面的役割の議論が必要となり、代替方法を検討すべきである。

 

10.

Nurses in a dual role make it clear to clients when they are acting in a professional capacity and when they are acting in a personal capacity.

看護師が2面的役割をする場合、患者に対して、プロとしての行動か、個人的な行動かを患者に明らかにしなければならない。

 

11.

Nurses have access to privileged and confidential information, but never use this information to the disadvantage of clients or to their own personal advantage.

看護師は、秘匿情報に接するが、決してそれを患者の不利になるように、または看護師自身の益のために使用してはならない。

 

12.

Nurses disclose a limited amount of information about themselves only after they determine it may help to meet the therapeutic needs of the client.

看護師は、それが治療上患者に必要だと結論づけられたときに限って、限定的に自身の情報を限定的に伝える。

 

13.

Nurses may touch or hug a client with a supportive and therapeutic intent and with the implicit or explicit consent of the client.

看護師は、援助的、治療的目的で患者の明示的暗示的同意の元に患者を抱いたり触ったりする場合がある。

 

14.

Nurses do not communicate with or about clients in ways that may be perceived as demeaning, seductive, insulting, disrespectful, or humiliating. This is unacceptable behaviour.

看護師は、患者と、または患者について、下品な事、誘惑的な事、侮蔑的なこと、礼を失する事、屈辱的な事と受け取られるような話をしない。

 

15.

Nurses do not engage in any activity that results in inappropriate financial or personal benefit to themselves or loss to the client. Inappropriate behaviour includes neglect and/or verbal, physical, sexual, emotional and financial abuse.

看護師は不適切な金銭的利益や個人的益の活動に患者を巻き込まない。不適切な行為とは、無視放置ネグレクト、言語的、身体的、性的、感情的、金銭的な乱用を含む。

 

16.

Nurses do not act as representatives for clients under powers of attorney or representation agreements.

 後見人の下に居る患者の代弁をすべきではない。

 

17.

Generally, nurses do not exchange gifts with clients. Where it has therapeutic intent, a group of nurses may give or receive a token gift. Nurses return or redirect any significant gift. Nurses do not accept a bequest from a client.

 一般的に、患者と贈り物を交換しない。治療的な目的で看護師のグループとしてギフトを送ることはありうる。

看護師は、価値のあるギフトは返却するか、委ねる。看護師は、遺産や形見を受け取らない。

 

”Boundaries in the Nurse-Client Relationship”

https://www.crnbc.ca/Standards/PracticeStandards/Pages/boundaries.aspx

 

 日本の看護協会なりどこかに同様の具体的な規定を公開しているか?  

 

 ないんだなこれが

 

 こういうところに、日本の看護師の風俗嬢なみの性的モラルの低さとプロ意識の欠如がよくわかるものだ。

 看護師がAVのネタにされるのも当然だ。コスプレ的制服「患者に寄添え」と場末のホステスで馴れ馴れしい言葉遣いの上に、性的羞恥心を取っ払う専門技術教育だけで当たり前の倫理道徳の教育が欠落しているのだから。

 

The Code of Ethics of the American Nurses Association


2.4 Professional boundaries
When acting within one’s role as a professional, the nurse recognizes and maintains boundaries that establish appropriate limits to relationships. While the nature of nursing work has an inherently personal component, nurse-patient relationships and nurse-colleague relationships have, as their foundation, the purpose of preventing illness, alleviating suffering, and protecting, promoting, and restoring the health of patients. In this way, nurse-patient and nurse-colleague relationships differ from those that are purely personal and unstructured, such as friendship. The intimate nature of nursing care, the involvement of nurses in important and sometimes highly stressful life events, and the mutual dependence of colleagues working in close concert all present the potential for blurring of limits to professional relationships. Maintaining authenticity and expressing oneself as an individual, while remaining within the bounds established by the purpose of the relationship can be especially difficult in prolonged or long-term relationships. In all encounters, nurses are responsible for retaining their professional boundaries.


Provision 2 | Code of Ethics for Nurses With Interpretive Statements

 

 職業的境界線を固持するのは看護師側の責任である、と。

 

Power


The nurse-client relationship is one of unequal power, resulting from clients’ dependence on the services provided by nurses, as well as nurses’ unique knowledge, authority within the healthcare system, access to privileged information about clients, and ability to influence decisions (CRMN, 2007). This power imbalance can place clients in a position of vulnerability and potential abuse if trust in the nurse-client relationship is not respected. It is the nurse’s responsibility to recognize this imbalance of power and to be aware of the potential for clients to feel intimidated and/or dependent (CRNBC, 2006).
Establishing personal relationships (e.g., romantic, sexual) with individuals in their care would be a breach of registered nurses’ practice standards and code of ethics and, across Canada, nurses have been disciplined for establishing these types of relationships. Personal relationships exist for the mutual interest and pleasure of all individuals involved. These relationships are casual and friendly in nature, and may become romantic. Individuals involved in personal relationships set the parameters of and are equally responsible for maintaining these relationships.


http://www.crnns.ca/documents/ProfessionalBoundaries2012.pdf

 

 

The Code: Standards of conduct, performance and ethics for nurses and midwives


Maintain clear professional boundaries
20 You must establish and actively maintain clear sexual boundaries at all times with people in your care, their families and carers.


http://www.nmc-uk.org/documents/standards/the-code-a4-20100406.pdf

 

 

Practical Guidelines for Boards of Nursing on Sexual Misconduct Cases


The researchers drew the following conclusions from the studies they reviewed:
Clear sexual boundaries are crucial to patient safety.
Specific education about this subject, delivered in conducive environments, changes health care providers’ attitudes toward sexual contact with patients.
Sexual boundary violations result in significant and enduring harm to patients.
Reported incidence of sexual misconduct in health care is low, and is concentrated in general practice and psychological therapies.
Patient vulnerability is associated with higher prevalence of sexual misconduct.

 

Practical Guidelines for Boards of Nursing
on Sexual Misconduct Cases
Developed by NCSBN’s Discipline
Resources Committe

 

https://www.ncsbn.org/Sexual_Misconduct_Book_web.pdf

 

Clear sexual boundaries between healthcare professionals and patients Information for patients and carers

 

http://www.crnns.ca/documents/ProfessionalBoundaries2012.pdf

 

看護師委員会側の弁護士は、「看護師、特にホスピスに勤める者にとって、精神的に弱っている患者からの誘いをき然と断るのは専門家としての大切な責任です。規則は単に自分がシフトに入っている時にだけ守られればいいというものではありません」という意見を、オクラホマ地方裁判所の判事に伝えました。結果としてBrunt被告には20年間の看護師資格停止が言い渡され


患者と恋に落ちたホスピスの看護師、20年の資格停止を言い渡される - GIGAZINE

 

 患者ー看護師関係の治療的境界の侵害は「患者に害をなし」「信頼関係を毀損する」これが国際常識。 

 

 ところが日本の看護師は、キリスト教的道徳規範も無ければ、患者ー看護師関係についての職業倫理も公に規定されていない。患者や家族の方が気を遣って接している事も多く、逆に看護師の方が関係にルーズな場合がある。日本の看護師の倫理感と倫理教育は、欧米各国より比較にならないほど遅れていると言わざるを得ない。

 もともと日本の看護師は、普通の距離感の取り方すら分かっていない。

20 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/04/30(金) 10:37:29.47 id:Bdlb+laq0
家が病院だけどビッチというより世間知らずが多い
男との距離感をわかってない気がするよ。
いつまでも学生気分抜けないしな…

 看護専門学校では女子校状態。タメ口で馴れ馴れしく、羞恥心だけは取っ払われている。

 海外のプロフェッショナルと日本の看護師はまったくの別の職種と言っても過言ではないのだ。もちろん、欧米の看護師が謙虚で賢く優秀かと言えば、必ずしもそうではないのが実態だが、少なくとも「職業上の落とし穴」を認識しており、明示的な規定を設けている

 日本看護協会の時代遅れの感覚と、旧態依然とした倫理感の無さが、日本の看護師の致命的なモラルの欠如と職業的プロ意識の欠如に繋がっているのだろう。

 日本における患者ー看護師の関係性においては、看護師と患者が親密さを深め・人間関係を形成し、信頼関係を構築する方向性ばかりに主眼を置いて指導がなされている。

 

 境界線とリミットを設定していない

 

 ここに日本の看護の世界に大きな欠陥があるのだ。

 

看護師の患者関係の倫理

 

 実際、入院患者と恋愛は?患者とデートするの?と日本の看護師に訊くと、大抵こういう答えになる。

 

「だって入院患者はお年寄りだし~対象外~」

「入院しているの怪我人でもなく不健康な病人だし~対象外~」

「仕事中そんな暇ないし~同僚にバレたら気まずいし噂されるのやだしぃ~」

 

 良く解釈しても、明確な境界も倫理規範に無いので、それしか根拠を答えられないのである。日本の看護協会なり、倫理学会なのか何かしらないが、その団体の明らかな怠慢である。

 つまり、裏を返せば(いやらしく言えば)「老人でなければ関係をもっても良い」、「単なる怪我人なら関係を持っても良い」、「同僚にバレて悪く噂されなければ、自慢になるなら喜んで性的な関係を持っても良い」と、AV的シチュエーションに、患者に性的サービスを行ってもよいと日本の看護師達は思っているということになってしまうのである。

 事実、日本において入院患者とプライベートで遊びにいったり、性的関係、恋愛関係を持つ看護師は多いのだ。

 

なにしろ、日本の看護師は、公式な倫理規範も無いから。

 

知識もない。教育もない。

 

だって、無いんだもの。バカなんだもん看護師って。

 

前回、職場内におけるナースの医師争奪戦について書かせていただいたが、今回はそうした類い稀なる優秀ナース以外の、大多数の普通ナースがどのように結婚までこぎつけているのか…彼女らの恐るべき婚活テクニックをご覧いただきたい。ナースがナースであることを最大限に活用した婚活…それは患者をターゲットにすることである

この高齢社会において、病院の患者はほとんどが高齢者。じーちゃん、ばーちゃんが多い中、見舞いに来たお年頃の孫を狙うというのは非常に難しい。なぜならこのご時世、そうそう頻繁に祖父母の見舞いに来る孫はいないし、逆に頻繁に見舞いに来てもそれはそれで心配である。


ところが整形外科や耳鼻咽喉科くらいだと、不慮の事故だったり、喘息などの持病持ちだったりということで、比較的若くて活きのいい患者がやってくることも多い。彼氏募集中のナースが狙うのは、ズバリその領域の患者だ
中略)
ナース同士も毎日顔を突き合わせていれば、大体他のナースのターゲットが分かってきて、公務員はAさん、大企業や起業家系はBさん…など、ナースの間で勝手に“婚活仕分け”が行われる。ターゲットが決まれば、あとは仲良くなるだけである。巷でも白衣の天使と言われているだけあって、白衣マジックにより騙される男子が続出。コンパで出会ってもパッとしないような女子が、白衣を着ているだけでなんとなく美人に、なんとなく清楚に、ついでに後光まで射して見えてしまうから不思議である。

 


ナースの婚活/第2回「恐怖!看護師の婚活テク」 : カザーナ-CAZANA|次世代サラリーマンの働く未来を考える

http://cazana.net/archives/4782639.html

 

私と同じ部署の同期のナースは私を含めて3人いるが、
うち私以外の2人は院内での患者とのセクロスと交際を経験済みのこと、
毎年2~3人デキ婚で仕事を辞めること、
看護学校時代の女友達はほぼヤリマンなこと、
夜勤中は、先輩・後輩問わず、みんな下ネタばかり話している

あと、うちの病院は親睦会というなの、研修医と新人ナースの
ヤリコンがあるw私は参加したことないけど、院内で穴兄弟
チン姉妹が山の様にいる。

で、誰かの役に立ちたい、それを職業にしたいと思う人っていうのは、
孤独感とか、寂しさを感じやすい人、人とつながっていたい人だと思う

寂しい人っていうのは、自分に提供できるものは何でも提供してこっちに
関心を持ってほしいって思うんだよね。
それが、看護の仕事だったり、自分の体だったりみたいな感じ

人が嫌がることをして、感謝されることで、
そこに自分の存在意義を見出そうとしちゃうんだよね
自分を必要とされたい願望というのかな。
そういう人は、愛情とかに飢えている。
愛情とかに飢えている人は総じて性欲強くてヤリマンだよねw

何か病院内の男女関係はどこの昼ドラ?って感じにほんとうに乱れている
医者とw不倫した40代看護師がいて、医者との子どもを妊娠
夫と離婚して、医者も本人も務めている病院で出産とか

うちは小児科と内科の混合病棟で、子どもと老人がほとんどだけど、
たまに整形のベッドが足りなくて、元気な若い男のことかがくる
そうしたら、若いナースの餌食にほぼ100%なる

実はこんな私も人妻ですw旦那は私のこと清らかな女と思ってるwww
みんなナースと結婚するときは気をつけろよ!!

 

24歳看護師が看護師の性欲はなぜ強いのか考える - VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ

 

看護師と患者の関係は、どちらかと言えば親密にならざるを得ない環境になりますので看護師と患者の恋愛は成り立つのか、という質問をよくされるのですが
んー基本的には無しですね。 少なくとも私は無しだと思います。
まぁ私が仕事していた職場が内科の病棟だったり、外科の病棟だったりしたからかもしれませんね。
基本的に、病弱な人が多いです・・・入院しているから当然なのですが

私から見れば、入院患者というだけで自動的になまっちょろいみたいなイメージが付いてしまいまして
いきなりハンデがついている感じになります・・・。。
もちろん、みんながみんなそういうわけではないのでしょうけど。。
申し訳無いですが、できれば恋愛するなら病気の人よりは健康な人の方が良いです。。

あ、でも、整形外科ならアリかもしれませんね。事故で骨を折って入院してる人とか。
整形外科で入院してくる人は若い人も多いし、やはり病気と事故とでは、その人のイメージがまったく違います。
実際、私の友人の看護師は、交通事故で骨を折った患者さんと病院で知り合い、付き合っていました。

ちなみに、逆はあります。
患者さんからメールアドレス付きの名刺を渡されたり、やたらとタッチングが多かったり、用も無いのに名指しでナースコールしてきたりとか。。
患者として弱っている所、優しくされた看護師さんの事が好きになったりすることは結構あるようです。
まぁ仕事とはいえ、弱みにつけ込んでる所がありますからね・・・しかも入院中はある程度病状が落ち着いたら結構暇になりますので、普段は考えないような至らぬ思いが巡ってしまうのでしょう・・・気持ちはわかりますが、後から考えればおそらく暇つぶしのようなものだと思います。
よっぽどの事が無い限りは、退院と共にその感情は薄れていくことがほとんどですので、若い看護師がしつこく患者から迫られていても、基本的には相手にしないように指導していました。

あ、でも意外なところで、患者さんとではなく、患者さんの家族と恋に落ちることは少なくありません。
毎日お見舞いに来ていた患者さんの息子や孫とお付き合いをする、という感じですね。オイオイいつの間に、って思わず突っ込みたくなりますが、たしかに意外と患者さんの家族と触れ合う時間って長いですからね。
ちなみにですが、私が看護学生だった頃、教官をしていた看護教諭も、関わった患者さんの息子と結婚していました。


http://kangosiblog.com/20110727/post_310.html

 

看護師と患者の恋愛ってあると思いますか?

でも実際、看護師と患者の恋愛ってどのぐらい多いんでしょうか?

看護師と患者の恋愛は「ある」が61.2%、「ない」が31.8%、「その他」が7.1%という結果になりました。思ったよりも多いなーという印象です。でも病院に入院してるときって心も体も弱っていますからね。そんなときに笑顔で「大丈夫ですか?」と言われたら・・・。


看護師と患者の恋愛はあると思いますか?
「はい」
・先輩が患者さんと結婚しました!
結婚して今旦那さんです
私の知ってる先輩、3組は看護師‐患者夫婦ですよ!
看護師と患者だった人で結婚した人が実際にいました!!
あるよ。病気や怪我で弱っている時に優しくされると、惚れてまうやろw
レアだと思いますが。
探せば実例があるだろうし未来でもあるだろう
先輩は患者さんと結婚しました!
結構ありますねうちの伯母は3回離婚したけど
実際いる。でも私の病棟は老人だらけで、ありえない。
いいと思います、お互いに愛するなら
整形外科ならあるかも。
経験者ですよ。むふ。
友達と先輩が患者さんと結婚しました( ´艸`)?
整形ならあるでしょう。比較的若い人多いですし。
告白されました
オトコとオンナでしょう!
看護師(女)と患者(男)のケースならあると思う。逆はないだろうな。
整形外科病棟は若い患者さん多いからあるんじゃないかな?
昔、私も入院していた患者さんと付き合ったことがあります。私の友達は、患者さんだった人と結婚しました。
私はないですが。やはり整形は若い患者さんもいたりするのであるのかも。
友人が患者と結婚しました。整形の患者は若い人いるからね…うらやましい。
整形とかあるって聞きますよ。
母が看護師です。 父は患者として出会ったらしいです。
若ければあると思います…うちは奥様と同じ年寄病棟なんでまずないですが
ウパです。ないとは言い切れないので、あると思います。
まぁ、私の同期は、学生時代の患者さんと結婚しました。離婚していますが。
何回か告られましたけど、付き合いませんでした。
私の嫁の両親は、看護師と患者として出会って結婚してますよ(^O^)
友人が実際にそのパターンで結婚しました。
タイプが合えばね
そんな人も身近に結構いますよ(^O^)やっぱり患者さんからのアピールがきっかけみたいですけどね。
看護師と患者の恋愛はあると思いますか?
「いいえ」
患者は患者。結婚するともれなく介護がついてきます、と思ってしまう。健康第一。
勘違いなおじさんとかから本気度の高いメールとか来ると引きます(´・_・`)笑
同じく高齢者ばかりなので(^_^;)
あるかもしれないですけど…NICUなんで赤ちゃんしかいませんww
還暦のじいさんに告られました。一目惚れしたと。今朝一生懸命口磨いたんだ、いつ奪われてもいいようにと。もはやセクハラ、、、
精神科なので…(゚o゚;
ないことはないんでしょうけど、なかなかそんな気にはなれないと思います。
小児病棟だったので・・・私にはそのような体験はなしです。
基本患者さんはどこか病気なのでそうゆう対象にはなりません。整形外科は別かもね?内臓系が弱いわけではないし!!
看護師と患者の恋愛はあると思いますか?
「その他」
看護師同志や医師時折薬剤師ですかね
そんな事をする何かがあんのか
お好きにどうぞ、としか。
入院するような病人や怪我人をワザワザ恋人に選ぶとは思えないけど?『まあ選ばないよん』とは、准看護師の彼女の意見です。ヨカッた(⌒-⌒; )
基本なしですが、1回だけデートしちゃいました(笑)

http://anayasu.com/kangosi-kanja-renai/

 

患者さんに誘われるって!本当にあるんですね。看護師と患者の関係で、恋に発展しちゃうなんて、ドラマみたい?あの日怪我をしたからこそ訪れた、看護師との運命的な出会い!出会いは大切にしないと~!私は老健勤務なので、患者さんとの出会いはまずないか、あってもかなりの年の差カップルだな。(笑)うらやましいです。せっかくの出会いですもの、デート、しちゃいましょ~?病院の近所でデートしなかったら大丈夫ですよ、きっと!

患者さんにデートに誘われました。 | 看護師コミュニティ

 

 バカすぎる。

 

 倫理的に問題だと指摘する看護師が一人も現れてこない。

 

 プロとしてやっている(はず)の看護師を、暇だからと言って遊び相手に誘うのなど大変失礼だろうと思い込んでいたら、逆に色目を使ってきたり、露骨な色仕掛けをして誘ってくる看護師が実際に沢山いる

 

29 :名無しさん@お大事に:2011/07/03(日) 22:35:54.07 ID:9lS9yxp/
キャバ嬢と一緒で擬似恋愛で操作して
看護が楽な方向に持っていかれてるだけだろ

「それは先生に聞いてください」

いい加減聞き飽きた
話しかけてくる割に何もできない看護師

 

 日常的にこんなことをしているわけで…本当に露骨である。

 看護師むしろ、性的に奔放なイメージ、軽くて尻軽、チャラい、を最大限に生かして遊んでいるように見える。

 

彼が整形外科に入院中に既婚者の看護師から手をだされて浮気されました。
私も、彼の両親も顔を合わせていた看護師さんなのに大ショック!
浮気の良い訳は・・・他の看護師もみんな患者に手を出してるから私だけ悪くないって言われました
一部の方だけでしょうが、それを聞いてから偏見を捨てられません。
もうその病院には行って欲しくないし、他の病院も疑いの目で見てしまいます。


看護師あるある | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

 

(看護師)意外と嫌いなんだな。軽い女性が多いのと、入院したときやたら色目使うは、露骨に誘われてたから。
わざとらしく胸チラ見せようしたり、パンツが見えるように足開いてしゃがんだり。
最悪は寝てる間にアドレス見られて、退院後いきなりメール来たり。
無視ったらエロ写メ送り付けられた経験がありますよ。
だからどうしても看護師はそういう頭なんだと思ってしまいますね。勿論真面目な方もいらっしゃるとは思いますが、やはりトラウマですね。

mikle.jp

 

─看護師の恋愛・結婚事情は?

斉藤 結婚となると、医師狙いとそうでない子で真っ二つです。医師との交際経験がある子はかなり多いけど。
島田 医師は基本まじめだけど、特に国立大出だと勉強ばかりだったからか、コミュニケーションが取れない人が多い。女性の目を見て話せないとか。逆に、私大出は遊び慣れて浮世離れしている感じ。
高木 診療科でもタイプが分かれるよね。外科は遊んでる先生が多い。あとは泌尿器科と整形がちゃらい。黒いのしか居ない。あんたは、松崎しげるか(笑)。
杉山 職場恋愛は多いですよ、基本。宿直室から医師と看護師の2人で出てきたり。逆に、患者と付き合うナースも少なくない。非医師派では、ヒモを飼っている人がかなりいる。この仕事は給料が良いので、支えてあげようって性格になるのかな?
一同 ならないから・・・


http://astand.asahi.com/webshinsho/diamond/weeklydiamond/sample/2014051600008.html

 

看護師は2~3又なんて当たり前
(彼氏いるのに金もった人にホイホイ近づく看護師も多く、それを嬉しそうによく話す)
しかも招待されたからと金持ちの患者の家までいったり、病院で合コンの話ばっかりで
プライベートと仕事の線引きをきちんとしてない人も若い看護師にちらほら見かける

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1363088645/

 

Q 病院でナンパは禁止??

 

A べつに平気・・・ナース2人食ったでーーーー

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120846481

 

もうですね。病院は、

コスプレの出会い系キャバクラかよw

痴漢セクハラプレイかよ

と言うかヘルス風俗かよw

 風営法許可とれよwww

 

と言いたくなる。

 

 どんな職業でも利害関係のある顧客と私的な異性関係を持つ事は誰が見てもモラルに反している話だ。

 職業人で、「客に手を付けた」「枕だ」と後ろ指さされない仕事とは何か。

 キャバ嬢とホスト男ぐらいなものだろう。それも、して良いというわけでなく、そういう仕事をする奴らなら、何してもおかしくない奴らだろうという。。。

 

 ゲスなヤリチン集団で有名な消防士でさえ、

ゲスの極み消防士。 救急搬送者の娘をLINEで合コンに誘う

 救急車で運んだ負傷者の娘の携帯電話に「合コン」に誘うメッセージを送ったとして、兵庫県西宮市消防局は1日、消防士長の男性職員(44)を停職1カ月の懲戒処分にし、発表した。男性は市の調査に「軽率だった」と話しているという。

 市消防局によると、男性は昨年8月、転んでけがをした40代女性を救急車で搬送した際、同乗した20代の娘から緊急連絡先として携帯電話番号を聞き取った。この番号を自身の携帯に登録し、後日、ショートメールや無料通信アプリのLINE(ライン)で「私のこと覚えてますか」「消防士と合コンしますか」など6通のメッセージを送信したという。昨年10月、女性の知人が市に通報し、発覚した。

http://www.asahi.com/articles/ASJ21627QJ21PIHB02Y.html

 不適切な行為で停職処分を受けた救急隊員、思いもよらぬ相手を「合コン」に誘っていました。

 去年8月、兵庫県西宮市の瓦木消防署に勤める44歳の男性消防士長は、40代の女性を病院に搬送した際、救急車の中で付き添っていた20代の娘から緊急連絡先として携帯電話の番号を聞き出しました。その後、消防士長は、無料通信アプリ「LINE」で、「学生ですか、社会人ですか」「消防士と合コンしませんか」などと娘にメッセージを送ったということです。西宮市は、この消防士長を停職1カ月の懲戒処分としました。消防士長は「軽率だった」と話しています。

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000067454.html

 

 と、処分されるべき行為なのだが、看護師は女が男を誘ってセックス「させてしまう」訳で...

  そもそも、病院で看護師に気軽に声かけて誘われるという時点で、看護師という職業が軽く見られている、という事に気が付くべきだ。いや、看護師は給料もらっていながら仕事中に個人情報利用して逆ナンパでもしてんのかと言われても仕方がない。

 というかしている。

 女には絶対に理解できないことだろうが、若い男が入院中、暇でやることもなく溜まった状態で女を見れば怪物でもなければ穴さえあれば...以下自粛。

 とはいえ実際に「やりたいんでしょ~(ニヤニヤ)」みたいに来られてもドン引きするか、恐怖である。

 

万人中、1人ぐらいが

患者さんとの個人的な付き合いはやはりダメと言うしかありませんね、看護師はプロフェッショナルとして個人的な感情を仕事に持ち込むべきではありません。他の患者さん達の目もありますし、好きという気持ちがあったとしても自制することが大切だと思います。退院後なら良いという看護師もいますが、私は個人的には反対ですね。やはり患者さんとの個人的付き合いは退院後も望ましくないと思います。

私達は忙しくてなかなか異性と出会うきっかけはありませんよね。でもやはり職場は職場、プライベートはプライベートと分けて、公私混同は避けた方が良いと思います。もしもその方とのお付き合いが順調に行って誰かに「出会った場所は?」と聞かれた時に「入院先の看護婦さんで、その時知り合いました」というのは、ちょっと専門職としては聞こえが良くないとは思いませんか?退院後にどこかで偶然出会ってそこからお付き合いが始まるのなら構いませんが、入院中に連絡先を交換することや個人的な情報を教えあうのは私は違和感を覚えますね。そんなことを考えながら、本当に仕事がちゃんと出来ているのかと心配になります。少々きついことを書きましたが、あなたのためにと思い書かせて頂きました。

 

イケメン患者さんに一目ぼれしました・・・ | 看護師コミュニティ

 

 と書いていた。もしかしたら、10万に1人かも知れない。

 それでさえ、「違和感」レベルであって、何故かとちゃんと理論的な根拠は提示できていない

 日本の看護師のアンプロフェッショナルな、無知で低レベルなモラルの低さには呆れるばかりか、危険である。

 

入院中の担当看護師さんを代えて貰う事って出来ますか?
27歳男です。
数日前から入院中なのですが、担当してくれている看護師さんがちょっと…。 多分20代後半くらいの女性の看護師さんなのですが、検温や点滴の交換、配薬など必ずといって良いほど、その看護師さんが来ます。
仕事は凄く丁寧なのですが、その最中に、毎回タメ口で家族の事とか仕事の事とか、プライベートな事を詮索してきます。
最初は曖昧に受け流していたのですが、昨日は少し苛っとする事を言われて、素っ気ない態度を取ってしまいました。
看護師さんは、その後はずっと無言でした。
さっき、その看護師さんが来て、点滴の交換をしていったのですが、何故か処置を中途半端にしたまま(セットするだけして流し忘れた?)黙って出て行ってしまいました。
しばらく待っても戻って来ないので、ナースコールで別の人を呼んで、直して貰いましたが…。
担当の看護師さんって代えて貰う事って出来るんでしょうか?
図々しいと思われますか?

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 これ、本当に潜在的にすごく危険。やられた事ある男なら分るはず。

 

 足を骨折して入院した兄のお見舞いに行ったときのこと。兄のベッドに目をやると、看護師さんが丸椅子に腰かけてペチャクチャ話しかけている。治療の話にしては楽しそうだぞと思って「お世話様です」と声をかけると、ようやく立ち上がったものの、なかなか病室を離れようとしないの。

「まだなにか?」と尋ねようとすると「あの~、も・し・か・し・て、彼女さん?」と下から上までガン見。

「妹ですケド」と答えると「な~んだ、そっか~。ガチで本カノかと思っちゃったじゃないですか。あはは」。スキップしながら病室を出て行ったの。兄いわく、「なんかオレ、気にいられちゃったみたいでさ。ヒマさえあればここに来るんだよ」なんと夜勤明けの休日にまで、私服でお見舞いに来たっていうから、笑いごとじゃすまないでしょ。しかも、兄もまんざらでもなさそ~な表情。

 あの女、兄が退院したら、うちに通ってくるから見てな。

 

カワイイ女性患者をいじめる癖に、医者には腰振りですり寄る。
イケメン患者には、色目を使い茄子同士で取り合い劇。下品。
私は、心ない茄子にわざと注射や、採血を何度も失敗されました。
茄子ステーションで「やってやったよ!あはは!!」と笑ってる茄子を見た時は、殺意すら感じた。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/sousai/1374238222/

 

 医療という特殊な分野で仕事に私情を持ち込むと、非常に危険な事になる。嫌がらせどころか、何度も注射針で刺されたり、不要なインシュリン投与されたり、カリウムを注入されたり... *実際にあった事件。

 

 はじめまして主様、経験からお話致します。
昔の看護師さんって優しさがありました。
よくケガをする仕事なので入院する事が多いのですが、今の看護師さんって怖いです。
同僚に嫌いな看護師が居たみたいですが、悪口を言ったり言った事に同意を求めたり同意しなければ無視や点滴で明らかに痛いやり方でやられたり皆さんが嫌がる部屋に変えられたり-----でも、そんな性悪看護師って先生方には、評判が良かったり、もう入院しない決意が出来ました。

 

看護師嫌いな人:全レス表示(恋愛掲示板@ミクル)

 

アラフォーの専業主婦です。
今度手術のため入院が決まりましたが、少々心配があってお訊ねします。

前回入院したときは、看護師さんに嫌われたようで、
ひどく居心地が悪い入院期間を過ごした経験があります。

たとえば、手術後お風呂に入れない人には毎朝、
身体を拭くためのお湯の入った洗面桶とタオルが配られるのですが、
私だけ「足湯」と書いてある桶が配られたり、忘れられたり。
それ以外でも、他の患者さんと違う対応が度々ありました。

多分理由としては、
初めての手術後で具合が悪く、横になってばかりだったので
看護師さんに感謝の気持ちをちゃんと伝えてなかったことか、
大人数の部屋だったにもかかわらず、寝込んでしまってばかりで
ちゃんと部屋に馴染んでいなかったことかなと思っています。

今度は看護師さんに嫌われるヘマをしたくないもので、質問なのですが
看護師さんとしては、患者にどう声をかけてもらえたら、
機嫌を損ねずに済むものでしょうか?
 

 

 

 この恐怖は患者として看護師からヤラれた事の無い人間には理解できないだろう。

 

 

 こういう日本の看護の実態を看護師達、病院、学会、看護協会はおかしいとは思わないのだろうか。

 

<看護職の特殊な心理>

 看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。

 実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。

 この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。

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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。

 大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。在任期間を考えても、医政局長は2年で次々とかわりますが、田村課長は8年もその職にありました。

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/07/post_2030.html

 

 

 むりだろうね、上っ面の地位向上と保身の腐った団体だ。

 

 そんなに地位向上を叫ぶなら、まず、看護師の倫理規定をはっきり設けよ、と。出来ないのは、ようするに上層部のオバちゃん看護師達自身が「倫理違反」しまくってきたから、自らの行いを否定するような事を公に出来ないのだ。

 日本看護協会の闇、であるw 違うというのなら、やって見せればよい。なぜ日本では出せないのか。

 

転移とナイチンゲール症候群


 心理学用語の(陽性)転移というのがある。治療者に対して惹起される感情のこと。看護師は、悪く言えばこれを利用して付け入っているという訳である。

 いわゆるナイチンゲール症候群(効果)という似たのがあるが、看護師が、手助けが必要な弱者・患者に対して一方的な愛着感を抱いてしまうケースの事。看護師が自分が必要とされている感を覚えることだ。

 しばしば反対の意味で誤解され、優しくされた方が恋心を抱くのがナイチンゲール症候群だと間違って知られているが、それは良くある間違いだ。

 適当に訳す。

 The Florence Nightingale effect is a situation where a caregiver develops romantic and/or sexual feelings for his/her patient, even if very little communication or contact takes place outside of basic care.[1] Feelings may fade once the patient is no longer in need of care, either by recovery or death.
ナイチンゲール症候群(効果)(Florence Nightingale effect)とは、看護提供者が患者に対して、基本的なケア以上の関係がないにもかかわらず、恋愛・性的感情を抱いてしまう状況を指す。その感情は、患者が回復したり助けを必要としなくなった段階で徐々に失せていく。

Origin
The effect is named for Florence Nightingale, a pioneer in the field of nursing in the second half of the 19th century. Due to her dedication to patient care, she was dubbed "The Lady with the Lamp" because of her habit of making rounds at night, previously not done. Her care would forever change the way hospitals treated patients. Most consider Nightingale the founder of modern nursing. There is no record of Florence Nightingale having ever fallen in love with one of her patients. In fact, despite multiple suitors, she never married for fear it might interfere with her calling for nursing. Albert Finney referred to the effect as the "Florence Nightingale syndrome" in a 1982 interview,[2] and that phrase was used earlier to refer to health workers pursuing non-tangible rewards in their careers.[3]
起源
この効果は、19世紀後半の看護先駆者フローレンス・ナイチンゲールに因んで名付けられた。ナイチンゲールはその看護に対する献身により、彼女が初めて病院で始めた夜の巡回に因んで「ランプの貴婦人」と評された。彼女の貢献により、病院における患者の扱いは大きな変革を遂げ、多くの人に現代の看護の創始者と認識されている。ナイチンゲールが患者に対して恋に落ちたという記録は全くない。実際、複数の求婚者が居たにもかかわらず、看護学の探求の妨げになると恐れ、結婚をすることは無かった。これに、Albert Finneyが1982年のインタビューでナイチンゲール症候群として触れ、以降しばらく福祉医療従事者のキャリアにおける非物質的無形の報酬つまり「やりがい」を表すフレーズとして使用された。

Medical
Florence Nightingale effect and Florence Nightingale syndrome are often considered to be the same thing. However, the latter typically refers to Chronic Fatigue Syndrome, from which Nightingale was said to have suffered. During the last years of her life, she suffered symptoms not unlike those of CFS.[4]
医療
ナイチンゲール効果」と「ナイチンゲール症候群」はしばしば同じ意味で使われる。しかしながら、後者は通常ナイチンゲール自身が患ったとされる慢性疲労症候群を指す。晩年のナイチンゲールはこの慢性疲労症候群とよく似た症状を患っていたという。
Florence Nightingale effect is not recognized as a medical condition; rather, it is a pop-culture name given to a situation. It is generally considered unprofessional in the medical industry for a care giver to become involved with a patient.
ナイチンゲール効果は医学的な状態を表すものではなく、ポップカルチャーにおいてそのような状況に対して名付けられたものである。そして、医療業界では、看護提供者が患者と個人的な関係を持つことは職業倫理に反するものとされる。

Misconception
Many often misunderstand the term to mean the opposite; that is, a patient falling in love with the caregiver as a result of interpreting an amiable bedside manner as affection. The correct term, coined by Sigmund Freud, for this situation is transference.
誤解
この用語はしばしば患者側が看護提供者の優しげな対応を愛着好意と解釈して恋に落ちる意味で、逆の意味として誤用されることが多い。この場合の正しい用語は、フロイトが提唱した心理学用語transference(転移)である。

Florence Nightingale effect - Wikipedia, the free encyclopedia

 

ポップカルチャーでの使用例は、誰しも知っている。

 適当に訳す。

I guess she felt sorry for him 'cause her dad hit him with the car.
たぶん、彼女の父親が彼を車で轢いてしまったから、哀れに思ったんだよ。
He hit me with the car.
って、俺を引いたんだった。。。。
That's the Florence Nightingale effect.
それはナイチンゲール効果ってやつだ。
It happens in hospitals when nurses fall in love with their patients.
病院で、看護師が患者に恋におちるときのことさ。

 

映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「Back to the Future (1985)」

 

 看護師はダメ男、ヒモ男といった異性関係にハマる、尻に敷くのがとても多いと言われている。ダメ男に甲斐甲斐しく尽くしてやってる自分、得意な看護世話に存在価値や満足を感じてしまう。そして男をますますダメにする。そこに相手に対する尊重、尊敬は無い。

 

 

 

 それを共依存という

 

 

 

共依存とは

すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする


共依存 - Wikipedia

 

 元々看護師のような対人援助職に付く人達に強い傾向があり、看護の仕事はその共依存傾向を助長させる。看護師は昔から人の役に立って必要とされたい、とか母性本能が強い人達がなりたがるとかそういうのと近い話である。保護者ぶって押しつけがましく上からキーキー言う子離れできない支配欲の強いマザコン男の母親みたいなものだ。 

 普通の大人の人なら、その押しつけがましい子ども扱いは、やられて単に不快極まりなく反発するのが普通だが、その関係にハマるケースの人だとその人に害をなす。例えば病人。突然の病に侵された人間は、どれだけ成熟した精神を持ち、自己が確立された人間でも、何かにすがりたくなるものだろう。それが人間だ。

 看護師の場合、そこの状況つまり、患者を子供扱いして「頼られる私!」に依存してしまう。そしてエゴが増大していき... ついには相手を無理にも自分より下の状態に置きながらコントロールし支配しようとしていく。

 

共依存は、弱者を救う、弱者を助けるという人間としての正しさを「隠れ蓑(かくれみの)」にした支配です。多くは愛情と混同され(支配される弱者も愛情と思わされ)、だからこそ共依存の対象はその関係から逃れられなくなります。
ケアを行使する側が受け手よりはるかに力をもっている場合、もしくは力をもっていることを誇示(こじ)したいときに共依存が発生します共依存者のやっていることは、相手のためにと言いながら、自分の思いどおりに相手を操作することです。本当は自分に依存する他者の欲求などどうでもいいのです。自分の欲求充足こそ先決なのです
自己犠牲に見せかけた対象支配の快楽とは、相手は自分の手のひらの上で生きているだけであり、その気になれば握(にぎ)りつぶすことも可能な存在であるという、「自分が偉い人間になった」という気分です共依存は依存ではなく、ケアや愛情という美名の陰に隠れた支配です。
共依存者は相手を無力化させ依存する存在として飼うことで支配します。私を離れては生きていけないのよとつぶやくことで支配します。日常生活の中で、「君にはできないでしょ」「だめだめ私がいなくちゃ」と世話を焼き、半人前扱いすることで相手から価値の収奪(貶(おとし)め、自信を喪失させる)を行います。環境整備型権力ともいうべき支配により、相手がすすんで無力化し自信を喪失していくように関係を仕組んでいくのです。
力を持たない側がケアさせられることを強制と感じないほど馴致(じゅんち)され、拒否したいと感じる自分がまちがっているとまでケアの正当性が内面化されたとき、時としてケアは人を殺すこともあります。しだいしだいに共依存者なくして生きられない子供に仕立て上げられていき、一生これが続くのかもしれないという絶望が相手を深いところでむしばんでいきます。
共依存者には、相手のエネルギーを自分より低い状態にとどめておくことでパワーを獲得しているなどという自覚はありません。むしろ正反対の、どうしようもない人間を見捨てないで援助し続ける自分は、やさしく正しく思いやりに満ちた存在であると自己認知しているに違いありません。
パターナリズム」という言葉は父権的干渉主義などと訳されます。本人の意思にかかわりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすることを意味し、父と子の間のような保護・支配の関係を指します。世話やケアの対象は無知であり判断力を欠くことが前提とされており、世話やケアする側はそれを有しているのです。そこに発生する非対称的な関係、つまり権力が含意(がんい)されています。
相手を無知な存在として扱うパターナルな押しつけに対する反抗に対しては「お前のためなんだよ」という、反論を封殺する切り札が用いられます。本当は相手を支配する快感を得、子供扱いすることで所有欲を満たしているのですが、本人は自分の無謬性(むびゅうせい)を信じきっており、愛情から発言していることを疑いません。支配していることに無自覚です。このどうしようもなく苦しい関係性に対しては「共依存」という言葉を与えます。何ひとつ間違ったことはしていないはずだという共依存者の信念にこうして亀裂を入れるのです。
相手と自分を非対称的関係(勾配(こうばい)、強弱、上下関係)に置くことで、相手を支配すること、利他的であるという自己満足の底にひそむ途方もない利己的欲望を、これほど明確に名づける言葉はなかったと思います。

参考 『苦しいけれど、離れられない 共依存・からめとる愛』 信田さよ子 朝日新聞出版 

 

  看護師-患者間の強者弱者の権力関係については、前のページの「看護師の傲慢さ」のページで触れた通りである。

 

共依存の特徴をよく表現している文章を以下に引用する。

 

共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)

 

つまり、自分の内面が空虚で他者の評価を必要とするだけでなく、他者の評価を獲得するために他者を道具として利用する人たちのことをいう。一般的傾向としては、他人の世話を焼きたがる割には、他人に対して不誠実で策謀的な点があげられる。

http://www.geocities.jp/pachimaya/kyouizon.html

 

 

 じつは、これが、これまで説明してきた様々な看護師の問題の、まさに根源なのだ。

 これは海外では有名な話で、"I'm Dying to Take Care of You; Nurses and Codependence; Breaking the Cycles" 「世話してあげないと私ダメなの - 看護師と共依存 - 悪循環を絶つ」という意味深なタイトルの本まである。(実は手元に一冊持っている。翻訳して紹介する暇は残念ながら、ない)

 看護師の共依存について、日本であまりにも軽視され、看護師自身がその傾向を知らず、無自覚で、しかも公に看護業界で議論すらされてこなかった事が、看護師の患者に対する言葉遣いや態度の悪さ、乱倫不倫、アルコール問題、バーンアウト、メンへラ、精神障害が多いと言われたり、医療過誤まで、さまざまな問題を起こしている。

 

 一旦話しは逸れるが、医療においてはそれとは別に、医者ー患者関係性の悪癖として以前からパターナリズムが認知されてきた。

 

Paternalism as a theoretical concept
Dworkin in a 1972 paper identified paternalism as “the interference with a person’s liberty of action justified by reasons referring exclusively to the welfare, good, happiness, needs, interests or values of the person being coerced.”

パターナリズムの概念」

ドウォーキンは1972年の論文で、パターナリズムを『人の自由を、その人の福祉・幸福・必要・興味・価値観の為という理由で正当化し無理に阻害すること』とした。」ーブリタニカ百科事典

 

パターナリズムとは

 パターナリズムは、パトレ(pater)つまり牧師・父性、つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつである。医者が自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしまう自己陶酔の状態。「お前ら黙って俺についてこい」「(きゃカッコイイ)と思われている自分カッコイイ」みたいな。父権的干渉主義という。

 これが強いと「私はね、あなたのこと全部知ってます。**(患者)にはこの手術するのが一番なんですよ」と現状の説明と選択肢の提供を省いて患者自身の決定権を尊重せずに、独断で意志を押し付けるような事言う。

 最終的に患者にとってベストな事が行われるかもしれないが、そもそも本当に患者にとって何がベストかどうかなど本当に医師にわかるのだろうか。患者にとっては手術室で行われる事は分からないが命にかかわること故にアンタッチャブルな「聖域の医療」となる訳だが、医者は全知全能の神でもなければ欲の無い聖人君主でもない。だから医師に分かる訳がないのは当たり前で、本来そんなのはあるべき姿ではない。

 しかし、病院ではただ単に「リスクがあります。何かあっても病院の責任ではありません。同意しなければ治療はしません」と「同意書」にサインさせる(*1)

 本来、病気や治療方法に関する必要な情報、つまり「診断の結果判明した病名」を知らせた上で、「いくつかの治療方法」を提示し、「それぞれの治療方法」、「(客観的なデータに基づく)治癒の確率(予防線を張るためでなく)」、「予測される副作用(責任回避のためでなく)」、そして「日常生活に及ぼす影響」などを患者が客観的に判断できるように「事実と選択肢」を提供し説明したうえで、患者の意志を訊く、というのがあるべき姿だろう。

 例え患者が「先生にお任せ(*2)」と言ったとしても医師には相手の理解度に応じて説明して納得の上の同意を得る倫理的(自己決定権を尊重する)義務がある。法律的にも民法の基本原則および消費者契約法などにおける「委任者たる患者の利益のために必要な報告として、診療契約における債務の一内容として説明義務が生じる」のだ。弁護士でさえ、遺言書を作るとき、「法律のことは分からないから先生に全て任せます」と言われても弁護士はシメシメ、と勝手に決めることは許されないのと一緒だ。むしろそういうことをさせないのが専門家である弁護士の仕事である。不動産の売買でも重要事項説明というのが法律で義務付けられている。

 患者も何も使う薬の種類まで患者が口をだして一々判断したい、とか、患者が考えた治療方法を医者に強要したいなどと言っている訳ではない。腹腔鏡手術の練習をして名を上げたいからといって腹腔鏡手術しか選択肢を与えられないで人体実験の練習台にされるのはまっぴらという人もいるのだ。*群馬大病院の腹腔鏡手術事件など明るみになるのはホンの一部。人の意志を無視すると九州大学医学部の捕虜生体解剖実験などもありとなってしまう。

 ある人は、医師の誤診断で発見が遅れたため開腹手術が必要となり、別の病院で行った手術のミスで脊髄を損傷し下半身不随となり、10年近く寝たきりになりストーマを付けながら脊髄の痛みと褥瘡で苦しみ続け、別の病院で「頼むから死なせて欲しい」と医師に懇願し、最後は自ら食事を拒み続けて亡くなった。医師は神でも聖人でも牧師(パトレ)でもない。

 どうせ患者は判断できないだろう、と説明と選択肢の提供ではなく、単なる責任回避とフリーハンドを得る為にインフォームド・コンセントとは言えない単なる名ばかりの同意書取りの日本の多くの医師はこのパターナリズムの悪癖に染まっていると言っていいだろう。

 事実、私は東京の某病院で道化じみたオーバーアクションの医者が患者に対して上記のセリフを言っているのを聞いた。つくづく人をバカにした話である。もちろん患者とその家族達も終わった後「アレ何?www」「あーでもすれば安心すると思ってるのよw」「タダのバカじゃん」「単なる世間知らずなのよw」と言いながら帰って行ったのだが、知らぬは当の医者や看護師達のみである。

 パターナリズムは言葉遣いや態度にも現れる。

 言葉遣いについてのページでも触れたが、「patronize ペイトロナイズ」も同じくpaterを語源に持つ。知らないでしょ、あなたの為なのよ、やってあげてるのよ、という"上から"の態度をひけらかして自分の思い通りにさせようとすることを言う。直訳すると「保護者ぶるなー>(転じて)子供騙しな扱いするな」となる。これは英語圏でも相手を侮辱する行為である。だから”Don't patronize me!”というのはよく聞かれるフレーズである。

日本語にすれば、「ばかにしないでよ:怒:」、「いい加減なこと言わないで:びっくり:」、「子ども騙しはやめて:怒:」、「なめるなよ:びっくり:」くらいでしょうか。

こうしてみると、「見下すような態度を取る」とか「ばかにする」という定義に「なるほどね」と思えるでしょう。

http://promptbox.net/eigo/081211.html

 

 そして患者をpatronizeすることは、患者の自尊心と品位を奪い、患者の生きる気力すら奪いかねない行為である。

 

 共依存はその母性版と言える

 大の大人に「そうか~よしよしボクちゃん頑張ったね〜、そうでちゅか~イタイね~、イタイの飛んでけ~。ほらもう痛くないでしょ~?痛くないね~。ほらママの言う事聞かないとオッパイあげないよ~!あ~そういうことすると**君のところ行っちゃうからね?~イイの~?メッ!」の一種の赤子扱いである。 (...orz)

  

  過度な共依存は看護師ー患者関係において、パターナリズムとはまた別の物であるが、同じように弊害がある。

 

 前述したように共依存傾向を持つ者は対人援助職に就くことが多いとさ
れている。ゆえに職務の遂行において、共依存的特徴が高い場合には、近親者ではない他者に対して共依存的行動が発揮され、世話する者と世話をされる者との関係で強者―弱者の関係が構築される可能性がある。自己評価の低さを補うため、他者への世話をやくことで他者からの評価を求め、
ケアが必要な人や被介護者に対して、無意識に献身的に世話を焼き、満足感を得ようとするのであれば、それは適切な支援とはいえない。

 

https://www.obirin.ac.jp/postgraduate/graduate_course/gerontology/thesis/dissertation/7fl296000002zlyf-att/7fl296000002zm9d.pdf

 看護師および介護士における共依存傾向の特徴と精神的健康との関連

桜美林大学大学院 国際学研究科 老年学専攻
森 秀美

2011 年度 博士学位論文 要旨

 

 これにまつわる諸問題は、日本の看護の現場においては、まるでもって注目されていないし、知られていない。

 

その大きな理由は「自分の価値を自分で認められない」「自分に自信が持てない」ことにあります。そのため、「他人にとって価値がある自分」には価値があるというように、相手を支配し支配される関係を通じて自分の価値を確かめようとしてしまうのです。
共依存カップルの男性の多くはいわゆる「だめんず」と呼ばれるタイプです。彼らは共依存の関係を作りやすい、優しくて世話好きな女性を見抜く嗅覚があるようですね。

woman.excite.co.jp

 

ダメ男を引き寄せるのは、承認欲求の強い女性
石井:例えば、男性にお金を貢いでしまうタイプの人は、自分の存在を認めてほしいという思いが強いですね。コンプレックスがあり、「私なんか」と自分を下げるように話してしまう。それで、自分の存在を認めてくれる相手を転々としてしまい、お金を貢いでしまう傾向があるのではないでしょうか。ヒモタイプの男性であったり、結婚詐欺師の男性からすると、女性の存在を認めてあげさえすればいいと判断され、お金が簡単に手に入ると思われてしまうのだと思います。

 

news.livedoor.com

 

 明らかにこういったタイプの看護師が多い。

 チヤホヤされたいとか、過度に認めてもらいたくてアピールとか、ダメ男ヒモ男を尻に引くとか、振り回す系でもある。

 男の気を引くために他の男をちらつかせて男を振り回そうとしたり、自己肯定感が低いから他の男からの評価をひけらかす例えばモテ自慢、ナンパ自慢。

 

 究極的には、男に貢ぐ(下に見る行為)ーお金で相手を支配。不倫ヤリマンーセックスで男をコントロール。ということである。

 自分や相手を「個として認める」ことが出来ない。自分の都合でしか、肩書きや外見や他人の評価でしか人を見れない。個として認める事ができないのは日本人に元々多いのかもしれないが。

 

後輩の看護師(オンナ)や、同僚の看護師(オンナ)にも居ましたけど、本当に、どうしようもない、オトコ、ダメンズと同棲までしちゃう展開って僕の周囲には結構居ます。

 ちなみに、僕は、同棲は絶対に反対ですね。

 看護師だからとかそういう事でなくて、何ていうか、だらしなさを感じるからですね。さっさと籍入れたら良い!と僕がオヤジだったら、どやしつけますね!

 しかも、大体、看護師の同棲ってなると、看護師が、アパートなり、マンションなりを借りる、或いは買う、そこにオトコが住み着く…のパターン。

 で、看護師と同棲するダメンズは、著しく生活能力が低い。

 稼ぎが少ないとか、或いは、ひょっとしたら、無職とか。。

 ヒモって一度やったら、病み付きになるんでしょうか?僕もやってみたいです、ヒモ(苦笑)

 そういう生活能力の著しく低いダメンズと同棲している看護師さん(オンナ)は、あっけなく婚期を逃すので、さっさと見切りつけて、新しいオトコ探した方が良いですね。

 けど、せっかく見つけた新しいオトコが、さらにダメンズだったりする、負のスパイラル構造。。

 「彼が、新しい仕事を見つけたら、結婚するって…」

 とか、冷静に考えれば、今無職のオトコとそういう会話が成立する段階で、オカシイな??って感じないのかね?

 看護師って、割とダメンズ好きの方が多いのでしょうか?

 付き合うオトコはダメンズばかりという看護師は、山ほどいますけどね(苦笑)

 

http://kangoblog.blog118.fc2.com/blog-entry-39.html

 

「ここまでで何か質問ある人いる?

え?何も質問ないの?

あなたたち、そこまで何も質問してこないと、逆に本当に理解してるのか私不安になるわ!

なんでも質問しなさいね?一つも質問しない人は仕事覚える意欲が無いと私見なしますから。」

 

と、部下に対して言う女性上司をたまに見かけますが

こういう人は質問されることに飢えていますね。

質問され、依存されることで安心感を得ちゃってるパーソナリティーです。

そういう上司とはある程度、距離おいた方がいいです。

 

こういう人に限って

質問していいよと言うので、実際、気軽に気さくに質問してみると

「そんなくだらないこと自分で調べてから質問しなさい!」

と不機嫌になるタイプの女性です。

自分で矛盾していることに永遠に気づかないのでしょう。。。

 

しかし、男性にはこういう人はほとんどいないのが不思議ですね。

「頼りにされてる私すごいでしょ?」っていう無言のオーラ出してくるタイプは

女性特有のものだと思われます。

 

自分が部下に指示した通りの答え以外の答えを自分の力で見つけ出して

問題解決が出来ちゃった部下がいるのを見つけると

「自己流で勝手なことしないで!」となぜか怒り出す女性上司も

パーソナリティー障害を持っている可能性が高いですね。

 

学校の勉強とは違い、実際の仕事では

解決策や答えが複数あって当然なのです。

 

本来、健康な心の持ち主であれば、

先輩が発見した解決策以外の解決策を部下が自分の力で見つけられた場合

「よくできたね!すごい!」って賞賛したくなる気持ちが自然と湧くはずなんですが

 

上司が嫉妬や劣等感などにマイナスの感情の持ち主だと

「なに勝手なことしやがって!私の言った通りやれよ!」と

ヒステリックになる人がいます。


http://ameblo.jp/kangosiyameta-pdd/entry-12097388895.html

 

 入院患者に大量のインスリンを投与した東京都世田谷区の看護師、***容疑者(25=傷害容疑で逮捕)。どうやら自分の評価を高めるための犯行だったようだ。

 容疑者は今年4月、勤務先である世田谷区の日産厚生会玉川病院に入院していた91歳女性に、3回にわたってインスリンを大量投与し、低血糖状態にした疑いで捕まった。「高柳容疑者は女性の容体が急変するたび、医師の診断も仰がず、率先して回復措置に当たっていた。周囲は<なぜ低血糖発作と分かるのか>と怪しんでいたのです。捜査関係者は、高柳容疑者が“できるナース”であることをアピールし、院内の評価を上げようとした、とみています」(捜査事情通)

 容疑者は男女関係のトラブルを抱え、精神的に不安定だったという情報もある。患者はたまったものじゃないが、実はこの事件、いま世界中を震撼させているドイツの“大量殺人看護師”に通じるものがある。


■230件の不審死

 ドイツ北部の病院で、3人の患者に薬物を注射し、殺害した罪に問われているニールス・ヘーゲル被告(37)のことで、99年からこれまで、2つの病院で230件を超える不審死に関与した疑いが持たれている。

ヘーゲル被告は退屈しのぎで患者に薬物を注射し、容体を悪化させ、自分が蘇生させることで、患者の家族や病院関係者から評価されたかったそうです。その揚げ句、次々と殺してしまった。彼は昔から目立ちたがり屋だったそうです……」(犯罪ジャーナリスト)

 ネット上では、周囲の関心を引くために他人を傷つける「代理ミュンヒハウゼン症候群」なる言葉が注目を集めている。臨床心理士矢幡洋氏によると、「『代理――』は、子どもを虐待する母親によく見られるもの」で、2人の犯行を見て演技性人格障害の疑いがあると思ったと言う。

 

「意図的にドラマを作り出し、周囲の注目を集めよう、褒められようとする人のことです。例えば自分で火をつけながら、それを消火して“英雄”になろうとする放火犯などです。本当は自分に自信がないのに、自己顕示欲は異常に強い。喜怒哀楽の表現がオーバーだったり、わざわざ難解な言葉を使うなど、必要以上に自分を大きく見せたがる傾向があります」

 周囲に1人か2人はいそうなタイプだ。ちょっと怖くなってくる。


http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/155451

 

 このように、物理的に患者や同僚に対して何かするのでなく、陰湿に悪口、陰口、嫌がらせ、パワハラ、タメ口で、口調や話し方、態度で、自分の立場を上げようとする、というのが非常に多い。 

 

患者に積極的に関わる看護

 最近の流れで、看護師の役割として単なる病人等の療養上の世話や診療の補助だけでなく、積極的に患者と関わっていく看護という動きがある。

 看護師に患者との関わりを「信頼関係のため」「ペプロウの看護」などで、積極的関与を推奨しつつ、倫理感と境界を意識しないとどうなるのか。

 良い訳が無い。

 そうであるならば、境界を定め、逸脱侵害したら看護師免許停止、ぐらいの倫理規定をつくらなければ、人間は道を誤る。

 

 

看護師と患者の共依存関係

「看護師および介護士における共依存傾向の特徴と精神的健康との関連」
桜美林大学大学院 国際学研究科 老年学専攻


代表的な共依存の行動特徴は、自己評価が低いために、自らを犠牲にして他者の要求へ責任を負い、影響を及ぼすことで自らの評価を得ようという強い欲求をもっている個人であり、共依存関係を構築しやすいことも指摘されている。この行動のために自己や他者を心理社会、身体的に不健康な状態へ導くのであれば、病理性を持つ共依存症となる 1)。一方、病理には至らない場合の特性的な共依存的特徴は、日本伝統的文化社会で培われてきた妻や母の特徴にも通じるところが多いとされている 3)4)。
また、職業的特徴から、看護師や介護士、教師、カウンセラーなどの対人援職は、人のためになりたいという思いから選択される場合が多く、共依存的傾向を持つ者が少なくないとされている5)6)。特に看護師は、患者との心理的距離が近いこと、病む人と世話する人という弱者―強者関係となりうる環境などから、共依存的特徴が発揮されやすく、さらには共依存的関係を構築する可能性があるとされている 6)7)。筆者らの調査における患者―看護師ペアでの分析においても、看護師の共依存傾向が高い場合に、対する患者のコンプライアンスおよび医療者に対する満足度が低いという結果が得られている 8)。
共依存共依存関係は、夫や近親者などプライベートな側面での重要他者との関係で論じられることがほとんどであるが、前述したように共依存傾向を持つ者は対人援助職に就くことが多いとされている。ゆえに職務の遂行において、共依存的特徴が高い場合には、近親者ではない他者に対して共依存的行動が発揮され、世話する者と世話をされる者との関係で強者―弱者の関係が構築される可能性がある。自己評価の低さを補うため、他者への世話をやくことで他者からの評価を求め、ケアが必要な人や被介護者に対して、無意識に献身的に世話を焼き、満足感を得ようとするのであれば、それは適切な支援とはいえない
また、高齢人口の増加に伴って高齢患者も増加しており、高齢であることに加え病む人というイメージにより、高齢患者―看護師関係において、一層弱者―強者の関係を構築しやすくなる可能性が懸念される。さらに、高齢人口の増加に伴い、今後一層需要が増すと予測される介護職において
も、介護が必要な人と介護する人という弱者―強者関係を構築しうる可能性を孕んでいると考えられる。被援助者―援助者間に共依存関係ができると、互いの共依存傾向が助長され、援助者が過剰にかかわることで被援助者の成長や自立が妨げられ、被援助者の疾患や機能障害からの回復を妨げ、ひいては介護ホリックや虐待などの問題の引き金となる可能性も示唆されている 9)。
一方で、一生懸命援助をしても思うように評価が得られなければ援助者自身にも不安や怒り、焦燥感などネガティブな感情を引き起こすことがある。このような状況を引き起こすことなく、健康的な被援助者―援助者関係を築き、被援助者の自律を促していくためには、援助者が自分自身の傾向及び行動特徴を客観的に認識して援助をする必要がある

http://www.obirin.ac.jp/postgraduate/graduate_course/gerontology/thesis/dissertation/7fl296000002zlyf-att/7fl296000002zm9d.pdf

 

 

「看護師―患者関係における共依存傾向とその影響についての検討」
東邦大学医学部看護学科 

桜美林大学大学院国際学研究科
長田

人間の関係性における依存である「共依存」という問題が指摘されている。共依存」とは、自己意識の障害により自己犠牲的献身、他者コントロールといった症状的行動が生じるもので、この傾向がある者は人の世話を一生の仕事として選択する人が多く、看護師、医師、ケアワーカー等の対人援助職にその傾向があるという指摘がある。また医療者―患者間に共依存関係ができると医療者側は相手をコントロールしたいという感情が生じ、セルフケア能力の低下をもたらす可能性があるという意見もある)。
(中略)
また看護師の共依存傾向が患者に好ましくない影響を及ぼすことが指摘されているが、実際の医療現場における医療者―患者間の共依存傾向の存在とその影響に関して実証的調査はほとんど行われていない。
 看護や介護の場面では物理的距離の近さが関与して共依存的援助関係が生じる危険性があり、また共依存的傾向をもつ援助者は対象者の成長が自己の価値を決めるものになるため、無意識に援助者の考える目標を対象者に押しつけることが多くなる。実際に臨床で看護師が「患者のために自分がなんとかしなくてはいけない」と患者への思い入れを高め、患者自身の目指す目標を見失い、看護師がこうあってほしいという目標への支援が行われる可能性も否定できない。共依存がこのような影響を及ぼすものであるならば何らかの介入の余地があり、そのためにも現状を知ることは必要であると考えられる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jahp/20/2/20_61/_pdf

 

 

頼り頼られすぎると、被援助者はその援助職がいないと何もできない状態になり、援助職はその被援助者の世話に追われることになってしまいます。世話に追われてたいへん、と口では言いながら、実はその状態に安住しているのが共依存。被援助者が自分の支援なしではいられない状態を作り出して自分の存在意義を確認し、存在意義を失うことがないよう、つまり自分を頼り続けるよう、意図せず相手をコントロールしているのです
...
共依存を避けるには、自分と相手との境界線をはっきりさせることです。被援助者になにか問題が起きたとき、被援助者が責任を負うべき領域に踏み込みすぎないよう気をつけて、必要以上の支援をしないこと。突き放しすぎてはいけませんが、相手の解決能力を見極めて、できることは本人に解決を委ねることが大切です。

http://allabout.co.jp/gm/gc/295563/

 

 

 この看護師と患者の力関係の不均衡と職業的境界線、そして共依存関係について、あまりにも軽視され、看護師自身がその傾向を知らず、無自覚で、しかも公に看護業界で議論すらされてこなかった事が、看護師の患者に対する言葉遣いや距離感から態度の悪さ、不倫、セクハラ、離婚、バーンアウト、メンへラ、精神障害が多いと言われたり、医療過誤まで、さまざまな問題を起こしているのだ。

 

ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」です。
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。確かに
病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領
( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。

看護の歴史と倫理に関する書籍の紹介 

 

 逆作用として、前述した傲慢さの中の、冷徹さのところで説明したような事になる。

 過度な共依存の関係は、患者のためでなく看護師自身のための行為(オレオレ看護の押し付け)、患者の自立(セルフケア)を妨げ、相手を依存させ不必要にコントロールしようとすることにつながるのだ。反対に患者を本当に物や動物、1つのケース、単なる一つの症例としか見なくなる。

 怖いのは、元々医療者は

 医療関係者が患者を手にかけた事件は過去にも相次いでおり、専門家は「治療を委ねた患者が身を守るのは困難で、『密室の通り魔』とも言える悪質な犯行だ」と指摘する。

 東洋大桐生正幸教授(犯罪心理学)は「医療関係者は患者の命は自分がコントロールしていると思い込む傾向が強い

 

「密室の通り魔」 相次ぐ医療関係者の犯罪
http://www.sankei.com/affairs/news/140820/afr1408200001-n1.html

  という特殊な職なのだ。

 日本の看護師の倫理感の欠如は、看護師にとっても、患者にとっても、良くない状況である。

 普通、どんな看護師でも、普通に仕事をしていればある程度は分かるだろう。たとえば、リハビリが必要な患者がサボりたがったら尻を叩いて叱咤激励しなければならないことを。わがままな患者がいたらその求めを全てきいて甘やかしていたら他の仕事が一切できなくなるだけでなく自立を阻害することを。

 それを感情的に反応するのではなく、上手に礼儀正しく簡潔に説明、決められた線を引いて対応するのはあたりまえの看護師の責任であり本来の仕事なのである。それを頭で理屈として何故かどうしてかを理解できない看護師だから、患者に対してムスっとしたり、イラっとした態度でボンっと物を患者に放ったり、幼児言葉を使ったり、上から目線や命令口調になったり、患者の陰口、悪口を言ったりするのだ。これらは病棟では日常的に起きていることである。

 賭けてもいいが99%の看護師はこれが頭で理解出来てない。感情的で「クソ患者が自分で物取れよ、ケっ」と思ってやっているのがまるわかりである。言葉で促すという事をしていない。単に、態度で物を放ったりして、感情をむき出しにしている。

 本来は、敬意を示しながら大人の対応が必要なのである。

 

 

しかし、患者ー看護師関係における境界そのものに焦点をあてた研究は国内では行われていない。境界という概念はもともと精神医学で用いられていたが、近年、共依存関係をもった依存症患者が、他者との境界を適切にたもてない点で注目されている。患者ー看護師関係に関する文献では、そのほとんどが事例やエピソード、解説などであり、「境界理論」という言葉が使われているが、看護師が患者に害を及ぼしたり搾取的であったりする境界の侵犯および侵犯にまで至らない境界の越境について述べられているにとどまっている。これらは、患者ー看護師関係における境界の状況の一部分であり、患者ー看護師関係における境界概念を総合的にとらえ焦点を当てた研究は行われていない。
 個を重視する文化では、患者ー看護師関係における境界に関して、問題として焦点が当てられてきた経緯があり、境界をいかに守るかという発想が強い。国内では、国外ほど個人における境界に焦点があてられる機会が少なかったため、患者ー看護師関係における境界概念に、研究としてほとんど焦点が当てられていない。
 患者ー看護師関係における境界概念モデルが構築され、看護師の境界調整に関する技術的要素が抽出されることで、看護師はその技術を身に着けることが可能になる。それは患者ー看護師間のトラブル未然防止につながるだけでなく、看護師が、患者の主体性を保ちながら自立を促進し、主体的に専門性を発揮する、相互主体的な看護につながると考えられる。
(中略)
7)【境界があいまいになる】
 患者との関係が深まってくると、境界があいまいになり、責任の境界や仕事とプライバシーの境界などを明確にすることができず、かかわりに困り、まれに所属先のルールを逸脱してしまうことがある場合についても語られた。「関係が深まりすぎる」ことや「若い」ことで「のめり込む」ことと、患者の方から積極的に関わってくることによる理由が挙げられた。
 本邦における看護では、欧米ほど個を重視せず和を重んじるためか、共感や受容などを重視し、境界を調整するということに対して意識しなかったり、抵抗がみられたりする場合がある。

2011年
患者ー看護師関係における境界概念モデル構築及び境界調整に関する技術的要素の抽出
滋賀県立大学・人間看護部・助教


https://kaken.nii.ac.jp/pdf/2011/seika/C-19/24201/21592912seika.pdf

 

 今は、日本では患者ー看護師関係は、看護師個人の判断にまかされ、境界について何の公の既定も基準もなく、患者と看護師の人間関係を深めることしか勧めていない看護教育と看護の臨床現場なのである。

 そもそも看護学校は基本的に実践的技術しか教えない。看護学校で教える教員自体が患者と関係持ったり不倫してたバツ1看護師だったり本当にするから自らの過去の行為を否定するような事は学生や後輩に教える事は出来ない…という事実。
 またこういった倫理・教養問題は現実に働いている看護師達には理解させることは確かに難しい。(皮肉)現場の看護師達に抽象的概念の理解と内省を求めるのは酷だ。(皮肉終わり)
 これから一部の大学教育で転移や境界について学んだ学生が現場に出ても、病院を仕切っているのは昔の古い教育を受けた古い体質のアラサー、アラフォー看護師たち。早々体質が変わるとは思えない。新人看護師は、先輩看護師達の醜態を冷ややかな目で見守るしかないだろう。それどころか、封建的な調教教育とイジメによって改善の動きはことごとく潰されるだろう。
 海外のように、業界として公な明確な細かく規定された倫理規定を設けなければ無理である。

 「患者ー看護師関係における境界」を明確にされておらず、職業的境界の調整を明確に意識していないがゆえに、適切に一歩引くことができずに過度に感情移入したり私的に入れ込んだり、逆にデタッチして引きすぎて冷徹でデリカシー無く思いやりの欠如した看護師ばかりが長く居残ったりする。師長、部長であっても、何が、何故問題なのか感覚的に何となく分かってはいても、根拠を分かっていないのではないか。

 

 

不適切なケア

 

医療におけるケアの双方向性とsupportという
あり方について―メイヤロフのケアの概念から
石川洋子(旭川医科大学


http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/51877/1/05_ishikawa_oyorinri_no5.pdf

 

ケアは人間という存在についての根源的な概念である。ケアという言葉が語られる時、その肯定的な側面――成長、自己実現、あるいは共感、配慮といったケア提供者の心情や態度――が強調されやすい。そして教育、医療、介護、福祉などの対人関係を主とした多様な領域で扱われる。本稿ではケアが論じられる様々な実践領域のうち、医療におけるケアについて考察する。まず、一般的なケアについてその言葉の語源に遡って人間存在の根源とされる所以を確認したうえで、ケアすることについて哲学的な説明を行ったメイヤロフ(Milton Mayeroff, 1925-1979)のケア論を概観する。次に、医療におけるケアが一般的なケアと異なり、対人援助技術であることをふまえ、医療におけるケアが双方向性でなければ不適切なケアとなることについて述べる形で論を進める。


一般的に、医療を受ける患者は弱者の立場である。患者は医療者と同等の医療に関する知識を持っていない。さらに診療の初期段階においては、患者は、初対面の他人である医療者から医療を受ける立場である。その意味で患者は弱者であると言える。けれども、医療者と患者は立場と役割が異なるだけで上下関係や服従関係にはない。また、医療者は患者に施しとして医療を提供するのでもない。他者に施しを与える関係は強者から弱者への一方向性の関係である。医療者は患者の健康問題において患者をたすけるのであり、このような医療は双方向性の関係でなければ成立しない。

患者は体調の悪化や苦痛を伴う症状を自覚することによって医療機関を受診する。医師は患者を診察し、患者にとって何が必要なのかを医学的に判断する。また医師だけでなく様々な専門領域の医療者も協働し、患者にとって最善の治療を検討する。そうして患者に提示された治療は、患者の同意を得て行われる。通常、医療はこのように進められ、その過程においてコミュニケーションを必要とし、医療者から患者への一方的な関わりでは成立しない。なぜなら、医療者は患者にとって最善と思われるものを目指して医療ケアを提供するからである。医療者が最善と思うものは医学的価値観に基づいている患者にとっての最善は、医学的価値観ではなく患者個人の価値観に基づいて決定される。だから医療者は患者の意思を確認する必要がある。同様に患者も、医療者が自分の体験する症状や苦痛を理解しているか、自分が希望するケアを提供してもらえるかについてコミュニケーションを通して確認する。こうして、ケアする人とケアされる人との間には、互いに関係をもとうとする自由な意思が存在することがわかる。このケア関係には対人援助者としての姿勢と態度が不可欠である。


医療者は医師、看護師、薬剤師、放射線技師、臨床検査技師ソーシャルワーカーなど、それぞれの専門領域に特化した専門職集団である。ケアする人が集団ならば、ケアする人とケアされる人の関係は、お互いが正面から対峙する構図のみと決めつける必要はない。ケアする人がケアされる人の側面や後面からたすける構図も考えられよう。むしろ医療現場のように複数の専門職者が協働する場合は、ケアする人はケアされる人を多方面からたすける(support)という立ち位置の方が柔軟性に富んだケアを提供できる。


help ではなく support を
メイヤロフのケアの概念において、他人を「たすける」と表現する単語は “help” である。一方、筆者が考える対人援助技術としてのケアを表現する単語は “support” である。筆者が医療におけるケアにおいて述べてきた「たすける」ことは、「援助する」ことと同義であり、「ささえる」こと
でもある。なぜ対人援助技術としてのケアが “support” なのか。土屋貴志の「ささえる」ことの根柢にあるべき原則13 を参考に説明する。

土屋は「ささえる」ことの第二の原則として、その人が心身の危機状態から立ち直る回復力、判断や同意を与えることができるようになる潜在的能力、成熟した人間になっていくという成長力など、広い意味での「可能性」を信じることを挙げている。医療者は、患者の「能力」を信じないことによって患者のできないことを代わりにすること(to help)をケアとして提供してしまうことがある。これについては後に詳述するが、患者の「能力」や意思を尊重しないケアは一方的なケアの提供につながりかねない。“help” は積極的な助力を意味する。もちろん、医療において積極的な助力を必要とする場面は多い。しかし患者の「能力」を信じるという原則に依拠し、医療者のケアに臨む姿勢を含めた援助について表現する語は、“help” より “support” が適切である

医療者は医療を実践する専門家であり、医療の非専門家である患者に対して医療の内容を説明・提供するという役割を担っている。だがそれは、医療者が医療という特定の分野における専門家にすぎないということである。同じ疾患を持つ人であっても、それぞれの患者はまったく別の人生を歩んでいる。そしてその人生はその人だけの人生である。医療者は人の人生においては非専門家である。医療者が推奨する医療は医学的判断・適応に基づいて判断され、医療者自身の価値が少なからず反映している。その医療を受けるか否か、また推奨された医療が患者の人生においてどのような意味や価値を持つかを決めるのは、患者である。医療者が専門的知識の範疇を謙虚に理解し、病を持った一人の人である患者へ向けられたケアは、“support” である。


不適切なケア
医療におけるケアは「ケアすること」の関係性に基づいて提供されるものであり、医療者は患者を一人の人として尊重しなければならない。だが医療者と患者というケア関係は非対称性を免れえない。そのためにケアが双方向性であること、“support” という援助のあり方が重要である。本章は、ケアの双方向性と “support” という態勢が失われることによって医療におけるケアが不適切なケアになることを中心に述べる。

一方向性
医療におけるケアは対人援助技術という専門技術である。専門技術としてのケアは、教育機関において高度な学習に基づき習得された技能でなければならない。医療者はケアを必要とする社会の要請に応えるために、自ら継続学習や研究を行い、ケアを提供する能力の向上に努める。そうして人々は、医療者が専門技術を身につけているという信頼のもとに、医療者が提供するケアを専門的知識と判断に基づき保証されたものとして受け入れる。だがその一方、ケアの専門化によって惹起される問題もある。ケアする人が専門職であることによって、ケアされる人は受動的な立場に置かれやすくなる医療者が専門職であることが、却って双方向性の関係によるケアの成立を難しくさせる。特に専門職という権威によるケアの提供は、ケアされる人との関係が上下関係となり、双方向性の人間関係の構築を難しくする。

双方向性の関係に基づかない医療ケアは、強者から弱者への一方向性のケアである。医療ケアが双方向性の関係に基づいている限り、仮にケアする人が相手の望むケアを提供できなかったとしても、ケアする人は自らが提供したケアの結果をケアされた人の反応として受け取ることができる。ケアされた人の反応は、ケアする人に提供したケアの評価・反省を行うこと、適切なケアの提供について再検討することを要求する。しかし双方向性の関係に基づかない一方向性の関係によるケアの提供は、ケアされる人の反応を無視する。一方向性のケアをキャッチボールに譬えてみると、ボールの方向、速度、強度などを考慮しない、あるいは相手を見ずにボールを投げるようなものになる。相手を見ないキャッチボールはキャッチボールとして成立しないように、一方向性のケアはケアとはいえない一方向性のケアは、ケアされる人にとって迷惑やお節介、時には暴力となる可能性が考えられる。たとえば吐き気のある人にとって、背中を擦ってもらうことは必ずしも効果的なケアではない。気分が落ち込んでいる人は、誰でも励ましの言葉をかけられることを望んでいるとは限らない。ケアする人は、ケアされる人が何を必要としているか、どのようなケアを望んでいるかについて十分に配慮しなければならない。なぜなら、ケアとは相手
のニーズに応答するものだからである。

相手を尊重しない
相手のニーズに応答しないケアは相手を尊重していない。医療ケアは患者の健康上の問題を解決するための行為である。ただ、患者の中にはたとえ自分の健康上の利益を損ねるとしても、貫きたい信念や価値を持つ人がいることも事実である。原敬は、がんの終末期においては、痛み治療の準ルーチン化によって患者の意思が尊重されないことがある14 と論じている。痛み治療は患者の主観的評価に基づいて行われ15、安静時でも痛みを感じないことを治療の目標にする。しかし原が提示する事例は、夜中に目覚めたときにズシンと感じる痛みを残してほしいと希望する。その理由は、痛みのない快適な生活によって自分は長生きできるかもしれない、と期待してしまうためであるという。この患者は時折感じる痛みは不快であるが、痛みを感じることによって死を遠ざけず、意識することを望んでいる。医学的価値に基づくならば、痛みなどない方が患者は快適なはずである。けれども、この患者の痛みを残してほしいという希望は、近い将来避けられない自分の死を受容しようとする意思なのである。

ところで、メイヤロフが述べるケアはその人が成長すること、自己実現をたすけることであった。メイヤロフのケアにはどんな状況でも成長し続ける存在としての人間が前提となっている。

先の終末期がん患者のように、次第に身体機能が蝕まれて死にゆく人々に直面する医療者の現実は、人間は絶えず成長し続ける存在という前提と一見馴染まないように思える。人は死にゆく過程において、大切な人との関係を喪うことや今までできていたことができなくなるなど、大切な人、
もの、能力などを喪失する感覚に襲われる。死にゆく過程にあるがん患者には、「生き長らえたい」「家族とのつながりの中で生きたい」「思うように生きたい」「自分が存在しない将来への願い」「思うような最後でありたい」といった希望があり、これらは生きるための心の糧である16 という報告がある。このような死にゆく過程にある人の希望は、思うような生きざま、死にざまを望む表から、自己実現のための希望として考えることができる。事例の終末期がん患者の痛みを残してほしいという希望もまた自己実現の希望であり、残された時間を生きるための心の糧である。そ
してそれらをささえることは、単に相手の意思を尊重するにとどまらない、その人の人生の本質に関与したケアと言える。このように考えるとメイヤロフが述べる成長という語には、その人の全人格的な統合(integration)という意味が含まれることがわかる。しかし、このことは医療におけるケアが患者の全人格的な成長を目標とすることを意味しない。医療という限られた状況、時間などの制約がある中で患者の人格的な成長を目標とすることは現実的に困難である。事例のがん患者のケアは、患者の主観的評価に基づいた疼痛緩和がケアの目標になる。そして患者は、痛みは時折感じる程度にしてほしいというニーズを持っている。このニーズを無視することは相手を尊重しないケアである。つまりこの患者に医療者が提供できるケアは、患者が痛みを感じることに価値を持っていることを理解した上で、そのニーズに応答したケアを提供することである。


強いパターナリズム
パターナリズムとは、権威・知識・力などによってその人のために保護的な干渉・介入をすることである。ケアは「本人のための(応答的)措置・扱いを含むが故にパターナリズムとの関連は密接である」17。「ケアすること」の基本的なパターンのひとつに専心がある。専心はケアに不可欠なものであるように、医療におけるケアからパターナリズムを排除することは不可能である。
パターナリズムはそのすべてが批判の対象になるものではない。問題となるのは、患者の自己決定が侵害される強いパターナリズムである。強いパターナリズムは患者の意思を尊重しないケアの強行であり、“support” というケアのあり方から逸脱する。以下に仮想事例を提示する。

Aさん、30 歳女性は右乳がんの手術を受けた。A さんの母は 42 歳の時に右乳がん、55 歳の時に左乳がんを発病、叔母は 48 歳の時に卵巣がんで亡くなっており、A さんは遺伝性乳がん18 が疑われる。A さんは自分の遺伝子に変異があるかどうかを知りたいと思い、遺伝子診断19 を希望している。検査の結果、遺伝子に異常がなければ安心できる。逆に異常があれば、再発に対する不安を抱えることにはなるが、予防的治療20 を行うことも可能である。

がんは生命に関わる重要な疾患である。A さんの意向が医学的に著しく妥当性を欠くような場合や極めて生命の危険性が高いような場合、たとえば希死念慮がある、一切の検査、治療を拒否するといった場合は、強いパターナリズムもやむをえないと考えられる。A さんは乳がんの手術を受けたことや将来についての不安を抱えている。Aさんに判断能力があるならば、その不安がどれほど大きくても最終的に遺伝子診断を受けることを決めるのは A さんである。そして遺伝情報は A さん個人の情報であるとともに、家族の遺伝情報でもある。診断結果は家族関係に影響を与える。A さんに兄弟姉妹、子どもがいる場合は、同じ遺伝子異常が見つかる可能性が高くなる。また家族に遺伝子異常が見つかったとしても、発病についてのリスクが判っただけで、いつ、どのように発病するかは判らない。A さんには自分の遺伝子診断の結果について知る権利がある。
一方、家族には遺伝子診断の結果を知らないでいる権利がある。遺伝子異常が見つかったとしても必ずしも乳がん・卵巣がんを発病するわけではないが、診断結果は家族の将来に対する不安をもたらし、精神的衝撃を与える。医療者は A さんが遺伝子診断を受けるかどうかを決断する前に、検査による利益と不利益について情報提供21 を行うことが必要である。このような情報提供は、Aさんの遺伝子検査を受けたいという意思に影響を与え、好ましくないという意見があるかもしれない。確かに、検査による利益と不利益について知ることで A さんの意思は揺らぐかもしれない。
ただ、この情報提供は A さんの自律的な意思決定を尊重するためであり、遺伝子診断をめぐる Aさんと家族の意見の不一致や後悔を避けるための介入であり、この A さんにとっての最善を目指す専心的な行為である。専心的な行為は相手のニーズに応えるものである。
A さん、そして母、叔母の発病状況から、A さんが遺伝性乳がんである可能性は低くない。医療者が A さんとその家族を新たながん発病と死亡リスクから救いたい一心で、本人の意思と関係なく遺伝子診断や予防的切除術を勧めることは、強いパターナリズムである。この場合の医療者は、
がんの発病リスクという一面的な医学的価値に基づいて判断していると言える。医療者がどんなに A さんのためを思っていたとしても、A さんの意思を尊重しないことは一方的なケアの押しつけであり、“support” というケアのあり方ではない。だが、医療者の A さんへの検査、手術の説明
や説得が、A さんとともに悩み、相談し、最終的に A さん自身が手術を受ける決断をするための医療的介入であるならば、一連の過程は “support” というケアになる。医療者が手術によって得られる身体的利益やリスクだけでなく、がんと共に生きる A さんの全人的苦痛22 を理解し、手術後起
こりうる複雑な問題について A さんとよく話し合うことは、A さん本人と A さんの意思決定の過程を尊重している。これもまた、A さんにとっての最善を目指す専心的な行為であり、ケアである。


自己目的化
最後に医療者がケアすることを自らの目的とした場合、不適切なケアとなることを述べる。たとえば看護師は、その教育課程において看護診断や看護過程を学習し、看護計画を立案する。学生たちは試験対策として標準看護計画23 を暗記し、「このような状態にある患者にはこんな援助が
必要である」と理解する。学生や経験の浅い看護師には、テキストや紙面上で説明される病態知識や標準看護計画と、実際の患者に起こっている現象を統合して理解することが難しい。そこで彼(彼女)らは、患者が援助してもらいたいと思っていると思い込む。また、われわれ日本人は
「相手の気持ちを察する」ことを尊重する文化をもち、看護師は「かゆい所に手が届く」「気が利く」ことを求められる。それが仇となり、看護師の判断のみによって患者の意思にそぐわないケア提供が行われることがある。これは一方向性のケアであり、ケアという行為がケアする人の目
的になっている。もちろん看護師は患者を慮って親切な行為をするのだろう。ただ実際には、医療者は患者の要求や要請を自らで勝手に考え出してしまう危険があるそして自分が考え出した患者の要求や要請を、まるで患者自身から出された要求や要請のように思い込む傾向がある。
このようなケアはただのお節介、あるいは押し付けにすぎず、ケアする人がどれほど優れたケアだと判断し、ケアを提供したとしても、ケアされる人にそれを受け入れる準備を与えていない。
そればかりか、ケアされる人を自分の思うようにコントロールしようとさえしている。あるいは、ケアする人にとって都合のよい解釈やケアをしているとも言える。そしてこのような不適切なケアを提供してしまう原因は、テキストに説明されていることを、現実の患者に無理矢理当てはめてしまうことにある。このようなケアは専門的知識と技術に基づいた対人援助技術ではない。対人援助技術としてのケアは、患者の「今」のニーズに応答する。医療者は「今、ここにいる人間」としての患者に関心を持たなければならない。ケアする人である医療者の関心は患者に向いている。だが、ケアされる人である患者の関心は医療者ではない。患者の関心は、自分の疾病やそれに伴って生じている苦しみや悩みであり、自分自身であるケアする人とケアされる人の関心の方向性、向き合う対象が違うことで、双方向性のケアは困難となる。看護師はよく、「寄り添う」「見守る」という言葉を使用し、看護の内容を表現する。「寄り添う」場所は患者の傍らであり、「見守る」対象は患者本人である。「寄り添う」ことにおいては、ケアする人とケアされる人が向いている方向性は一緒である。ケアする人は、ケアされる人の傍らにいて同じ方を見ているのである。では「見守る」ことはどうであろう。「見守る」ことは観察することどう異なるのか。ケアする人が看護師である以上、ケアする対象を怜悧に観察したりはしないだろう。おそらくケアしようとする看護師は、ケアの対象である患者の行為のたどる結果を見届けようとしている。しかしケアされる患者は、ケアしようとする看護師のそのような視線を援助と感じることができるだろうか。「寄り添う」ことも同様、ケアされる患者は寄り添ってもらうことを望んでいるのだろうか。「寄り添う」「見守る」といった表現は看護師のケアの内容を表現してはいるが、ケアの方向性がケアする側の方に重点が置かれており、ケアされる人には十分な注意が向けられていないようにみえる。「見守る」「寄り添う」ことに限らず、人をささえるという援助(support)は、相互関係というケアの本質を見落してしまうと、自らのケアを目的化・理想化し、ケアする人の優位性を強調する

医療者が提供するケアは無条件に善い行為ではない。強者・弱者という上下の力関係が顕在化しないまでも、専門技術であるケアを媒介とする関係性は非対称性である。ケアされる人を配慮しないことは、ケアの押し付けである。ケアされる人を配慮することは、ケアされる患者その人の人間性を尊重することを意味し、だからこそケアという行為は道徳的なのである。医療者はケアのこのような側面を理解し、ケアされる人の弱さ、傷つきやすさ、ケアされるその人を配慮することによってはじめて、ケアという営みが成立することを理解しなければならない。またケアは、ケアする人がケアされる人に何かをしてあげるのでもなく、ケアされる人に代わって何かをするのでもない。ケアされる人を援助(support)するのである。

結 論
メイヤロフのケアは、人間にとってケアすることの意味、ケアする人その人にとっての、人生におけるケアすることの意味を述べる広義のケア概念である。医療におけるケアは、対人援助技術としての実践的な概念であり、人間関係を基盤にして、人々の健康問題に関して専門的知識と技術によって対象者を援助することである。医療者と患者の関係は医療者の専門性が高いために非対称的である。そのため医療者は、メイヤロフの広義のケアのパターンや要素を自らに求められる姿勢や態度として備える必要がある。そして医療におけるケアは、ケアの双方向性と “support”という援助のあり方が重要である。これを欠くことにより、患者のニーズに応答しない一方向性のケア、強行的なケアといった不適切なケアを提供することになる

医療におけるケアが人間関係に基づくということは、患者が求めるケアの内容は患者と医療者の関係性如何によって変化するということでもある。医療者の役割がそれぞれ高度に専門分化する中で、医療者が患者の「今」のニーズを読み解き、応答するためには、患者との関係性が双方向性であること、患者を、病を抱えた一人の人として援助する(support)という姿勢を欠いてはならない

 

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/51877/1/05_ishikawa_oyorinri_no5.pdf

 

 


やっぱりさ、馬鹿なんだよ、ナースは。

大病院だとありがちな事なんだけどさ、病棟勤務のナースはみんなどんどん性格が荒んでいくし、
外科勤務はみんなどんどん気が強くなっていく。

だからね、受け付け案内とかのボランティアをやりに来て下さってるボランティアさんにまで
異常な姿勢で当たり散らしたり、見下したりアゴで使ったり、ぞんざいな姿勢で接してるよ。
病院の業務を全くの無償で手伝って下さっているボランティアさんに対してだよ。
で、ナースがつらく当たってる事を医師が代わりに頭を下げて謝ってるんだよ、ボランティアさんに。

一方でさ、精神科なんか行くとさ、
精神科の重鎮の医師が患者さんにひたすらやさしくすることを義務付けてるような医師だとね、
精神科のナースはさ、病院の出入り業者に対してだけでなく、押し売りのセールスマンにまで
やさしくなっちゃうんだよね。
単に仕事で来てるだけの下請けの出入り業者も、業務の邪魔で迷惑なだけのセールスマンも、
みんな可哀そうな同情するべき患者さんになってるんだよ。馬鹿だから。

当たり前だけど、女医はもちろんこうはならない。
精神科の女医は患者さんにはとってもやさしいけど、下請け業者には別にやさしくもない姿勢で
外注している業者からの立場で接するし、セールスマンには毅然とした態度で
「お断りします。」「お引き取り下さい。」と撥ね退ける。

外科の女医も研修医には凄く厳しいけど、ボランティアさんにはいつも頭を下げている。
もちろん下請け業者には、クライアントの立場で接する。
これもナースみたいに感情的にヒステリックに当たる姿勢ではなく、淡々とした業務上の姿勢だ。

でもナースはこういうのが全然ない。出来ない。みんな同じになっちゃう。馬鹿だから。

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 そう言った「病人に対する看護とは」を頭で分かっていない看護師達が、一線を引くことなく、切り替えもでない上に、共依存傾向の強い看護師は、感謝・愛情に飢えており、相手を振り回し、強要し、思った通りにならないと感情的になり、攻撃的になったりする。誰しもが持っているところもあるが、看護師は職業上、この傾向が特別に強い。相手と対等な人間関係を築けないのだ。

 

 

 いわゆる「モラハラ女」である。

 

 

 

動物的な感覚が衰(おとろ)えていなければ、相手の「立ち居振る舞い(たちいふるまい)」、言葉使い、目の動き、手のしぐさ、歩いているときの後ろ姿などから、毒(どく)を嗅(か)ぎ分けられます。動物的感覚だから、なぜその笑い方に「すさんだ心」が表れているのか、なぜ相手がそういう人なのかを「証明(しょうめい)」はできません。しかし、「わかる」のです。
相手の「すさんだ心」はふとした振る舞いの中で出てしまうものなのです。「人を利用してずるく立ち回ってきた生き方」が、笑い方一つにさえ表れます。それは本当に瞬間的(しゅんかんてき)に小さな小さなことに表れます。笑顔に毒があります。「騙(だま)すための笑顔」です。顔が笑っていても目が笑っていません。笑っている顔に警戒心(けいかいしん)があります。
ところがモラハラの被害者(ひがいしゃ)は、毒を見分けられません。二種類のメッセージの矛盾(むじゅん)を感じ取れません。動物的な感覚が衰(おとろ)えていると、「毒のある人」「誠意(せいい)のある人」の嗅(か)ぎ分けができなくなります。相手の「地位(ちい)」や「容姿(ようし)」はわかっても、本質的な質の部分がわかりません。そして、「容姿はいいけれども、ずるい人」にひかれてしまいます。言葉に弱(よわ)い神経症者(しんけいしょうしゃ)は、「僕(ぼく)は君の友達だ」と言われると、相手を自分の友達だと思ってしまいます。
モラハラ加害者の「仲良(なかよ)くしたい」を翻訳(ほんやく)すると、「うまく丸めこみたい」です。後ろを向いて舌(した)を出しています。だから彼は態度(たいど)を豹変(ひょうへん)させるのです。いったんこちらが弱い立場(たちば)に立てば、とことんいじめにかかります。「相手が自分に何をしているか」を「観察」しないと、人生につまづきます。
モラハラ被害から抜け出すためには、会話の時に、相手の「言葉」ではなく「表情」に注意することです。非言語的メッセージに注意を向ける訓練(くんれん)をすることです。言語的メッセージと非言語的メッセージが矛盾した時には、非言語的メッセージに真実があるのですから。極端(きょくたん)に言えば言葉はどうでもよい。相手の言葉は耳ではなく、眼(め)で聞きます。そして「この人は、何を言いたいのか?」と考えます。「心の眼」でものごとを見る習慣(しゅうかん)を身(み)につけます。

 

モラハラ資料

 

 

演技性 立ち振る舞いがわざとらしく笑顔が嘘くさい

常に自分を演じているため立ち居振る舞いがどことなくわざとらしく、笑顔もうそ臭い。表面的には良い人に見えますが、勘の鋭い人は違和感に気づくかもしれません。ただ、本性に気づいた人は危険人物とみなされ、攻撃されたり排除される可能性があります

自己愛性人格障害の特徴まとめ


言動がわざとらしく演技くさい
・表情や立ち振る舞いがわざとらしく演技くさい人
(常に理想の自分、評価される自分を演じています)
・何をするのにも周囲へのアピール感がある人(褒めてくれオーラが強い)
・他人への親切がわざとらしい人(異常な自己顕示欲の強さ)

 

http://mora110.blog.fc2.com/blog-entry-68.html

 

ブリッ子が見抜かれたときの、強い憎しみの表情。思い出すだけで怖すぎる。

3‐1.看護師の性格・裏表

 

 共依存の弊害」

 

共依存」とは、自己意識の障害により自己犠牲的献身、他者コントロールといった症状的行動が生じる

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jahp/20/2/20_61/_pdf

 


 患者や周囲に対する精神的暴力を加えるモラハラ女になるか、自己犠牲的献身である、身体の提供つまり、ヤリマン、売春......という

 生い立ちが不幸で、人から必要とされたいから風俗嬢になった、とかもありがちな話である。

 

私と同じ部署の同期のナースは私を含めて3人いるが、
うち私以外の2人は院内での患者とのセクロスと交際を経験済みのこと、
毎年2~3人デキ婚で仕事を辞めること、
看護学校時代の女友達はほぼヤリマンなこと、
夜勤中は、先輩・後輩問わず、みんな下ネタばかり話している

あと、うちの病院は親睦会というなの、研修医と新人ナースの
ヤリコンがあるw私は参加したことないけど、院内で穴兄弟
チン姉妹が山の様にいる。

で、誰かの役に立ちたい、それを職業にしたいと思う人っていうのは、
孤独感とか、寂しさを感じやすい人、人とつながっていたい人だと思う

寂しい人っていうのは、自分に提供できるものは何でも提供してこっちに
関心を持ってほしいって思うんだよね。
それが、看護の仕事だったり、自分の体だったりみたいな感じ

人が嫌がることをして、感謝されることで、
そこに自分の存在意義を見出そうとしちゃうんだよね
自分を必要とされたい願望というのかな。
そういう人は、愛情とかに飢えている。
愛情とかに飢えている人は総じて性欲強くてヤリマンだよねw

何か病院内の男女関係はどこの昼ドラ?って感じにほんとうに乱れている
医者とw不倫した40代看護師がいて、医者との子どもを妊娠
夫と離婚して、医者も本人も務めている病院で出産とか

うちは小児科と内科の混合病棟で、子どもと老人がほとんどだけど、
たまに整形のベッドが足りなくて、元気な若い男のことかがくる
そうしたら、若いナースの餌食にほぼ100%なる

実はこんな私も人妻ですw旦那は私のこと清らかな女と思ってるwww
みんなナースと結婚するときは気をつけろよ!!

 

24歳看護師が看護師の性欲はなぜ強いのか考える - VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ

 

典型的すぎる。

 

ヤリマンにいたった原点が“非モテだった中学時代”にあるといい、その非モテ経験によって「大変なコンプレックスを培っちゃった」と語る。「セックスしてもらえる人=モテる人」という「ブスっぽい思い込み」からヤリマン道を邁進したというのだ。すなわち、「非モテの立場からはモテ界の最下層であるヤリマンのステージしか視界に入らないから、ちゃんと誰かに愛されようとか、素敵な彼を見つけようとかじゃなくて“いろんな男とたくさんセックスできる私って超イケてる!”っていう方向に走ってしまう」というわけだ。

 男性のなかには、「ただ単純にセックスが好きなだけのヤリマンもいるのでは?」と思う人もいるかもしれないが、そのような言説に対する本書の返答は「それは男ならではの幻想」。女性は快楽を追求してヤリマンになるのではなく、それよりも男性に“求められること”に重点があるようで、峰も「相手はただセックスしたいだけでも、口説かれたり優しくされたりすると、それだけで嬉しいんだよね」と話す。ここから見えてくるのは、ヤリマンの根底にある“自己評価の低さ”だろう。自分に自信がもてないぶん、セックスによって肯定を求めてしまうのかもしれない。この峰の発言に対して犬山も「ヤリマンタイプって、一番切ない女の子かもしれない。すげぇ切ない」と感想を述べている。

 ちなみに、そんな犬山の言葉に峰は「でも、そんなにきれいな感情なわけじゃないよ」と返答。高校時代はイケメンやDJといった男性を選んでセックスしていたという彼女は、「イケてるっぽい男とセックスすることで私もイケてる女になれるって思ってたからなのよ」と、その“きれいじゃない”理由を説明している。

 

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20130621/Davinci_002362.html

 

 

 

ある程度食いっぱぐれどうのこうの計算づくでなったやつもいるだろうけど
大半は、最初白衣の天使のイメージに憧れちゃったような感じじゃないの
自ら天使になろうとするような女達だぞ、根本的になんかやばいって
それに加えそんなやつらが現実知って完全に廃れ切ったら行き着く先はなあ

 

nurseplus.net

 


分かる人は、感覚的に分かるようだ。

 

 

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 看護師は、患者が無条件に降伏した身体を預けるのだから信頼できる人間性が第一なのだ。猫を被って裏表のある押しつけごましい過干渉のお情け同情ぶりっ子に媚び媚びキャバ嬢お色気ナースなど不要。

 

看護師は皆、人から「信頼されるうる」看護師でなくてはならない。それを忘れてはいけない。

(中略)

看護師は他人の噂をふれ歩くような人間であってはならない。作り話をしてはならない。担当患者について知る権利のあるもの以外には口外してはならない。

言うまでもなく当然のことであるが、看護師は真面目で正直でなければならない。正確に素早く詳細を観察できなくてはならない。また繊細なデリカシーのある感受性豊かな女性でなければならない。

 

フローレンス・ナイチンゲール  〜 「看護覚え書き」 補章 「看護師とは何か」

 

 看護師は一線を引いて、プロに徹して、不快感のない、礼を持った爽やかな対応だったらそれで十分安心感もあって満点だ。

 

看護師のセクハラ


ヤラれる男だけが分る話

 本来は痴漢やセクハラの被害者となるのは女性の方が多く、男としては守るべき対象なのだが...

 

(看護師)意外と嫌いなんだな。軽い女性が多いのと、入院したときやたら色目使うは、露骨に誘われてたから。
わざとらしく胸チラ見せようしたり、パンツが見えるように足開いてしゃがんだり。
最悪は寝てる間にアドレス見られて、退院後いきなりメール来たり。
無視ったらエロ写メ送り付けられた経験がありますよ。
だからどうしても看護師はそういう頭なんだと思ってしまいますね。勿論真面目な方もいらっしゃるとは思いますが、やはりトラウマですね。

mikle.jp

 

 

 日常的に職場つまり入院患者のいる病棟で、医者などの男を性的に挑発して楽しむ頭のおかしな看護師もいる。

 

「パーソナル・スペース」

 

 心理学の用語で「パーソナル・スペース」という言葉がある。人間が普段から相手に応じて使い分ける、物理的な距離のこと。

 

心理学用語「パーソナル・スペース」personal space - goo ヘルスケア

社会心理学には、パーソナル・スペースという用語があります。これは、コミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる、自分の周囲の空間(心理的な縄張り)を指します。
 縄張りですから、ここに他人が侵入してくると、人は不快感や嫌悪感を感じます。防衛本能が働いている状態になるのです。しかし、逆に親しい相手や好意を寄せている相手であれば、容易に受け入れることが出来ます。
 人は相手に応じて、その距離感を使い分けているのです。

・密接距離……ごく親しい相手のみ、手で相手に触れられる距離(0cm~45cm)
・個体距離……相手の表情がわかる、両方が手を伸ばして指先が触れられる距離(45cm~120cm)
・社会距離……容易に会話ができる、ビジネスで用いられる距離(1.2m~3.5m)
・公共距離……複数の相手が見渡せる、1人対複数の面会や公演などの距離(3.5m~7m以上)

 

 看護師という職業では、日常的にこの「密接距離」で仕事をする。患者を抱えたり支えたり体を洗ったり、と。すると看護師はこのパーソナル・スペースに無頓着になっていってしまう。仕事中、胸に男の手が触れても一々気にしてたら、なんて言う看護師もいるが、それで良いのだろうか… 

 実際、初対面で普通に話していてアクシデントで看護師にグッと接近してしまっても微動だにしないことが多い。普通の女性であれば、ススすっと引かれる距離になっても、大抵の女の子が顔を赤くしたりモジモジしたりする距離で、看護師はまったく動じない。逆にグイグイくる看護師までいる…。

 こちらは人に不快感を与えているかもしれないと気にしているのに、相手の看護師はまったく無頓着。無防備

 普通の会話する距離が普通の女性よりずっと近い。近すぎる。

 看護師は、本来ごく親しい相手のみのはずの密接距離に抵抗が無くなってしまうので、初対面の異性に対して普通に話していても、物理的・肉体的距離という敷居も低くなってしまう。

 さらに不特定多数の異性との肉体的接触スキンシップに抵抗が無いゆえに、看護師が軽くて安っぽい女と思われてしまう大きな要因の一つである。

 異性関係において、意識的にか無意識にこれを最大限利用している看護師は無茶苦茶多い。つまり、看護師は普段から「身体がウリ」と取られても仕方がない言動を取ってるのである。

 実際、病院内で職場の男に馬乗りにべったり絡み合ったり過剰なボディタッチをする看護師達がいる。私は医者と仲が良いのよアピールの俗に言う医者イジリ。はたまた後輩とはいえ男看護師にふざけて馬乗りになり、なぶる。そしてそれを自慢のように周りに見せびらかす頭は、一体何を考えているのだろうか。

 

医師が「仕事で」と言って、帰らなくても仕方がないが、それが本当に仕事でなかったとき、受け入れられないと思う。職場で看護師とじゃれている医師を見たり、それを笑いながら話す周りの人を見ると、不快感を覚えるが、ほかの人はそうでもないから話すのだろう。体を触る、裸を見ることが多い職場なので、敷居が低いのだろうか。

https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/174102/

 

 看護師は看護学校時代から逆セクハラを当たり前のようにやってきた、ということは、女子校状態がどういうものかを考えれば、容易に類推できる。社会人になっても学生気分のままの振る舞いを患者が入院している病院で平気で行っているのだ。

 

ま、軽いところでは尻触られたりするね
あとシモネタは山ほどある
飲み会で女装させられて乳もまれたりとか余裕であるな。
ーーー
着替えが保健室の後ろのカーテン一枚みたいな所で着替えるから冗談半分に覗いてきたり、しょっちゅう触られるケツや胸。
俺居るのに教室で着替えるのもいる。
ーーー
 

 

 そういう状況を異常だと思わずに、それの周りでバカ笑いしている看護師達も、同じく女として終わってるように見える。患者をペット扱い、男看護師に痴漢、医者に逆セクハラ状態である。

 普段からそんな事をしていながら、急に猫を被って取り繕うといっても無理があるのだ。

 やられている男看護師や医者や技師も情けない。多勢に無勢と言うところで朱に染まるしかないのだろうが、そんなに男扱いされず舐められて男として情けなくないのだろうか。

 

白髪まじりの中年医師(恐らく既婚医師)に、アラサー看護婦がベタッと太ももを付けて
あの〜せんせぇ〜、、、と話しかけてた。
あれじゃ、医者から便器にされても仕方ないやなぁ。 軽く扱われても文句言えんよぁ。 

患者やその家族は何気に見てるものだぜ。w

http://shimasoku.com/sp/kakolog/read/sousai/1356619573/

 

 医師というだけで、もててましたね。デブでも、ハゲでも、おじさんでも。飲み会とか、ナースと、ドクター2人で、トイレにはいっていたりしたのを、目撃したことあります。(・・;)私の、長年の感想ですのです。医師は、身体に触れる職業だから、他の職業より、抵抗なく、奥さんや、彼女以外の女性と浮気できてしまうのかななんて思ってしまいました。異議は、あると思いますが、あくまで感想です。

http://nandemo.tabine.net/wh/1/010115.html

 

 他業種ホワイトカラーと比べると、非常識で、色々な意味でとても敷居が低く見えてしまうのは確かなのだ。これではセクハラもなにも看護師は「そういう女達」 と思われても仕方がない。

──患者といい仲になることはある?
外科B:整形外科で勤務していた時の同期は骨折で入院した同年代の患者さんと付き合ってたなあ。
 夜勤になると4人部屋の彼の部屋まで“夜這い”していました。巡回の私もそのベッドのカーテンは気を遣って開けなかったですよ(笑い)。彼女は結局、その彼と結婚しました。
泌尿器科A:患者さんから口説かれるのは日常茶飯事。私は毎日電話番号を聞かれて、根負けして退院後に食事だけ付き合ったことはあります。
外科B:それ以上にセクハラはありますよね。今担当しているおじいちゃんが「冥土の土産だからいいでしょ」といいながらお尻を撫で回してくるんですけど、本当に亡くなりそうな方だから何もいえなくて困る(苦笑)。
泌尿器科A:50代の患者さんから「夜8時にトイレに来て頂きたく存じます」といわれて行ってみると「私50年間女性と致したことがなく、ぜひあなたと致したく存じます」と告白された。
「ウチはそういうサービスはしないので退院したらそういうお店にいってくださいね」と丁重にお断わりしましたけど、翌日同じことをいわれた新人ナースは泣いていましたね。
──ムラムラしたりはしない?
泌尿器科A:AVの見過ぎですよ(笑い)。体を拭く時や施術でアソコが大きくなってもまったく気にしません。ただの生理現象ですからね。
外科B:看護実習で男性患者の対応を徹底的に慣れさせられるし、いちいち気にするような人は看護師になれないかも。
週刊ポスト2015年12月11日号

http://www.excite.co.jp/News/column_g/20151204/Postseven_367177.html

 

 そしてもちろん、男女交際の中では、不特定多数の男達の裸陰部性器を見て触っている女、と言うのも男としてはやはり地味に潜在意識的に気になってしまうものなのだ。これは、偏見でもなにでもなく生物学的に当然の事。昔の価値観で「忌避される人肌に触れる職業」というのは、この辺りからくる。真面目な恋愛感情や結婚相手となるともっと複雑な感情になるのが普通の男である。

 だからこそ、日本の看護師のためにも専門職としての「境界」という明確な倫理規範を与える意味と必要があるのだ

 

彼「陰洗って何??」

私「陰部を洗浄することだよ」

彼「えっ・・・君がそんなことまでするの!?男の人のも??どうやって?」

私「そうだよ。ち○この皮を剥いて、石鹸と水で・・えっ?そんなにびっくりする?」

(シモの話は日常会話。医学的に見てるから、恥ずかしい事とは思わない)

(そうやって、普通の人と感覚がずれていく事に麻痺してくんだ・・・)

 

 

 普通の人とのズレ+感覚の麻痺だけでなく、異性にたいする対人配慮、相手の立場に立った思いやり、デリカシー、コミュニケーション能力の欠如である。

 看護師は常日頃から、男女間の高い性的倫理観モラル道徳性を維持し、普通の人たちとの距離感を意識して考えて行動するべきなのである。

 

 聖人天使になれと言っているのではない。高い倫理感を保持している事が周りに明らかなように表明出来るように、常日頃から気をつけるのが良いだろうという事。

 そして、それを看護師達の利益のためにも業界として倫理規範を明文化すべきだろう。

 

看護とわいせつ罪

 

 看護師は法律に規定されている「わいせつ罪」の行為、つまり「普通人の正常な性的羞恥心を害し」を患者に対して行うのが仕事である。

 それが犯罪にならないのは、もう一つの構成要件である「善良な性的道義観念に反すること」でない純粋に看護行為の一環として行うこと、に患者が暗黙の社会的合意していることになっているゆえに法律違反という犯罪から特別に免除されている。

 ところが、「わいせつ」の最後の構成要件である「徒に性欲の興奮、刺激を来すこと」をした時点で看護から逸脱していることから「善良な性的道義観念に反すること」に抵触しかねない。

 看護師の行為は「わいせつ罪」と本当に紙一重の事を不特定多数の異性に対して行っているという事を看護師自身がもっと自覚すべきなのではないか。

 

 

ホルモンジャンキー

 

 なにか、看護という仕事に宗教的に取り付かれているか中毒のようにはまっている人がいるがその謎の一つは共依存に加えて、もしかしたらこれかもしれない。

 

 看護師ってドーパミンとかアドレナリンとかエンドルフィンが出ることの多い職業ですよね。 そういうものが分泌されればされるほど、その分泌を抑えるためにセロトニンという 神経伝達物質が出てくるそうです。
 セロトニンが出れば出るほど幸福だっていう感覚を脳が認知するんだとか。 だから人間の脳の反応として、看護師という仕事はシアワセを感じられる仕事なんでしょうね。 ツライ仕事やツライ恋ほど、シアワセ感が高くなるというのは、セロトニンの仕業なんですね。

家族や恋人、ペットとのスキンシップも、セロトニンの分泌を増加させてくれるのだそう。メールや電話ではなく、実際に顔を合わせ、表情や仕草を間近に感じながら、笑ったりすれば、きっとセロトニンがたくさん分泌されますよ。

 

あとオキシトシン...

 

だんだんネタ化してきたので、以上とする。

 

 

続き(3-5.看護師の合コン・飲み会)

msh2.hatenablog.com

 

 

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