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看護師のなぜなぜ研究

ここが変だよ日本のナースさん

本当の「白衣の天使」の由来とは

勝手に答えます

 

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 看護師が「白衣の天使」などと表現されることがあるのは日本だけ。

 実は、その理由は、太平洋戦争当時の日本の従軍看護婦の戦時動員のプロパガンダにあった。

 元々は、1936年公開のハリウッド映画、「The White Angel」。クリミア戦争当時、戦地に赴く「戦地に赴く英雄的ナース」フローレンス・ナイチンゲールを題材にしたハリウッド映画で、その邦題が「白衣の天使」。

 

www.youtube.com

 戦争で活躍する看護婦のイメージが、日本の太平洋戦争時の総動員体制にマッチしたのでしょう。

 男は兵隊、女は看護婦になれ、と国を挙げて国民を煽った。

 

戦時下の女性は進学すべきでない。白衣の天使となり、白衣の勇士をみとるのが生き方だ」。10年前、元従軍看護婦の三浦里子さん(故人)=浜田市三隅町=を取材した際、浜田高等女学校時代に毎日の朝礼で繰り返された訓示だった、と伺った。

 

http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=555253034

 

 「『白衣の勇士』を看取る『白衣の天使』になれ」という、戦争プロパガンダそのものですね。

 ちなみに、終戦時、満州からの引き揚げで、婦女子がソ連兵から受けたとされる乱暴は有名だが、その際、従軍看護師たちにの悲劇も歴史に記録されている。

 

   「 凛烈なる自決の死によってソ連軍の暴戻に抗議し 日本女性の誇りと純潔を守り抜いた白衣の天使たちの芳魂とこしなえに此処に眠る  合掌」

    http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/aoba.htm


 兵士が「生きて虜囚の辱を受けず」の訓に従ったのと同様に従軍看護婦は、満州引き上げ時にソ連軍によるレイプを避けるためにも、集団自決を行った。

 しかし、集団自決によって「日本女性の誇りと純潔を守り抜いた白衣の天使たち」が、墓の中で現代の乱倫状態の下品な看護師達を見たら、一体なんと思うだろう。

 

確かに昔よりは一般家庭の子が看護師になりたがってるのは増えたとは思うけど

でもそれは看護師の地位向上のための動きのステマっぽいものだと思ってるw

メディアなんかを通して、看護師は「素晴らしい仕事で人から感謝されて

なくてはならない存在で、、」っていうのをアピールして、終いには他の職業を貶めるような茄子まで出て来る始末

完全にやりすぎ

言いたい事は分かるんだけど、そういう「美化」された部分しか大々的に流さないから、実際に夢を持って看護師になった子は現場の茄子の性格の悪さキツさイジメなんかを目の当たりにして辞める子多いしね

んで「忙しい」が口癖で世界で一番辛いのは私と言いたい風w

その仕事選んだのはあんたたちだし、っていうか私たち医者の方があんたらより忙しいわwww

そういう人がなりたがる職業でもあるんだろうけど

一般人が思ってるより茄子はホントに馬鹿のくせに偉そうで、守秘義務も守れない常識ない人多い

それに、医者と張り合う茄子なんてちゃんちゃら可笑しい

役割が違うし、修了するための単位も難易度も遥かに差がある

でもそれを認めたくなくて、次は「家柄が」「育ちが」「医者だって馬鹿だし」「私立医のくせに」とか

もうお笑いよ

そう言う割には医者との不倫は当たり前みたいな茄子も居るし、デキ婚狙いもたくさん居るw

男医師には媚売りまくって、女医や他の女性職員には冷たく当たり散らしたり馬鹿丸出しw

 

http://archive.2ch-ranking.net/archive_i.php?board=sousai&time=1331594347

 

 日本の看護師よ、恥を知れ。


 日本の看護業界は、ナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを利用し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出して、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。

 これはなぜかと言うと、元々は人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代、皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)。どうしても人や体に触れる職業は、そうみなされてしまうものだ。だから宗教的な博愛という名目が大事だったのだ。それを近代的、非宗教的な専門職としたのがナイチンゲールの功績。

 しかし、科学的な現代になっても、上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入してこなかったのは致命的だった。未だに、キリスト教徒でもないのに、ナイチンゲール誓詞だの、キャンドルで宣誓とかやっている日本の看護業界は異常。
 そもそも、ナイチンゲールでさえ、看護覚え書きにおいて「私たちの場合『誓い』を立ててこの道に入ったりしない。真の気持ちは厭世や失恋などとまったく別のものであると自覚するためにわざわざあえて『誓い』を立てる必要があるのか、そんな次元の低いものと見なしているのだろうか」と言っているのだ。

 現代における「白衣の天使」のイメージを利用した日本の看護業界と乗せられた看護師達は自ら、プロパガンダの代わりに、ステマ営利を目的とした、宣伝工作の一種。 主に、消費者に広告だとばれないように広告する一種の詐欺行為)として利用しているようなものだ。

 では、欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本の看護業界で一体何が残ったのか。戦時中の軍隊式日赤十字従軍看護婦養成の伝統だ。

 

日本赤十字社の看護教育は, 日本陸軍の教育方針に通じ,上官の命に絶対服従する,克己,忍耐,奉仕が指導精神の柱であった。

大正後期から昭和初期にかけて日本赤十字社の教育の特徴については,山本らが行なった卒業した 20名の聞きとり調査から推測することができる。看護技術教育は,臨床に先立つて教室における実習やデモンストレーションは殆ど行われることなし臨床での実践によって訓練された。指導体制では婦長一卒業生一上級生一下級生といフヒエラルキーがあり,上位の人には絶対的権威があった。看護行為の判断と実行には,すべて上位者の指示が必要で、あった。状況に応じて熟練した方法を他者に示すことはあっても,その根拠を他者に納得いく方法で教えることは少なかった

日本赤十字社による戦時救援看護婦養成が主流となり,全国の看護婦養成所の模範となって全国に広まったからである。

 

ナイチンゲールの看護の本質はどのように伝えられたか」

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13664/1/23_p111-121.pdf

 

 ナイチンゲールの本質は伝わらなかったと。

  しかも日本では海外のような倫理教育もされなければ、具体的な倫理規範も無い。本当に無い。

 

日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いたかつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反
動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれ
る.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.

 

http://homepage3.nifty.com/cont/42_2/p519-30.pdf

 

この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる(伊藤他, 2003)。

1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された。看護倫理は「看護概論」60 時間の中に含むと「注」がつき(看護行政研究会, 2009, pp. 1468-77)、その中で割り当てる時間数は各学校に一任されることとなった(高橋, 2005; 吉澤, 2007)。この指定規則は、1989
年に改正されるまでの約 20 年間施行された。
この時期(1967-1988 年)には、以前にみられるような看護師の美徳あるいは精神性に重点をおいた内容はみられなくなり、「看護師の規律」、日本看護協会の「看護婦業務指針」等の倫理規定が追加されている(伊藤他, 2003)。1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており、こうした精神性への偏重は看護の科学性を追求した当時の風潮とは相容れなかったものといえる(稲葉, 2001)。

...

1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり(高橋, 2005; 吉澤, 2007)、倫理教育は「医学概論」に含められていくことになった(吉澤, 2007)。このような 1989 年の改正には、1987 年の看護制度検討報告会において看護判断能力、ケア管理能力、教育指導能力といった看護能力の強化にウェイトが置かれるようになったこと、従来の博愛精神や医師への服従という教育内容に対する批判が高まったことなどが影響している。

...

1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない

...

2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられてい。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、
プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)

 

https://www.osaka-med.ac.jp/deps/dns/pdf/zasshi/09.pdf


 

 

 

 ったく、ありえん。
 

 

msh2.hatenablog.com